4月12日(木)
前の会社に入社した初日、直属の上司となる営業部長に昼飯に誘われた。あわてて席を立ち、エレベーターへ向かうと、そこに二人の人が立っていた。一人は経理部長で、もうひとりは編集部の人だった。元々営業部長と経理部長で昼食に行くところに僕が誘われ、僕の緊張をほぐすために編集部の人にも声をかけたようだった。
すでにどこで食事を取るか決まっているようで、3人は話し合うこともなく御茶ノ水の街を歩いていく。僕は緊張してその3人の後ろを数歩遅れて追いかけていくと、突然編集部の人が振り返り「えっ? レッズが好きなの?」と聞いてきた。営業部長が僕の履歴書の趣味欄に書いてあったことを教えたようだ。
「そうなんだ。俺も好きなんだよ。チケ取るの大変だよね。そうそう。で誰が好きなの?」
僕はそのとき闘志溢れるプレーでむやみやたら上がっていく長髪の外国人DFの名前を挙げた。するとその先輩は大笑いし「こりゃ病気だ。俺はね広瀬が好きなのよ。いやー君も水曜会の仲間だ、あっ水曜会っていうのは直帰してサッカー見に行く会ね。ってその分、他の日は働かなきゃダメだぜ。俺、Yというの、よろしく」
編集部の人、Yさんは人懐こい笑顔でそう自己紹介し、その後、昼食のときもいろいろと気を遣って話かけてくれた。
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僕に営業の仕事を叩きこんでくれたのは営業部の課長のHさんだったが、仕事に対するスタンスを教えてくれたのはこのYさんだった。Yさんは、ブツブツ不満をこぼしつつも編集部の誰よりも早く会社に来て、休日出勤も厭わず、本や雑誌ができるまで必死に働いていた。
編集者なのに決して私服で出社せず、いつもスーツ姿で働いていた。なぜ?と聞くと、私服だとちょっと気持ちがね、スーツを着るとシャンとするじゃん、なんて話していた。もちろん水曜会の日は連れだってホームやアウェーに出かけていたし、やたら酒を飲む会社だったのだが、そういうときも必ず顔を出し、みんなで大騒ぎしていた。やるときと抜くときのバランスが絶妙なのだ。
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Yさんとは退職後も付き合いが続き、ときには埼玉スタジアムで、ときには新橋のいつもの飲み屋で顔を合わし酒を飲んだ。いつのことだろう。Yさんがかなり高額の財形貯蓄を定期でしていることを知って、どうしてそんな金、貯めているんですか? 結婚でもするんですか? なんて僕が軽口を叩くと、Yさんは真剣な顔をして、くっと日本酒を煽った。
「俺のオヤジはさ、職人だったんだけど、ずっと借家暮らしだったんだ。だからさ、オヤジとおふくろに、最後は一軒家に住ませてやりたいんだよ」
実は僕も、妻の家庭が一度家を手に入れ、それを手放すという経験をしていたので、いつか妻と同居している義母に一軒家をという想いがあった。それをYさんに話すと、「じゃあ一緒にがんばろうな」と強く手を握ってきた。
Yさんはその後もしっかり財形貯蓄をし、7年前に立派な家を建てた。夏にはベランダから花火大会が見られる絶好のロケーションなのだが、一度も誘ってもらったことがなく、僕が訪れたのはパソコンの設置のときだけだ。そのときYさんにお父さん、お母さんを紹介していただいたのだが、お二人とも立派なお家で、幸せそうな顔で暮らしていた。
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今夜、そのYさんのお父さんのお通夜があり、前の会社のOBと駆けつけた。3年ほど入院退院を繰り返していたので、Yさんもお母さんも心の準備が出来ていたのか、落ちついた葬儀だった。
「わざわざ、ありがとう。いやー、土曜のジュビロ戦の後にさ、埼玉スタジアムを出て歩いていたら病院から電話があってさ」Yさんが僕の姿を見つけると、強く握手しながらそんなことを話す。こんなところでこんなことをいうのもなんなので、僕は心のなかで呟いた。
「Yさん、あんたは偉いよ。そして、いつまでも僕の目標です」