WEB本の雑誌これまでのログ倉庫>坪内祐三トークショーレポート


                    開催日:2001年11月10日(土) 場所:ジュンク堂池袋店
11月10日は、『三茶日記』を上梓された坪内祐三さんが、ジュンク堂池袋店で行われるトーク・セッション「『三茶日記』をめぐって」に現われると聞き、会場へ潜入取材してきました! トークセッションの前に行った突撃Q&Aインタビューとともにどうぞ!

 
坪内祐三氏
プロフィール

■坪内祐三
(つぼうち・ゆうぞう)

評論家。
1958年、東京出身。
早稲田大学文学部卒業。
月刊誌編集部を経て文筆業に。
アメリカ文学、明治・大正文化史を研究。

著書●
『ストリートワイズ』『古くさいぞ私は』『文庫本を狙え!』 (以上、晶文社)、『シブい本』『文学を探せ』(文藝春秋)、『靖国』(新潮社)、『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』(マガジンハウス)

編著●
『明治文学遊学案内』『明治の文学』全25巻(ともに筑摩書房)


Q1.坪内さんと三軒茶屋との縁というのは?
坪内:世田谷線の松原というところに実家があったから、三軒茶屋っていうのは子どもの頃からよく知ってます。実際に住み始めたのは1990年ぐらいだったかな。

Q2.日記の初心読者に対してお薦めの作品などは?
坪内:永井荷風の『断腸亭日乗』はいいかも知れないけれど、ただ、興味ない人は読まなくていいわけです。啓蒙的読書には反対ですから、人にこういうのから入りなさいなんていうのは全然興味ないですね。そういう意味でなく、面白い日記と言われれば、木佐木勝(きさきまさる)の木佐木日記全4巻です。

Q3.ライバルとしての笹塚日記をどう見ますか?
坪内:笹塚日記は大好きですよ。単行本は笹塚日記が先だったけど連載は僕の方が先で、それが目黒さんに刺激を与えた部分もあるみたいですね。そうだとしたら、僕の日記がきっかけとなってすばらしいものができたというのは、嬉しいです。

Q4.古本屋にいって、店主の方と情報交換などされるのですか。
坪内:まず、古本屋の店先ですごく常連ぽく店員と話し込んでる人たちというのはちょっとすれてる感じがしてあんまり好きじゃなかったから、基本的に僕は古本屋の人と親しくなりたいと思ってはいなかったんです。それと、結果として今はお店の人で友達がたくさんできましたが、その人たちとの会話は決して「情報」交換なんかではない。それはまるで逆の意味になってしまう。「情報」というと、この場合、単に欲しい本や探してた本が安く買えるという事柄をさすわけで、そうじゃなくて、僕が古本屋さんを好きなのは、もちろん巡り巡って役に立ったりすることもあるけれど、一見意味はなくても、知らなかった、あるいは世の中にはまだまだ訳わかんないことがたくさんあるな、という話に出会う空間としてなんです。

Q5.では、情報の逆を言葉で表すとすると何と言えばいいんでしょう。
坪内:それは、「寄り道」ですかね。


インタビュアー:目黒考二

▲会場のジュンク堂池袋店

 ──インタビュアーをやれと言われてきました、『本の雑誌』の目黒です。よろしくお願いします。わたしが坪内さんにお伺いしたいのは3つしかありませんので、あとは坪内さんの独演会という形で。まず『三茶日記』という本ができたいきさつを簡単にお話しします。4,5年前、本誌で毎回執筆者が変わる読書日記をやってまして、そこで坪内さんにお願いした原稿を読んだ瞬間、ウチ向きだ、ぜひ連載欲しいって思わず呟いて、それを聞いてた現在発行人、当時デスクだった浜本茂と当時編集部にいた吉田伸子のふたりが顔つき出してニカッと笑って「でしょ?」と言いました。そして連載をお願いして、今回一冊の本としてまとまったと。ここからが質問になるわけですが、坪内さんの読書日記に出てくるのは、ほとんどわたしは未読の本なわけです。でも、そういう読んだことのない書名ばかりの原稿を読んで、本誌向きだから連載欲しいな、ってすぐに思ったのがすごく不思議で。言葉で上手く説明できないんですよ。どう思われますか?

▲坪内祐三氏

 「坪内です。僕は出版文化史、雑誌の歴史にすごい興味を持っているんです。雑誌にはひとつの伝統ってのがありますよね。カラーとかが薄れちゃってちょっと方向が変わったりすることもあると思うんですけど。僕は『本の雑誌』のかなり初期からちゃんと買ってたんですよ。最初の頃は、比重として今のエンタテインメント中心という感じではなかったんですよね。椎名(誠)さんも、当時は婦人雑誌のことを書いていたり、村松友視さんが堀切直人さんのことを、武藤康史さんが野口富士男初期の小説を紹介していたり、嵐山(光三郎)さんにしても、亀和田(武)さんにしても、いろんなのを書いていて僕はそれを読んでいた。だから連載って話があったときは、『本の雑誌』のもう一つの流れというか、伝統ってのはこっちにもあるんだっていうので、やったわけです」

▲参加者

 ──なるほど。じゃあ、次の質問に行きます。『三茶日記』を読むと、坪内さんが何時に本を読んで何時頃に原稿書いているかってのが判らないんですけど、基本的に、昼型なんですか、夜型なんですか?

 「昼型です。ただ、連載が始まった頃と今とでは昼型といっても若干変わってきました。前は完全に午前中から仕事して、だいたい6時までしか仕事はしなかったですね。それが、最近は午前中から仕事するってのは、よっぽどこう締切がきついときとかで、基本的には午後からして、8時ぐらいまでですね」

▲インタビュアー目黒考二

 ──『古くさいぞ私は』の中の対談で、松山(巌)さんが人の名前を出すと、坪内さんが生年月日を言ってますね。なんでそんなに詳しいんだろうと思ったんだけど、あれは暗記するんですか?

 「いや、なんかいつの間にか憶えちゃうんです。色川武大さんは映画スターとかお相撲さんがすごく好きで、自分でいろんなお相撲さんを紙で作って名前をつけていたという話がありますが、それは言ってみれば「人間オタク」ということで、僕もその系譜だと思うんです。例えば『文藝春秋』の「社中日記」ってありますよね。毎年6月号恒例の新入社員紹介を僕はかなり精読していますから、年上の人はだいたい知ってるわけです。で、僕より若い、20代から30代ぐらいの人から依頼があって、一度打ち合わせをってことになると、会うときまでに早稲田の図書館へ行って、「社中日記」の彼ら、彼女らの新入社員紹介を読む。そして、さり気なくそのフレーズを出すと、ものすごく相手は驚くわけです。初めましてって来るんだけど、僕の方は既にその人のことを知ってるんです。それ以外にも最近は編集者名が出ている雑誌もあるし、誰かの単行本のあとがきに出てきたりで、それをチェックしています。僕の編集者に対する知識が、編集者の僕に対して持っている知識より、詳しいことが多い。結局、それは人に対する興味でしょうね」

 ──じゃ観客の方の質問に行きましょうか。質問のある方、どうぞ。

▲トークに聞き入る参加者

 観客:『山口昌男さんと知り合ったきっかけは?』

 「僕は1987年の9月16日に『東京人』に入ったんですけど、12月の頭ぐらいに大学の特集をやろうっていう企画が出てて、その特集がお会いするきっかけでした。山口さんは世界中のいろんな大学で先生をされている方だから、ぜひ登場していただきたかった。僕は編集者になりたてで、いろんなアイディアがどんどん湧いていて。で、その時は、アメリカ人作家ジョン・バースの『やぎ少年ジャイルズ』という国書刊行会から2巻分でている非常に面白い小説、内容は、大学「University」をコスモス、ひとつの宇宙に見立てて、そこで生まれ育った変なやぎ少年の話なんですが、山口さんにその小説をふまえて、ご自身の体験を原稿に書いてもらうというものでした。もちろん僕は初対面だったんですけど、年末、ちょうど奥さんが大掃除をされている時にお宅に伺って企画を話したら、山口さんが面白がったんです。若いやつで、なんか本好きで、自分のものも結構読んでて、って。それで「坪内君、面白いね」ということになって、僕らは缶ビールを2本ぐらいずつ飲んだわけです。そうこうするうちに山口さんが「よし、シャンペンを開けよう」と言い出して、それが夕方の4時ぐらい。開けよう! 開けよう! って言ったら、奥さんが「ちょっと、おとうさん、いい加減にしなさい!」って(笑い)。山口さんは結局、「ということで坪内君、今日はこんなところで」と、なったわけです」


▲身振り手振りも入りました
 観客:『福田恆存さんにかわいがられたきっかけは?』

 「福田さんはですね、僕は愛読者だったんですけど、大学1年の時かな2年の時かな、1979年の秋ぐらい、週刊新潮の掲示板みたいなのってありますよね、今でも。あれで、福田さんが書生を探していると読んで、これはチャンスだと思って79年の12月ぐらいに福田さんに会いに行ったんです。いったん書生として話は決まったんですけど、79年の暮れから80年の年明けの間まで、福田さんが肺炎になっちゃったんですね。それでなんとなくなくその話はなくなっちゃったんです。僕は演劇人としての福田さんにも興味はありましたけど、どちらかというと思想家として文学者としての福田さんに興味があったんです。でも福田さんは誤解して、僕が演出家を志望していると思ったんですよ。だから、T.S.(エリオット)の『カクテルパーティ』だとか、シェークスピアとかそういうのやるときに、誘いの電話がかかって来るんです。稽古を見に来なさい、って。それで、稽古場では僕が何故か、福田さんの隣に箱座りして(笑い)。関係ない人間に見られていて、役者の人もすごく稽古しにくかったと思うんですけど」

 観客:『野口悠紀雄氏の『「超」整理法』を批判しているようですが、坪内さんの「整理法」は?』

▲メモを取る参加者。

 「基本的にはですね、図書館でこと足りる本は買わないんです。だから、手元に処分できないで持っているのは、今は有名になった評論家が昔に書いてたミニコミだとか、そういう図書館には絶対なさそうなものです。ただ、そうやっていても、出版社から送られて来る本で山ができちゃうと、そこから全てが崩壊に向かってしまう。送られてくるのは最近の小説やエンタテインメントが多いから、ほとんど読まないのに。で、この山を片づけようと思っているうちに、また出版社から別のが3冊ぐらいきてってなっている内にひどい状態になっちゃう。でもね、この前、ある出版社からその月に発行されたノベルズが全部送られてきたことがあったんですよ。20冊。それは絶対に読まないんです。読まないんだけど、僕の哀しい習性で、著者のプロフィールだけは見ちゃって。○○物産××支店長を経て作家に、とか。これで、著者がまたどこかで登場したら、ちゃんと「あの人だ」ってのが判るようになった。著者プロフィールとか、そういう意味ではノベルズって面白いですよね」

▲トークショーがおこなわれた
ジュンク堂池袋店

 <観客、大いに湧く>

 観客:『ロックがお好きだとうかがいましたが、原稿を書くときには何かをお聞きになってるんですか?』

 「ええ、いつもウォークマンで聞きながら書いています。本を読むときは聞かないですけど、原稿の場合は集中力が高まるときがあるんですね。一番好きなのはアメリカのものですが、イギリスのも日本のも聞きますよ。チャラなんか聞きましたよね、一時。ちなみに(笑い)、今日の午前中はPANTAでした」

 ──じゃ、最後に締めの言葉を。このまま、じゃあって終わらせるわけにはいかないでしょ。

▲終了後にも質問が・・・。

 「みなさん、今日はどうもありがとうございました」

  <盛大な拍手>
  いかがでしたか。坪内さんの人柄や、日常が垣間見えるトーク・セッションでしたね。
坪内さん、これからのお仕事も楽しみにしています!

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