助っ人「鈴木センパイ」ことスーさんが元気です。胸にきらめくバッヂは国会図書館の徽章。心なしか背筋もしゃんと伸び、歩けばまさに肩で風。もうぼくたち庶民の相手はしてくださらないのかもしれません。でも、それもいたしかたないでしょう。もともとスーさんは高貴な家の御曹司。あたしらとは住む世界がちがったんですね。少しのあいだだったけど、いい夢を見させてもらいましたよ。さようなら、スーさん……。
とか思ってたら、ある日、杉江さんがぼくの肩に手を置いて一言。
「来期はお前と鈴木センパイで、社員の座をかけて“入れ替え戦”だな」
えっ。マジすか。それは他人事ではありませんね。
後日。牛角・笹塚店の定額食べ放題セールに高橋美里さんをお招きし、相談に乗ってもらうことにしました。
「ぐびぐび、ぷはー。いったいぼくはどうすればよいのでしょう。このままではスーさんに編集部“期待の新人”の座をとられてしまいます」
「よいではありませんか」
「それがよくないのです。持たざる者にも意地というものがあります……ひっく」
「ならば古典をお読みなさい」
「それはよい考えですね。しかしおそらくはそんな高尚な書物、ぼくには読めないでしょう」
「おそれることはありません。まずはこちらを読まれるがよろしいでしょう。『枕草子』です」
「ありがとうございます。では御礼にこの牛カルビをお召し上がりください」
「いえ、私はナムルでじゅうぶんです。あなたこそよく食べて精進なさい。あ、お兄さん、豚バラを塩味で追加ね」
「では遠慮なく……」
* * *
今回のテキストは『桃尻語訳 枕草子』(河出文庫、全3巻)。訳者の橋本治が長い年月かけて訳したそうですが……。
「春って曙よ! だんだん白くなってく山の上の空が少し明るくなって、紫っぽい雲が細くたなびいてんの!」
なんと軽薄な文章でしょう。すでに冒頭読んだだけで投げ出したい。しかしここで挫折してはスーさんに負けを認めるようなもの。がんばって読み進めることにしました。すると、だんだんハマってくる。ノッてくる。そして迎えた第二十一段。
「宮仕えする女を軽薄でロクでもないことみたいに言って思ってる男なんかさァ、もうホント! すっごく頭来んのッ!!」
清少納言が突然怒りをあらわにするのです。何が起こったのか、ムカつくことでもあったのか、ともかくこれで火がついた彼女、つづく第二十二段の書き出しがすごい。
「うんざりするもん!」
ここから一気に愚痴が炸裂! 昼吠える犬がうんざり、季節外れの服着てる奴もうんざり、儀礼的行為のために訪れた家でご馳走がでなくてうんざり、丁寧に書いて送った手紙が受取人不在で(しかも汚れてブクブクになって)返ってきてあーもううんざり、親しくなったはずの男がよその女のとこに行っちゃうのもさすがにうんざり、眠いときにどうでもいい奴に話しかけられてうんざり、大晦日の夜にせっかく身体を清めたのにそのあとで“寝ちゃって”うんざり……。さらには、説教の先生は顔が美形だとじいーっと見入ってしまうからその言葉も真実らしく聞こえるだの、鼻水垂れたままひっきりなしに喋ってる奴は哀れだの、中産階級の家ごときに雪が降ったり月が照ったりするのは似合わないだの、もう言いたい放題書き放題。
さらには、男が昔の女のことを褒めたからムカつく、だとか、男を今か今かと待ってるときにトビラをノックされて「どちら?」と訊いたら別の男でガッカリ、だとか、お客と話をしているうちに奥のほうでエロ話がはじまってドキとしちゃった、とか、人目を忍んで夜中にやってくる男(通い婚ですからね)の烏帽子が簾にあたってガサゴソ音を立てるのは品がないからもっとうまくやってよね、とか、情事をするならやっぱり夏よ、家の戸をぜんぶの開けっ放しにしてね、ふたりでいるところでカラスが鳴くと、なんかバレちゃったみたいな気がしてシビれるわよねー、とか……。素敵ですね。素晴らしいエッセイストがいたものです。「清少納言といえば清楚で教養のある女性」というイメージは、完全に崩壊しました。
ところで、なんでも開けっ広げに書いているようにみえる清少納言ですが、書いていないことがあります。藤原氏の権力争いの中で、彼女の立場と行く末は、決して楽観できるものではなかった。にもかかわらず、そのことを書いていないのです。その理由として、あえて書かなかった、あるいは書けなかった、ということも考えられるけども、そもそも彼女は(知ってはいても)そういうことを考えないのだ、とみる橋本治の読みが面白い。ふうむ。
女は生きているかぎり純粋に女ではありえない(だって男と同じ社会で生きているし)、だから女の論理だとか、男の論理だとかっていうのはちょっと嘘っぽくなってしまうけど、やっぱり争いごとっていうのは男の論理の中で生まれるものかもしれない。だとしたら、スーさんとの入れ替え戦におののくのも、これまた男の論理に毒されているというものです。よし、おれは女になろう。女になりたい。でも結局その度胸もなくてやっぱり女にはなれないだろうから、せめて、女のことをもっと知りたい。
清少納言の生きた時代、女性は、現代よりもはるかにがんじがらめの制約の中で暮らしをしていたはずです。しかし、その筆はどうしてこんなにも伸びやかで、楽しげなのでしょう。考えても今はわからないから、もっともっといろんなことを知らなくちゃ、と思います。 |