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| ■7月22日:第2回 |
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こないだコンビニで見かけた光景。 女子高生らしき女の子が、雑誌コーナーのサッカーW杯関連本を片っ端からめくりながら、黙々とカラーコピーを取ってました。何やっとんだろうと覗いてみたら、ひたすらベッカムのページだけ探してコピーしとるんですわ。思いっ切り雑誌を開いてペシャンコに押しつぶして。 なるほど、コンビニのコピーって、そういう使用法があるのかと感心しましたよ。一冊まるごと買う気はない。でも、ベッカム様のページだけは欲しい。欲しい分だけ、即コピー。おそるべし、女子高生のドリブル突破感覚。 そんなわけで前回の続きです。サッカーのプレースタイルは、本当にその国の文化や気候風土によって形づくられるものなのか。 たとえば「個人技の南米、組織力の欧州」というフレーズがありますよね。ぼくはあんまりサッカーに詳しくないんで、以前はこれをそのまま受け止めていたわけです。でも、4年前のフランス大会で初めてW杯を真剣に観戦して感じたのは、パラグアイとかチリとか南米のチームのほうがよっぽど組織的なディフェンスの印象が強くて、オランダとかユーゴとか欧州のチームのほうが全然自由奔放じゃん、と。率直な感想としてそう思ったんですよ。 もっと大げさに言うと、南米の国に対する見方が変わりました。南米の人たちって、陽気で、ルーズで、サンバでタンゴで、時間を守らなくて(そこまで言うな)みたいな先入観だったのが、おいおい、日本なんかよりよっぽど規則正しくて、我慢強くて、自己を滅して和を尊ぶ、って感じじゃん! 特にフランス戦のパラグアイに感銘を受けましたですよ。 その程度のことでコロコロとよそ様の国のイメージを変えるなよ、スティーヴ。とにかくそれ以来、「サッカーのプレースタイルはその国の文化や国民性を象徴している」という言い方に、なんとなく疑問を持つようになり(疑問を持つように心がけ)、そんなに単純なもんじゃないんだろうなと思い始めたわけです。だいたいプレースタイルなんて、監督が替われば変わるものじゃないのか、と。 でも、そう言いつつ、やっぱりどこかに、いや、確かに文化や国民性を象徴している部分もあるに違いない、それを見抜けるようになりたいもんだぜと思う自分もいたりして。そんな中で今大会、目の当たりにした北欧の忍耐強さであるとか、韓国のド根性スピリットであるとか、村人を泣かすなよカメルーンとか、乳首を浮かすなよイタリアとか、随所に見受けられるお国柄に納得してしまう部分も多かったわけです。
ようやく本の紹介に入ります。W杯期間中に読んだ、後藤健生『世界サッカー紀行2002』(文芸春秋)。この本のまえがきにこうあります。 <各国のサッカーの発展が、その国の気候や風土、歴史、文化とどう関わっているのかというのがこの本のテーマなのであるが、誤解しないでいただきたいのは、ある国のサッカー・スタイルというものが文化とか国民性によって規定されるわけではないということだ。サッカーのスタイルというのは、なによりもその国のサッカーの歴史、サッカー人たちの努力の積み重ねによって形成されてきたものなのだ> おお、まさにぼくが興味を持っているテーマそのものじゃないか! 今大会の全出場国を含む42カ国が取り上げられています。
<世界のサッカーの奥底には、その地の民族や歴史、社会といったものが複雑に絡み合い、色濃く反映されている。それを現場で、肌で感じることによって「人はなぜサッカーに熱狂するんだろう?」という疑問の答えに迫ろうと、記者たちが世界へ飛び出してルポした> こちらは20カ国が取り上げられています。この二冊をあわせて読んでみると面白いんじゃないでしょうか。 『世界サッカー紀行2002』は、各国のサッカーの歴史や過去のW杯のエピソードが豊富に出てくるのに対し、『フットボール熱狂の源流』はひとひねりした視点−−フランスなら移民問題に、ドイツなら旧東ドイツのクラブに焦点を当てる、といった構成になっています。 さて、ならばこの二冊を読んで解答は見つかったのか……と、まとめたほうがいいのか? とりあえずどちらの本も、読んでいるうちに海外旅行へ出掛けたくなりました。これが一番の感想です。だいたい、スウェーデンやデンマークの忍耐強さが寒い気候風土に由来するのだとしたら、コンサドーレ札幌の忍耐のなさは何なんだってことになっちゃうもんなあ。 |
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