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| ■12月6日:第11回 |
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スポーツの場面場面で発せられた言葉を、なんとなく書き留めておくことがある。ここで本年度の名言グランプリを発表しましょう。 「もうマラソンが人生に喩えられなくなってきていますね、速すぎて」 発言者は増田明美さん。10月13日、シカゴマラソンの中継中に飛び出した言葉です。 今年のシカゴマラソン、女子はラドクリフ(イギリス)が2時間17分18秒の驚異的な世界最高記録で優勝し、男子もハヌーシ(アメリカ)が自身の世界記録にあとわずかと迫る2時間05分56秒の好タイムで優勝しました。 今のマラソンは速すぎて、人生に喩えられない。 素晴らしいなあ。ビバ明美。もう宮沢元総理に似ているなんて言わせない。補足すると、このフレーズが生まれた背景には、単にタイムが速いというだけでなく、正確無比なラップを刻み続けるラドクリフの走りがあった。 ラドクリフは最初から最後まで、5キロ16分05秒〜30秒のラップを乱れなく計時し続けた。このペースで行くと30キロを過ぎて苦しくなるかも知れませんねという予測も当たらない。35キロからが踏ん張りどころですよという勝負の分岐点もない。ガードランナーに囲まれ、他者との駆け引きもない。 そこには山も谷も、予想外のハプニングもない。「このラップを続ければ、最終タイムはこのくらいになります」という、事前のレース・プランを予定通り正確に現実化していく姿があった。 マラソンという競技は、5000mや1万mとまったく異なる次元の特殊種目だったはずなのに、スピード化が進むにつれ、今や5000mの延長線上に位置する種目になりつつある。そのことを、驚きと若干の郷愁も込めて、的確に言い表したのが上記の一言だった。 そういえば増田明美さんは現役時代、自分が前回途中棄権した地点に差し掛かったところで手袋を脱ぎ捨てて「ここからが私の再出発よ」みたいなアピールをしながら走ったことがあった。マラソンに人生を投影しながら走っていた人なのだろう。
増田晶文『速すぎたランナー』(小学館)。 孤高のマラソンランナー、早田俊幸の軌跡を追ったノンフィクションです。 いや、孤高のっていう冠も安易かな。マラソン選手はみな孤高だ。早田俊幸を形容するのに適切な冠は何だろう。五輪の星と期待されながら開花しなかった大器。傑出した才能を持ちながら、度重なる舌禍やトラブルで所属先を転々とした流浪のランナー。快調に飛ばしていても突然失速する30キロまでの男。それでも多くの者(ぼくも含む)が「いつか早田は花開く」と見つめ続け、ひきつけられた強烈な個性。 早田を指導したコーチのこんな言葉が記されている。 「早田は自己表現が下手ですね。いわば子どもです。マラソンではランナーの人間性がすべて出ます。だからこそ、マラソンの適齢期は三十歳前後と言われているんです。人間が完成してないと四二・一九五キロは走り切れない。子どもじゃ無理なんですよ」 マラソンではランナーの人間性がすべて出る。これが本当かどうかはわからない。ラドクリフの走りから人間性を読み取るのは難しいし、出ない選手だっているだろう。しかし、早田の場合にはそれが強く出た。駆け引きの出来ない不器用な気質が、レース運びに表れてしまう。いったん今日はダメかとなると、淡泊にあきらめてしまう。30キロや35キロ地点に壁が存在することを、毎度の失速で見せてしまう。 早田の走りには、マラソンとは人間性が表出する競技であり、人生の比喩であると印象づける力があったのだと思う。 12月1日の福岡国際マラソン。 シドニー五輪金メダリストのアベラと競り合い、2位に入った尾方剛の経歴はメディアで大きく取り上げられた。 高校時代からエリート街道を進み、94年の箱根駅伝では山梨学院大学のアンカーとして優勝に貢献。しかし、その後は故障とストレスでスランプに陥る。一時は全身の毛が抜ける奇病に悩まされながらも、結婚を境に立ち直り、29歳の今、陽の当たる場所へ戻ってきた。積極的に仕掛けてレースをつくり、来年の世界選手権の代表切符も手に入れた。スパート地点には夫人が立っていたという。 マラソンはまだまだ人生の比喩になる。 |
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