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| ■5月12日:第21回 |
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先頭集団9人が全員、ケニアの黒人選手。4月21日のボストン・マラソン男子は、まるでケニアの国内選手権のような様相を呈していました。 「ケニアは高地で、学校へ行くのにも5キロ、10キロ、走って行きますからね」 解説の瀬古利彦さんがそう言うと、実況アナウンサーがジョーク混じりに返す。 「日本も高地に学校をつくって、走って通うしか、かなう方法はないかも知れないですね」
<たとえばウィルソン・キプケテルは、少年時代、毎朝学校まで何キロも走って通ったわけではない。「私は学校のすぐ隣に住んでいた。歩いて通った。のんびりと」> 抜群のタイミングというかシンクロというか、ひとりで妙に受けちまいました。もちろん、ケニア勢の強さの秘密が学校からの距離にあると本気で思っている人はいないでしょうけど、広く浸透していますよね、こういう説って。 この本、個人的な興味の的にジャストミートだったので、少々興奮しながら熟読させていただきました。(だったらマラソン中継を横目で見ながら読むな)。 内容は、黒人アスリートがなぜ強いのかというスポーツ科学的な方面よりも、 ●黒人アスリートが強いのは先天的な資質に恵まれているからだと見なすことが、アメリカではいかにタブー扱いされてきたか。 ●黒人アスリートの活躍や失墜が、人種の対立や解放、時には優生学や人種科学といかにリンクしながら歴史を刻んできたか。 という、どちらかと言えば社会学の話題が盛りだくさんです。 ジャッキー・ロビンソン、ジェシー・オーエンス、ジョー・ルイスらのエピソードも出てきます。お値段は高めですが、ボリュームは平均的なスポーツ本の2冊分はありますから、関心がある人には高くないと思います。 なぜ、黒人アスリートの活躍の理由を「先天的な資質」に求めることが、タブー視されてきたのか。 1・「黒人はスポーツに優れている」と言った場合、そこには「黒人は動物に近いから」あるいは「知能の面では劣っている」という差別的な見方が含まれるから。 2・天性を認めると、人はみな生まれながらに平等である、という前提が崩れてしまうから。この平等性こそ、長い時間をかけて黒人が勝ち得たものなのに。 この二点が大きいようです。それにしても、こんなにもデリケートでアンタッチャブルな話題なのかと、無知なよそ者としては驚いてしまいますよ。日本なら「黒人選手は身体能力が高いですからねえ」という怪しげな一言で済んでしまうのに。 それから、「黒人」というひとくくりで運動能力に結びつけることの危険性も指摘されています。たとえば陸上の長距離と短距離では、同じアフリカ勢でも活躍する国がまったく違うことは周知の事実です。 ずっと不思議だったのは、短距離のトップクラスは主にアメリカやジャマイカ近辺の黒人選手が中心なのに、なぜこの地域から長距離のランナーは出てこないのか。なぜ長距離ではケニアやエチオピアばかりなのか。アフリカでサッカーの強い国はマラソンに弱い気がするけど偶然か。などなどだったんですが、これらの疑問もだいぶすっきりしました。 ちょっと気になったのは、本に登場する選手のカタカナ表記が、日本で定着している表記と違いすぎる点でしょうか。あと、上に出てきたウィルソン・キプケテルも、同姓同名の有名選手がふたりいたりするんですが。 |
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