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WEB本の雑誌これまでのログ倉庫目黒考二の中年授業


当連載がついに単行本に!
人生のワンシーンを呼び起こす
50の寄り道読書エッセイ集。
目黒考二著『新・中年授業』
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目黒考二の中年授業

■第45回
ブルー・アワー(上)
ブルー・アワー(下)
ブルー・アワー(上・下)
T.ジェファソン・パーカー 著
【講談社】
(各)定価 600円(税込)

 ティム・ヘスは67歳である。保安官事務所を退職した元警部補だ。彼はこんなふうに考えている。

「自分もいつかは理性を保つことが難しくなるかもしれない。それで人間が駄目になるわけでもなかろうが、思うようにいかなくなることもあるだろう。老いて役立たずになり、パートナーはもちろん、自分の目にもそれが明らかになる日がくるだろう。が、そういう状況はなんとか乗り越えられると思う。つまり人生の一部が終わったのであり、それは格別不愉快ではないからだ。老いただけのことである。そうなったらバッジと銃を返し、アイダホかオレゴンあたりに買い求めた地所に妻と引っ込み、釣り三昧というのも悪くないと思っていた。孫が遊びにきたら、好きなだけ遊ばせてやろう。それがいい。嫌でも減速せざるを得ない時期がくれば、何もかも落ち着くところに落ち着くだろう。だが、すでにその年齢に達した今、彼が感じているのは恥ずかしさだけだった」

 なぜ恥ずかしさを感じているかというと、アイダホにもオレゴンにも地所はなく、妻もいず、孫もいないからだ。思ったような老後ではなかったからだ。彼はいま、がんに侵され、放射線治療を受けている。孤独な一人暮らしで、財産もなく、非常勤でふたたび現場に復帰している身である。ふたたび、その心中を引く。

「これといって理由らしい理由もないが、自分は75までは生きるだろうと昔から思っていた。75歳とは、ほどほどの年齢ではないか。想像もつかないほどの高齢ではないが、そこまで達するのはまだまた先と思える年齢だ。診断結果を聞くまで、これはいかにもすわりのいい想定として彼の内にあった。今は、どうあっても75歳までは生きねばならぬと考えている。最後の8年は自分のものだ。十二分に生きてやる」

 ようするにティム・ヘスは、「非常勤で働く67歳の孤独な老人で、がんとがんの治療に苦しみ、正体不明の殺人犯を追うことが老後の生きがいになりつつある」のだ。

 ヘスが現場に復帰したのは、マーシー・レイボーンという殺人課巡査部長が、コンビを組む同僚刑事をセクハラで訴え、この34の女性刑事に新しいパートナーをつける必要が生じた昔馴染みから頼まれたからである。ヘスにとって彼女は、昔の同僚の娘であり、いわば自分の子供に等しい年齢なのだが、医療保健を受けるためと生きる目的のために、現場復帰を決意するというわけである。

 一方のマーシーは、容疑者の顔を押さえつけて水洗トイレに突っ込むタフネス刑事だ。だから、ヘスが捜査の過程であれこれ言うと、「ヘス、含蓄のある警句でも、しょっちゅうじゃ嫌になるわ」と、途端に怒りだす。もっとも、ヘスに言わせれば、「老いたしるしなんだ、これも。だれかの役に立つかもしれないと思うと、べらべらしゃべらずにはいられなくなる」というだけのことなのだが。

 T・ジェファーソン・パーカー『ブルー・アワー』(渋谷比佐子訳/講談社文庫)は、このコンビが姿なき殺人犯を追っていく長編小説だ。ここでは二人が主人公になっているが、次の作品からマーシーを主人公にしたシリーズとなり、第三作が先に翻訳された『ブラック・ウォーター』である。

 おやっと思ったのは、下巻の冒頭近くに、こういうシーンが出てきたからだ。緊急の用があるわけでもないのに、ヘスとちょっと話したくなって、マーシーが彼の家を夜訪ねるくだりである。捜査の話をしているうちに、マーシーが突然、「あなたは今でもできる、ヘス?」と言いだすのである。「何を?」を聞き返すヘスに、なおも言う。「だから、あれ。セックス」。なんと遠慮のないヒロインだこと。「だって、もう70近いわけでしょう? できる?」。この問いに、ヘスが何と答えたと思いますか。「非常勤で働く67歳の孤独な老人で、がんとがんの治療に苦しみ、正体不明の殺人犯を追うことが老後の生きがいになりつつある」ヘスは、「むろんだ」と言うのだ。おいおい、「むろん」なのかよ。

 48歳の知人と会ったとき、いまでも週に4回だよと言われたことを思い出す。70歳になってもいまの生活を続けると力強く断言したので驚いたことを思い出す。だって、○○さんは70歳だけどばりばりだよ、と彼は言うのだ。その○○さんのことはよく知らないのだが、そゃあ、そういう人もいるかもしれないけど、それは特別でしょ。普通の人はそうではないでしょ。そう言うと、そうかなあ、普通だと思うけどなあと彼は言った。 何が普通なのか、よくわからないが、ヘスの場合は、がんに侵されている身ではあっても、67歳でサーフィンしたりもするから、もともとが頑健なのだと思われる。そういえば、ヘスとコンビを組むことになったとき、「そのうちベッドに引っ張り込まれるぜ。四度だか結婚してるらしいからな」とマーシーが同僚から言われる場面もある。ヘスの名誉のために付け加えておくと、結婚したのは四度ではなく三度だ。それにヘスに言わせれば、すべて愛のためであり、別れたことで傷ついている。もっとも、死体置き場で突然勃起するシーンもあったりするから、やっぱり元気な爺様であることに違いはないのだが。 で、下巻の真ん中あたりまで読み進むと、マーシーが「あなたの髪に触ってみたい」と言いだすのである。「むろんだ」と言う男に、そんなことしていいのかマーシー。ここから先は、とても心穏やかには読めない。私の心は千々に乱れるのであった。




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