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WEB本の雑誌これまでのログ倉庫目黒考二の中年授業


当連載がついに単行本に!
人生のワンシーンを呼び起こす
50の寄り道読書エッセイ集。
目黒考二著『新・中年授業』
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目黒考二の中年授業

■第48回
夜の電話のあなたの声は
『夜の電話のあなたの声は』
藤堂志津子著
【文藝春秋】
定価 1,400円(税込)

 なんだか哀しくなる。それが、藤堂志津子『夜の電話のあなたの声は』(文藝春秋)に収められている「雨の夜にホテルへ」のラストシーンだ。

 この中篇のストーリーを簡単に紹介する。いや、ラストシーンを割るからには全部紹介しなければならないので、未読の方は注意されたい。

 ヒロインは33歳の統子。「ともかく半年間つきあってみたんだし、そのうえで、きみとは長くやってゆけそうにないとわかった。これがおれの結論だ。きみがどう言おうと、この先、きみとかかわってゆくつもりはない」と、桜木から一方的に別れの電話をもらうのが冒頭である。で、桜木が以前住んでいたアパートの周辺をうろつくようになる。いろいろ回想が挿入されるのだが、その近くの雑居ビルのなかにある小さな酒場のカウンターにつっぷして寝ているところを起こされるのが現在だ。知らない男たちと賑やかに飲んでいたのだが、残っているのは一人だけ。

「おたくさ、コジマに関心があるみたいだけど、あいつは無理だよ。ほかのやつらはともかく、あいつはな。新婚3ヵ月目で、まだまだ女房に惚れこんでるからさ」と男は言う。たしかに統子の好みのタイプがいたから、気さくに話しかけ、如才なく男たちの仲間に入ってわざとらしくも陽気に笑いつづけては飲んだのだが、見込みがないのなら、とやかく言ってもはじまらない。さっさとあきらめるにかぎる。コジマたちは別の店に飲みにいったという。店を出ると雨。送っていくという男を振り切って、雨やどりのために、目についた居酒屋に入ると、さっきの男も続いて入ってくる。何の特徴もない普通の男だ。あれこれと話しかけてきて、うるさい。

 で、出ようとすると、「まさか、コジマたちとこっそり約束していて、どっかで落ち合うんじゃないだろうな」と見当違いのことを言いだすから面倒くさくなる。「おれがいちばん好きだった子は、まあ、そうは言っても片想いだったけど、あのコジマのやつがちょっかいだしてよ、その子の人生をおかしくさせちまった。コジマによると、その子が勝手にコジマに惚れこんで近づいたってことになるけどな。噂では、会社勤めを辞めて、いまは、かなりヤバイ店のソープ嬢をやってるらしい」とか、「もてあそんで捨てるのがあいつの趣味さ」とか、とにかくうるさい。

 統子がその男をホテルに誘うのは、酒を飲むと相手は誰でもよくなってくるいつもの性癖にすぎない。で、ホテルを出て、最初の酒場に戻る。ほの暗い照明のなかに、カウンターの内側に立つママの姿と、カウンター席にへばりついているような二、三人の客がいる。「あら、ま−−お帰りなさい」とママは目を丸くする。カウンターの奥の席にいた男が振り返って、こう言う。

「おれの言ったとおりだろ? 彼女はぜったいここにもどってくる、おれに会いに引き返してくるって。女に対する、おれの神通力は、まだまだイケるな。ママ、賭けに勝ったんだから、飲み代、半額にしてもらうぞ」

 ラスト4行はこうだ。「統子はいそいで引き返そうとした。/店からでていこうと思った。/けれど、コジマに射すくめられたように、その場から動けなかった。/酔ってもいた」。ここで、この中篇はすとんと終わっている。このラストシーンが、私にはひどく哀しい。では、なぜ哀しいのか。

 実は、ここまでの経緯は表面上のストーリーにすぎない。この中篇の核は、統子と桜木がSM関係にあったこと、レズビアンの親しい女友だちが出来たら、彼女が膵臓がんで亡くなってしまったこと、この二つだ。桜木がなぜ去ってしまったのか、統子にはわかっているのである。それは、桜木の体に馬乗りになり、彼の首に巻いた布の両端を、その程度を探りつつ、じりじりとしめていたとき、何かの拍子に自制心と判断力を失ったことがあるのだ。そのときの述懐を引く。

「そのとたん、すさまじい憎しみだけが、火のように全身に渦巻いた。/こんな男は殺してもよかった。死んでくれたほうが、よっぽどましだった。物心ついた2歳のころから、いつも、たえまなく、そばにいるかぎり、言葉で自分をいじめつづけ、いたぶり、せせら笑い、打ちのめしてきたのが、この男なのだ。統子が傷つき、歯を食いしばって泣くまいと必死になる顔を前にして、男はさらに毒々しい言葉を投げつけてきたものだった。それは20年くりかえされた。統子が家を出て、ひとり暮らしをはじめるまでである」

 で、統子は布の両端を交錯させて、力いっぱいしめつける。「じじい、死ね−−じじい、死んじまえ」と。桜木はそんな統子がこわくなって逃げ出したのである。

 膵臓がんで亡くなった女友だちの「言ったじゃない、私、基本的に男もオッケーなんだって。ま、これは冗談にしても、ともかく、私は男はきらいじゃないからね、きっと亡くなった父に、ものすごく可愛がられて育ったからだと思うな。(略)そのぐらい私は父が大好きだった。もしかすると、父以上にほかの男を好きになるのがいやで、だから、男じゃなく女に惚れこむのかもしれないっていう気は、自分でもしているな」という言葉をここに重ねれば、「所詮、男は、やさしくない、不快な存在だった。信用ならない生きものなのだ」という統子の感情が、幼いころからのトラウマであることがわかる。

 あのラストシーンが哀しいのは、家庭というものがここまで人間の感情を支配するのかということに対する哀しみにほかならない。




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