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WEB本の雑誌これまでのログ倉庫目黒考二の中年授業


当連載がついに単行本に!
人生のワンシーンを呼び起こす
50の寄り道読書エッセイ集。
目黒考二著『新・中年授業』
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目黒考二の中年授業

■第49回
金門島流離譚
金門島流離譚
船戸与一著
【毎日新聞社】
定価 1,890円(税込)
 船戸与一『金門島流離譚』(毎日新聞社)の主人公藤堂義春は、イオン・ブルカンにこう言う。「金門と馬祖が台湾領だという国際的な根拠はどこにもないんだよ、何せ国民党が受け継いだのは旧・日本の版図だけだからな。しかし、台湾の実効支配はずっとつづいている。使われてる通貨も人民元じゃなく台湾元だし、金門や馬祖で生まれた連中は台湾の教育を受けるんだからな。それでも、台湾やここに住んでる連中は金門や馬祖が台湾の領土だという認識がない。かといって中華人民共和国の領土だとも考えてないんだよ。つまり、金門や馬祖は領土的にはどこにたいしても帰属意識がないと言っていいだろう」

「要するに、ここは現代史のなかでぽっかり開いた空白の島なんだよ。台湾本土からは航空機、大陸からは定期のフェリー便がやって来るが、ここには入国管理事務所もなければ、税関もない。金門島に来るにはだれも旅券や査証も必要ないんだよ。それがわたしたちのビジネスを可能としてる」

 ここでいう「わたしたちのビジネス」とは、煙草、ウィスキー、ブランド品のバッグ、時計など、中国本土から持ち込まれる偽造品の売買だ。金門島はその中継基地なのである。売り手と買い手の間に立って金門島で仕切っているのが藤堂義春。イオン・ブルカンはロシア・マフィアの買い付け係だ。この男はルーマニア人で、その父親はチャウシェスク時代ルーマニア共産党の幹部。チャウシェスク政権崩壊後、父親は民衆の怨嗟の的になって自殺したが、残されたブルカンはロシア・マフィアと手を組んで生き延び、この島にやってくる。もちろん競争相手はたくさんいて、しかも背景には複雑な政治情勢も絡んでいるから、事は単純ではなく、その複雑な渦に藤堂義春も巻き込まれていくのだが、ここでは別のことを取り上げたい。

 この藤堂義春49歳は元商社マン。勤めていた社の専務の娘奈津子と結婚したものの、10年前に退職して、一人で金門島で暮らしている。奈津子には月に一万ドル送金しているだけ。「その義父は女を殺して東京から消えたことになっている」とさりげなく書かれていて何やらわけありだが、これもここでは取り上げない。藤堂義春がどうして金門島に流れてきたのかも、徐々に明らかになってくるが、それにもあえて触れないでおく。大学時代の級友で、テレビの制作プロダクションを経営している圭介が金門島にやってきて、そのうちに奈津子もやってきて、思わぬことをしらされるはめになるのも、ここでは全部省略する。藤堂義春と奈津子が、正式な離婚はしてないものの、ほとんど別居状態であることを押さえておけばいい。

 物語の終わり近くで、藤堂義春の息子卓郎が金門島に突然やってくるのである。8歳のときから会ってないから10年ぶりの再会である。この場面が痛い。読んでいると胸が苦しくなる。というのは、その息子が「何もねえとこだな、金門ってえのは」とちんぴら然としているからだ。だから義春は次のように述懐する。

「口の利きかたはもちろんだが、気になるのは卓郎の眼つきだった。どことなく卑屈で小狡そうだった。尊大ぶることによってそれを隠そうとしている。幼いころの面影は宿していても、性格はさま変わりしていることはまちがいない。何があったというのだ、こいつに? わたしは口の利きかたよりむしろ眼つきの下品さに打ちのめされたような気がした」

 英語が流暢なので、どこで覚えたんだと尋ねると、「これがいるんだよ、これが」と小指を立て、「ニュージーランドから来た女で日本語がほとんど喋れねえ。だから、おれが英語を覚えるしかなかった」と言う。「何歳ぐらいなんだ」と聞くと、「それが婆あなんだよ。もうすぐ五十になる。胸はだらんと垂れてるし、腹がぽこんと出てる。ベッドのうえじゃ厭になるほどしつこくてな、ときどきうんざりするよ」と吐き捨てる。「英語を覚えるために付き合っているのか」という問いに対する返事は次のようなものだ。

「冗談じゃねえ、おれはべつに英語なんて覚えたくもねえよ。すべては金銭のためだよ、金銭! 金銭をくんなきゃだれがあんな婆あにサービスするかよ」

 卓郎が金門島にやってきたのは、母奈津子に頼まれて離婚届を持ってきたからだが、彼は「おれにも慰謝料をよこせ」と催促する。それが目的でやってきたようだ。「ずばりと決めようや。二千万。それで手を打つよ」

 その金でどうするつもりだと尋ねると、「デートクラブを作る。女の子に不自由はしねえ。売りたがってる高校生はごろごろいるからな。どこかのマンションを借りて営業する。泣いて悦ぶ爺いどもが集まって来らあね、ちょろいもんだよ」と言うし、事務所に来ると、秘書役の女性について、「あれは抱き心地のいい女だぞ、親父、おれにぴったりの趣味だよ。服のうえからでもわからあね、おっぱいは上向きでぷりぷりと反撥力がある。出っ尻もいいな。あの股倉は想像するだけで涎が出らあね」と言うから下品きわまりない。 実はイオン・ブルカンも同じ女性に対して、「年齢は三十二、三ってところだろ? あのむちむちっとした体、たまらないな。肌もしっとりしてるし」と感想をもらしているから、下品なのは卓郎だけではないのだが(もっともブルカンは、卑屈で小狡そうな眼つきをしていないが)、息子がそういう男の一人だというのはショックだ。その現実に直面した義春の心中を思うだけで胸が痛くなる。

 10年ぶりの再会だから心の準備がないということもあるだろう。いきなり会ったら、息子が下品で、しかも卑屈で小狡そうな眼つきをしていた、というのは、ホント、勘弁してほしい。人生でいちばん辛いシチュエーションというのは、こういう瞬間を言うのではないか。そんな気がしてくる。義春にも息子を責める資格はないのだが(詳しくは本書を読まれたい)、しかしだからこそ、いっそう辛いのである。



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