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『ウエルカム・ホーム!』
鷺沢萠 著
【新潮社】
定価 1,365円(税込) |
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鷺沢萠『ウエルカム・ホーム!』(新潮社)に収められている「児島律子のウエルカム・ホーム」の主人公、児島律子の履歴について、まず最初に書いておく。
短大を出た律子は大手の証券会社に就職し、顧客の平岡と21歳のときに結婚する。そのくだりを引く。
「16歳という年齢差が気にならなかったといえば嘘になるが、律子にとってはほとんど初恋である。誘われて何度か一緒に食事をし、ドライブをし、映画を見に行き、ということを繰り返しているうちに自然と性的な関係ができて、自然な結果として妊娠をしたが、その子どもは3か月で流れた」
それでも平岡と結婚することになるが、律子は仕事をやめず、そのうちに平岡に女が出来て、そちらに子どもが生まれたことで離婚。それを契機に律子に社を辞めてアメリカに渡り、もう一度勉強し直して、現地で証券会社に就職する。6年後、日本支社に転勤になり、パーティーで知り合った石井と結婚。相手は再婚で、前妻の娘聖奈がいる。この石井もかなり問題で、事業資金が足りなくなるたびに律子の金を引っ張り、女遊びもやめようとしない(なんで、こんな男と再婚したんだ!)。「育児を含めた家事全般は嫁としての当然のつとめ」と考えているらしい姑は何も手伝ってくれないので,律子は自分で稼いで自分で家計をやりくりし自分で聖奈を育てるという生活が始まっていく。そのくだりから引く。
「飯倉の石井の家は、石井が前の結婚をした時点ですでに二世帯住宅方式になっていたから、少なくても舅姑の食事の面倒までは見ずに済んだ。しかし寝る間を惜しんで聖奈のために小学校の担任教師とのあいだで交わされる連絡ノートに目を通し、あるいは運動服に名札を縫い付けている律子の状況を知りながら、今日はオトモダチに誘われたからお芝居を見に行ってくるわ、と出かけていく姑の和服姿を見るたび、律子は恨めしい、というのではなく、どちらかというとキツネにつままれたような気持ちになった」
石井が女遊びを始めても律子が怒らなかったのは、石井が家に寄りつかないほうが、聖奈のために割ける時間が増えると思っていたからだ。この娘は天使のように可愛いのである。物語に挿入される過去の回想の中で、平岡との結婚よりも石井との結婚のほうの分量が多いのは、この聖奈という少女の存在のためにほかならないが、その聖奈は次のように描かれている。
「子どもは、大人よりずっと愛情に敏感だ。そしてその本質を知っている。聖奈は周囲にいる大人の中で「自分を愛してくれるひと」が誰であるかをすぐに察知した。律子が石井の家に来るまで、聖奈がその小さな体でどのように暮らしていたのかは定かではないが、律子が新しい母親になってすぐに、聖奈は律子を「お母さん」と呼びはじめた」
その聖奈がグレ始めるのは中学に入ってからだ。それから紆余曲折、石井家一族から追われるように離婚した律子にはもうどうすることも出来ない。聞くところによると石井は3度目の結婚をしたらしい。聖奈にはまた新しい母親が出来たということだ。で、それから四年たった現在、もしかしたらと律子は聖奈からの電話を待ち続けるが、彼女からは音沙汰がない。ここからこの物語は始まっていく。
40代の律子は、会社ではやり手のほうであることも書いておかなければならない。もっとも、「あたし、児島さんが目標なんです」と言う後輩のシゲちゃんに、「児島さんの話聞いてると、なんか、結婚するのコワくなっちゃうんですよね」と言われるから、私生活のほうは心許ない。男運が悪いという範疇を著しく逸脱しているようにも思う。
問題は、律子自身が「自分には形のある何か」がまったくないと感じていることだ。これまでの人生を後悔しているわけではないが、その欠落感が彼女にはある。会社では優遇されていても、仕事はたしかに面白くても、なにか満たされないものを彼女は感じている。そこに一人の青年が訪ねてくるのが、真の始まりである。
ここから先は紹介しないほうがいいだろう。あとは本書をお読みいただきたい。久しぶりに落涙した小説だ。恥ずかしいくらいに涙があふれ出て、胸が痛くなった。こういう状況に置かれたら、私も律子と一緒に泣いてしまうだろう。そう考えるだけで、また涙があふれ出る。
「ふつうとは少しかたちが違うけれど、とっても温かいふたつの家族の情景を描いた心ぬくぬくの物語」と帯にあるように、これは家族小説といっていい。「ふたつ」とあるのは、「渡辺毅のウエルカム・ホーム」というもう一篇が収録されているからで、こちらもなかなかにいいが、それも本書をお読みいただくとして、ここでは「形のある何か」が律子にとって何であったのか、の顛末をご覧いただきたい。その「形のある何か」とは、けっして戸籍上の家族を持つということではない。家族を持てば、「形のある何か」が得られるわけではない。私たちに必要なのは、人と人とが繋がっているという強い確信だ。それを持つことがなかなか出来ないから、私たちは欠落感とともに生きざるを得ないのである。「児島律子のウエルカム・ホーム」は、律子がその確信を得るまでの話である。あふれ出る涙は、律子がその確信を得たことの安堵であり、救済にほかならない。男運は悪かったけど、人生の運が悪かったわけではないと安堵するのである。 |