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WEB本の雑誌これまでのログ倉庫目黒考二の中年授業


当連載がついに単行本に!
人生のワンシーンを呼び起こす
50の寄り道読書エッセイ集。
目黒考二著『新・中年授業』
発売中!

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目黒考二の中年授業

■第56回
秋の花火
秋の花火
篠田節子 著
【文藝春秋】
定価 1,700円(税込)
 
 篠田節子『秋の花火』(文藝春秋)に、「灯油の尽きるとき」という作品が収録されているが、「四十過ぎの男が、体目当てで女に近づくわけがないだろう」という男の台詞で立ち止まってしまった。あと数カ月で40歳になる昌美に、「体だけが目当てだったんでしょう」と言われて、その男、橋本は続けてこう付け加える。「体目当てなら、若い子にするよ」。ここで立ち止まってしまったのは、本当にそうなんだろうかという気がするからだ。

 その前に、昌美の生活を少しだけ紹介しておく。12年前に脳梗塞で倒れ、半身不随になった義母を、定年退職した義父と一緒に看護してきたが、その義父も九年前に逝き、それからずっとひとりで義母の看護をしているというのが、このヒロインの事情である。住宅販売会社に勤める夫は仕事が忙しく、休日も接待ゴルフに出かけていくので、義母の看護は昌美ひとりの肩にかかっている。その心中は次のように描かれている。

「亡くなるまでのことだからと当然のように引き受けたたはずが、まさか十年以上も続くとは想像だにしなかった。しかも症状が回復することはなく、次第に下半身は萎え、三、四年前から痴呆も始まったから、長時間、家を空けることができない。青森にある実家にも、父の葬式以来、帰っていない」

 女友達に電話をかけるとどうしても愚痴になり、「発展性、ないのよ。あなたの話」と言われて、疎遠になっていくばかり。子供のいない昌美には主婦友達もいない。訪問看護に来てくれる看護婦からは「介護っていうのは、ちょっとした工夫と心づかいなんです」と言われ、つまりは「もっとがんばれ、その気になれば、もっと良くできる」と尻を叩かれるような気がしてくる。そういう激しい疲労感と憂鬱のなかに、このヒロインはいる。

 その義母が肺炎をおこして短期間入院するようになると、昌美は連日、電車とバスを乗り継ぎ、2時間かけて病院に通うようになるが、介護のために24時間家に縛りつけられるのに比べれば、はるかに楽。ささやかな解放感もある。で、高校時代の友人を呼び出して待ち合わせの場所に立っていると、「あの、まあこ−−さん?」と男から声をかけられるのが、この短編の冒頭である。「すいません、お待たせして。寒いですから、とりあえず入りますか」と言われ、喫茶店に入ることになるが、ようするに勘違い。男はテレクラに電話をかけてきた女とアルタの前で待ち合わせしていたのだが、その女性も「まあこ」だったらしい。高校時代の友人に電話すると仕事が入って無理になったと言うし、昌美はその男、橋本と結局食事をすることになる。もっともその日は食事だけで、携帯の番号を書いた紙片を貰っても、家に帰るなりすぐに捨ててしまったほど、この段階では再度会おうとは思っていない。

 事態が急変するのは、義母が退院してくることが決まり、風呂場とトイレを直したいと夫に言うところからだ。昌美にしてみれば、「狭いトイレでは、尿意や便意を催した義母を支えて便座に座らせるまでに手間がかかり、最近ではしばしば間に合わないことがある。段差のある狭い洗い場で、不自然な姿勢で義母の体を洗い、湯に入れるのは辛い」という事情があるのだが、「しかし夫にとっては、そうした家庭内の雑事は些末に映る。底無しの不動産不況でいっこうに上向かぬ業績の方が、夫にとっては遙かに深刻な問題」らしく、即座に首を振られるのである。昌美は黙りこむが、この瞬間に、この12年間の思いが噴出していく。唇を噛んで、屑籠のゴミを袋につめて捨てようとすると、その底にはりついていた一枚の紙片を発見し、こうなると、橋本に電話するのをもう止められない。で、会えば、ホテルに行くのも時間の問題となる。その場面も引いておく。

「生温かい湯の中で、昌美はさまざまな不自然な姿勢を取らされた。勝ち進んでいくスポーツプレイヤーさながらの生き生きとした表情で、そそり立った性器を誇示しながら、橋本は一言も言葉を発することなく、忙しない愛撫を繰り返す」

「自分の身体と人格が切り離され単なる物になっていくという絶望感と、何の脈絡もなく体を走る戦慄めいた快感の狭間で、昌美は混乱していた」

 夫婦間の性は十数年なかったので、昌美にとっては久しぶりのセックスだったが、そうして何度か体を重ねているうちに、前記の台詞が登場するというわけである。「じゃあ、どうして」と尋ねる昌美に、橋本が語る動機については本書をお読みいただきたい。そういう動機もあるだろうと一応は納得する。いや、そういうことを考える男もいるだろうということだ。だから、この先は小説を離れた一般論になる。

「四十過ぎの男が、体目当てで女に近づくわけがないだろう」と橋本は言うけれど、さらに「体目当てなら、若い子にするよ」と言うけれど、本当にそうなのかとの疑問は禁じえない。なぜなら、私の周囲の男たちは40どころか50に近いというのに、みな単純に元気だからだ。若い子だろうが、中年だろうが、目の前にいる女性に熱心に向かっていく光景を見ていると、重要なのは性に対する彼ら自身の情熱にほかならない、という気になってくる。つまり、相手の年齢は問題ではないのだ。橋本のように屈折している男は残念ながら少ない。「体目当てなら、若い子にする」というのは、男に対する女性の幻想なのではないか、という気がするがどうか。



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