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WEB本の雑誌これまでのログ倉庫目黒考二の中年授業


当連載がついに単行本に!
人生のワンシーンを呼び起こす
50の寄り道読書エッセイ集。
目黒考二著『新・中年授業』
発売中!

『新・中年授業』 詳細はこちら
目黒考二の中年授業

■第58回
男の始末
『 男の始末 』
藤堂志津子著
【講談社】
定価 1,470円(税込)
 
 藤堂志津子『男の始末』(講談社)の冒頭に、74歳の桐が、娘の美衣子に次のように言うシーンがある。ちょいと長くなるが、まずはその台詞を引く。

「賭けごとにのめりこんでばかりいる、ぐうたらな、ろくでもない亭主だったよ。理容師の免状を持ってるんだから、働く気があれば、どこででも、そこそこ稼げるのに、そういう地道で、堅実な努力ってものは、どこかでばかにしている。賭けごとで大儲けしたことが何回かあるらしく、それで働いて小銭を稼ぐことを、なめてかかるようになったんだね。賭けごとで儲けても、それは全部、酒や女や自分のおしゃれにつかって、うちには一円も入れてくれなかったもんだよ。それどころか、あたしが必死にかくしといた、なけなしのへそくりまで家中かきまわして探しだし、それを持って賭けごとに走るありさまさ。しかも、あんたがあたしのおなかにいるときにだよ。美衣子、よくおぼえとき。賭けごとをする男には、大人になっても、ぜったいに近づいちゃだめだからね。ひどい目にあうのがおちだ」

 美衣子が生後1歳にならないうちに生き別れた実父についての母の感想だ。美衣子が子供のころ、父について尋ねると、母はこう言ったという回想である。では賭け事をする男に近づかなければ幸せになるのかというと、そうでもない。

 美衣子はいま五十歳だが、十九歳のとき一回目の結婚をする。その相手前園は、「外見のいい、おしゃれな男で、しかも、若い娘たちの心をくすぐる、ワルで、やくざな言動が得意な男」であった。今から思うと、じつにくだらないチンピラだったにすぎないと思うものの、そのころは彼の関心を自分ひとりにむけさせることにやっきになり、前園の子を妊娠して結婚。ところが、前園はそれまで勤めていた不動産会社を辞め、さらには外泊が始まって、すったもんだの末に離婚する。それから四年後、今度はタクシー・ドライバーの三浦と知り合って、二度目の結婚。この男も見かけのいい男だったが、長男吉樹が2歳になったころ、「申し訳ないが、夫の三浦を、自分たち母子のもとに返してもらえないだろうか」と電話がきて仰天。結局、離婚することになって、美衣子に残されたのは、長女の晴香と長男の吉樹だけ。で、5年前に5歳年下の青野と同居。いまも内縁関係にある。青野は中小企業に勤めるサラリーマンだ。最初のころは性的関係もあったものの、今は単なる同居人になっていて、これでは何のために内縁関係にあるのか、これなら同性の同居人でもよかったという思いの中にいる。

 面白いのは(いや、面白いと言っちゃいけないか)、長女晴香と長男吉樹が、美男美女であることだ。父がそれぞれ見かけのいい男だったので、その容姿を継いでいる。では、美男美女なら幸せになるかというと、これも、そうでもないから面白い。

 長女の晴香は30歳だが、その年齢にして、いま一緒に暮らしている男は四人目。ひとりの男につきひとり子供をうんでいて、いまは四人目をうむかどうしようかとまよっている。だから祖母の桐はこう嘆いている。

「どうして、うちの女たちは、こうもそろいもそろって男運がないのかねえ」「晴香ちゃんは、まだまだ山あり谷ありの人生を送りそうだよ。だって、あの子、きれいすぎるもの、男がほっとかない」

 23歳の吉樹は、12歳年上の金持ちの未亡人と同棲中で、未亡人が資金を出して、しゃれた小さなレストランをひらき、吉樹がマネージャーにおさまるといった話がこの春から進行している。うまくいけばそれにこしたことはないが、しかし、吉樹が未亡人に捨てられ、職も失い、人生を台なしにすることを美衣子はおそれている。ようするに、晴香も吉樹も、異性関係においては相手にのめりこみ、めろめろになって、それ以外の者の言葉など耳に入らないタイプなのだ。だから、「ふたりの子供が、そろいもそろって、なぜに、こう月並みであってはくれないのだろう」と美衣子はため息をつくのである。

 正確に記すならば、晴香と吉樹はそれぞれ、現在の生活について不満を抱いているわけではないので、幸せではないとは言い切れない。問題は、美男美女でも幸せになるとは限らないと、母親の美衣子が考えていることだ。自分の生活、そして晴香と吉樹の現在を見て、なんだかなあという思いの中にいることだ。

 小説はこのあと、思わぬ展開を示していくけれど、それは本書をお読みいただくことにして、ここでは美衣子50歳の、その思いにこだわりたい。

「賭けごとをする男には、大人になっても、ぜったいに近づいちゃだめだ」と母の桐は言うけれど、本当にそうなのかと疑念をはさみたいのだ。「賭けごとで儲けても、それは全部、酒や女や自分のおしゃれにつかって、うちには一円も入れない」というのはたしかに問題ではあるが、これは極端すぎないか。賭け事をする人間にまつわるそういうイメージの流布は、画一的な人間分類法ではないのかと、言いたいのである。「賭け事をする男とだけは一緒になるな。それが母の遺言でした」という冒頭から始まったのは佐藤正午の『恋におちて』だったと思うけれど、小説の評価を離れて言うならば、そういう区分けはもうやめていただきたいのである。もし美衣子が、賭け事をやる男と一緒になっていれば、それも適度に賭け事をして、たまに勝ったら妻とその喜びをわかちあい(ホントか)、けっして仕事も生活もしくじらない男と一緒になっていれば、働きもせず、女の尻を追いかけるだけの見かけのいい男と一緒になるよりも、あるいは幸せになっていたかもしれない。そうではないとは誰にも言い切れない。賭け事をやる人間を、ただそれだけのことで、最初から排除しないでいただきたいと切に願うのである



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