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『明日の記憶』
荻原浩著
【光文社】
定価 1,575円(税込) |
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つい先日、京王線の新宿駅で降り、改札口を出た瞬間に、はてオレはどこへ行こうとしているんだろとわからなくなった。手に持っている荷物を見ると、競馬場に行くところではない。すぐに、ああ自宅に帰るんだと気づいたが、次の瞬間、ええと、自宅に帰るには何に乗るんだとわからなくなり、小田急線だと気づくまで数秒の間があった。後日、その話をすると会社の連中は大笑い。私もそのときは笑ったのだが、荻原浩『明日の記憶』(光文社)を読むと笑えなくなる。
この小説の主人公は、広告代理店の営業部長をつとめる50歳の佐伯。会議の約束を忘れる。相手の名前を忘れる。そういう現象が続いて、最初は物忘れ程度と軽く考えていたが、その記憶の喪失はどんどん加速度を増して、慌て始める。そこで佐伯はメモを取ることにする。いま相手の言ったこと。相手の名前とその容貌の特徴。仕事の案件。そのすべてをメモにとり、その未整理のメモでポケットが膨らんでいく。そして、若年性アルツハイマーの初期症状と診断されるのである。
この長編の最初のほうに、こういうくだりがある。
「アルツハイマーにかかった場合、最初にあいまいになってしまうのが、直前の記憶や短期の記憶だそうだ。いま自分が見たもの、言ったこと、したことを、次の瞬間に忘れてしまう。あるいは新しく覚えたことや、数日前の約束などが頭から消え去る。これはアルツハイマーが最初に冒すのが、短い期間の記憶を保存する脳の中の「海馬」と呼ばれる部分だからだそうだ」
改札口を出た瞬間に、オレはどこへ行くんだっけとわからなくなるのは、直前の記憶、あるいは短期の記憶なんだろうか。誰か教えてほしい。私、ホントに物忘れがひどいのである。酒場で言ったことはほとんど覚えてないし、読んだ本ですらさっぱりと忘れてしまう。弁解しておくと、それは最近の傾向ではなく、ずいぶん昔からだ。その本を読んだかどうかまったく記憶にないので、友人に電話するのである。「あのさあ、この本、オレ、読んだかなあ」と尋ねると、「それ、読んでるよ」と断言してくれる得難い友がいて、「で、オレ、褒めてたの?」「絶賛してたよ」とまで教えてくれるから、友はありがたい。ええと、何の話だ。
佐伯の父は71歳で発病したので、その怖さを佐伯は知っている。「アルツハイマーは治療して回復する病気じゃない。基本的にいまの医学では治療不能だ」と、知っている。そのくだりを引く。
「アルツハイマーは単に記憶がそこなわれていくだけの病気じゃない。人格も失われていくのだ。父もそうだった。温厚な人だったのに理由もなく怒り出したり、わけもなく人を疑るようになった。正月に帰った時も、母や義姉が飯を出してくれないと、食器を片づけたばかりのテーブルの前で私に何度も訴えた。家に長くこもるようになってからは、目の光と、声の張りと、表情を失った」
別のくだりから、もっと引く。
「アルツハイマーの進行は年齢が逆行していくと考えると、わかりやすい。幼児が感情を獲得し、言葉を覚え、知識と記憶をたくわえ、計算能力を発達させ、しだいにひとりでなんでもできるようになる。これとまったく逆の現象が起きていくのだそうだ」「つまり、これから先は、少しづつ記憶と知性を失い、簡単な計算がおぼつかなくなり、言葉が喋れなくなり、ひとりでは服も着替えられず、トイレにも行けなくなって、最後には微笑むことも忘れてしまうということだ。長い長いホームビデオのテープを巻き戻すように」
この小説の終わり間近に、どんな調理法をしても魚からは海辺の潮だまりに似た臭いしかせず、青物野菜は喉に藁を詰めているようで、肉は血の臭いのするゴムそっくりだというくだりがあるが、味覚と臭覚も失っていくのである。
私の母も70歳すぎに発病したので、その怖さは承知していたが、若年性アルツハイマーというのがあるとは知らなかった。私はこの佐伯よりも10歳ほど上なので、たとえいま発病しても若年性とは言わないのかもしれないが。
荻原浩のこの長編は、陶芸家の先生や部下のOLなど、不必要と思われる挿話もあり、いくぶんぎくしゃくしている感は否めないが、しかしラストがいい。「基本的にいまの医学では治療不能」なので、あとは当の本人がどのような境地にたどりつくかしかないのだ。不安と恐怖に怯えながら、佐伯がたどりつく地点はラストに描出されているが、その美しさと哀しみに胸を打たれる。
そしてこのくだりで、母のことを思い出すのである。アルツハイマーを発病し、7年寝たきりだった母は、途中から子供たちの顔さえ忘れ、時折訪ねていくと、じろりと睨んできたことを思い出す。アルツハイマーの典型的な症状だ。だから、母の罪ではない。死ぬ直前まで身のまわりの世話をした父に向かっても、「あなたは誰ですか」と話しかけたという。あのとき母は、まだ意識が混濁する前の母は、不安と恐怖に怯えながらも、「自分の病気も、もう恐れはしなかった。私自身が私を忘れても、まだ生命が残っている。そのことを初めて嬉しいことだと思った」と考えていただろうか。そう考えていた、と私は信じる。 |