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WEB本の雑誌これまでのログ倉庫目黒考二の中年授業


当連載がついに単行本に!
人生のワンシーンを呼び起こす
50の寄り道読書エッセイ集。
目黒考二著『新・中年授業』
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目黒考二の中年授業

■第63回
対岸の彼女
対岸の彼女
角田光代
文藝春秋
定価 1,680円(税込)
 
  角田光代『対岸の彼女』(文藝春秋)は、主婦が働きに出る話である。表面上はそういうストーリーだ。水面下の物語はもう少しあとで書く。

 ヒロイン小夜子は、独身時代は映画の配給会社で働いていたのだが、修二と結婚して退社し、いまでは3歳の娘を持つ専業主婦。公園デビューしたものの、近所の主婦とうちとけず、亭主は育児に無関心で、なんだかなあという日々にいる。で、働きに出ようと決意するところから、この物語は始まる。

 こうなるとこの先は、働く主婦を取り囲む世間の無理解とヒロインが戦う展開になると予想するのが普通だが、角田光代の小説であるから、そういう通常の展開にはならない。いやもちろん、働くことになった小夜子の苦難はそれなりに描かれるのである。娘を預けると義母には嫌味は言われるし、亭主は相変わらず無理解だし、同僚は仕事をさぼるし、やっぱり大変なのだ。しかしその苦難を描くことがこの長編の眼目ではない。

 水面下の物語がここで登場するのだ。もう一人のヒロイン葵が登場して、突如として彼女の高校時代の挿話が語られるのである。葵は、小夜子が勤めることになった旅行会社の女性社長だが、突然語り手が交代して、同級生ナナコとの「いっしょに学校を出て、甘いものを食べて、いつかわからない将来の話をしているだけで満たされ」ていた高校時代の回想が挿入されるのである。つまり、形態としては一気に青春小説になる。ナナコの造形が秀逸で、このパートだけでもたっぷりと読ませるのだが、それは別の話だ。

 ここから先は、小夜子の現代と葵の過去が交互に語られていく。どうやってこの二つの話がクロスするのかが本書のミソ。やっぱりうまいなあ角田光代。つまりこれは友情の物語なのだ。表4の作者の言葉にあるように、「全身で信じられる女友達を必要なのは、大人になった今なのに」というヒロインたちの渇望を描く長編なのである。

 で、ここから先は例によって小説を離れてしまうのだが、私にも「いっしょに学校を出て、ラーメンを食べて、いつかわからない将来の話をしているだけで満たされ」ていた高校時代があり、友がいた。しかし、ふと気がつくとそういう男友達は大人になるといなくなっている。いるのは仕事関係の友人たちだ。いや、いなくなったわけではない。私が離れたのだ。

 第一に仕事以外に使う時間がない。仕事が忙しくて、面白くて、それ以外のことをしている余裕がなかった。会って酒を飲むならば仕事友達のほうが話が合うし、活力も湧いてくる。学生時代の友と会うよりも、そのほうが正直言って楽しかった。向こうだって同じ事情があったろう。互いに忙しいのだ。そうして徐々に会わなくなり、気がつくと学生時代の友とは年賀状のやりとりだけになっている。だから、全身で信じられる男友達が必要だと考えたこともない。

 しかし、この長編を読み終えて、本当にそれでよかったのだろうかと思わないでもない。このヒロインたちが「全身で信じられる女友達を必要なのは、大人になった今なのに」と思うのは、「働いている女が、子どもを育てている女となかよくなったり、家事に追われている女が、未だ恋愛をしている女の悩みを聞いたりするのはむずかしい」という状況が一方にあるからだろうが、実は男たちよりも自分の人生を長いスパンで見ているからではないか。そんな気がする。

 定年になってしまえば、いまの仕事がなくなれば、仕事友達とも会わなくなることを、私らは忘れているのだ。この状態が永遠に続くように錯覚しているが、そうなった日のことを考えていないのである。他人事のように言ってはいけないが、現在の生活は自分の力で保てると考えているふしがある。友達の力を借りなければ、声を聞けば、話を聞いてくれればそれだけで救われる、という日が来ないともかぎらないのに、その努力をしないのである。これでは男には想像力が決定的に欠けていると言わざるを得ない。

 周囲の男たちを見ても、仕事関係以外の友達を持つ人は少ない。飲んだりつるんだりしている友は、ほとんどの場合、仕事関係の人間だ。仕事を離れて、プライベートでも付き合っていたりする場合もあるから、それが悪いわけではないが、そうか、オレだけか、仕事を離れた友達がいないのは。それはともかく、比べて周囲の女性たちはさまざまな友人を持つ人が少なくない。一緒に映画を観に行ったり、食事をしたり、旅行したり、仕事関係以外の友と仲良く遊んでいる女友達が多い。この違いは何なのだろう。

 自宅近くの駅の周囲に、自転車置き場がある。駅からずっと道に沿って自転車を置くようになっているのだが、それを整理しているのは老人たちだ。腕章を巻いているので市や町内会などから正式に依頼されたものだろうが、大半の老人は怒ったような表情をしていることが多い。つまらんが仕方ない、といった風情だ。その老人たちだって、普段は晴れやかな表情を浮かべているのかもしれないが、なんだか私に待っているのはそういう老後のような気もする。おばあちゃんたちは友達と温泉などに出かけているのに(勝手に決めつけて申し訳ないが)、おじいちゃんは孤独に自転車整理、という違いに、若き日の渇望の違いを見るのである。

 だからどうした、という話ではないが、なんだかなあと思うのである。



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