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WEB本の雑誌これまでのログ倉庫目黒考二の中年授業


当連載がついに単行本に!
人生のワンシーンを呼び起こす
50の寄り道読書エッセイ集。
目黒考二著『新・中年授業』
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目黒考二の中年授業

■第66回
夢の破片(かけら)
『夢の破片(かけら)』
モーラ・ジョス 著
【早川書房】
定価 1,575円(税込)
 
 ジーン・ウェイドは長期滞在の留守番を仕事にしている。64歳。いまいる家が18年間で五十八番目の家だ。五十九軒目の家はありそうもない。というのは、今回の仕事が最後になると事務所から言われているからである。解雇を言い渡すのは本意ではないけれど定年すぎの人間を雇うことはできないと通告されている。

 で、彼女の回想がどんどん挿入されていく。いや、それが語られるのは物語がもっと進んでからなのだが、便宜上、先に紹介しておく。五歳のときに生母と別れ、孤児院から里子に出されるものの、「わたしは幼いころから、母親たちがどれほど冷酷になれるか痛いほど知っている」と回想するような日々をジーンは送ってきた。養父には愛されたが、その養父も死んで残されたのは時計だけ。その時計を売りにいく挿話が哀しい。大学進学の費用にしなさいと養父から渡された時計なのだが、その本当の価値を養母は教えず、結局は騙されることになる。そういう日々が少しずつ挿入されていく。

 マイクルという中年男がいる。彼もまた孤児院育ちである。15歳で母親に捨てられて孤児収容施設で育ち、8歳のときに養子にもらわれるが、14歳のときに施設に送り返される。そういう過去を持つ男だ。パブで働いていたとき、同僚に誘われてスペインにいくが、女の子を部屋に連れ込んで乱交まがいのことをする同僚たちに加わらないほど、優しい気質の持ち主でもある。しかし今はケチな泥棒稼業で生計を得ている。寒い部屋でヒーターをつけずに暮らしている。ようするに金がない。

 もう一人のステフには母がいるが、その母親は再婚して自分勝手に暮らしている。ステフは15歳のときに子を産むが、母親に反対されて里子に出される。そして22歳のいま、また妊娠している。恋人は知らん顔だ。しかし今回は絶対に自分で育てようと決意している。

 ようするに、老女、中年男、若い娘、この三人は親の愛、そして家族の愛を知らずに育ってきたのである。その三人がひょんなことから同居生活を始めることになるのが、この長編のメインストーリーで、静かにたっぷりと読ませる。書名の紹介が遅れたが、モーラ・ジョス『夢の破片』(猪俣美江子訳/早川書房)である。二〇〇三年の英国推理作家協会シルヴァー・ダガー賞の受賞作だ。

 つまり、ここで語られるのは疑似家族のかたちといっていい。詳細は省くけれど、途中から登場する赤子まで、まったくの他人だから、念がいっている。誰一人として血が繋がっていない家族なのだ。その奇妙な同居生活が始まってから、ジーンはこう述懐する。

「わたしたちは遅ればせながら、この歳になって、ある場所に属し、ほかの人たちに属するということの意味を知ったのだ」

 彼ら三人はそれまで、属するということの意味を知らず、孤独に生きてきたのである。だから彼らは幸せになる。マイクルの述懐を引く。

「マイクルは罰金を払うのに必死だったころを思い出し、何と奇妙なことかと考えた。すべてが以前より意味のあるものになった今、彼ら三人の誰にとっても生きることが容易になっていた。生計をたてるための苦闘が減ったというより、心の底に潜む、何もかも無駄だという思いから逃れる必要がなくなったのだ」

 もちろんそれが、偽りの至福であることは明らかだ。ジーンが仕事で留守番している家に不法に住んでいるのだから、それは本来の家ではない。家人が帰ってきたときに、彼らの至福は終わりを告げるのである。彼らには生計をたてるための資金すらない。ステフは万引きすればいいと言うが、結局彼らは家にあるものを売り払って生活費を捻出することになる。これも露顕するのは時間の問題といっていい。そういう危ういところに彼らの生活は成り立っている。いつかは破綻するのだ。

 そもそも、彼らに将来のビジョンが欠けていた点は否めない。親の愛を知らず、家族の温もりを知らず、そういう同情の余地はあるとはいえ、孤児院育ちの人間がみな同じ境遇をたどったわけではない。彼らの中にある弱さが現在の境遇を招いた点もあるのだ。三人ともに計画性皆無なのである。

 そうはわかっているのだが、しかし、この物語の中にぐんぐん引き込まれていくのは、細部がたとえようもなくいいからだ。たとえば、こんな場面。

「食後、わたしたちはブランディのグラスを手に外に出て、西向きのテラスから日没を眺めた。そこに三人そろってすわったのはあれがはじめてだったはずだ。それまではあまり気持ちのいい夕暮れがなかったからだが、その日は完璧な、あらゆる点で満ち足りたひとときだった。信じられないほど大きな、燃えるようなオレンジ色の夕陽、まるで絵画さながらのピンクとブルーの空。あんなかすみがかった黄昏時の空は、何も大地の上で徐々に消えてゆく、空気も色も含まない、純粋な澄んだ光のようにも見える」

 この美しい場面が、読み終えても残り続ける。この束の間の至福がいつまでも続くことを祈りたくなるシーンといってもいい。巻き込まれ加害者型小説には、破綻にぶつかることなく、そのまま幸福な生活が続いていくパターンがあるから、これもそうであってほしいと思いながら読み進むのである。彼らの些々なこの幸せがいつまでも続いていってほしいと願うのである。とってもスリリングな小説だ。



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