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WEB本の雑誌これまでのログ倉庫目黒考二の中年授業


当連載がついに単行本に!
人生のワンシーンを呼び起こす
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目黒考二著『新・中年授業』
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目黒考二の中年授業

■第71回
雨にぬれても
  『雨にぬれても』
上原隆 著
【幻冬社文庫】
定価 520円(税込)
 
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 上原隆『雨にぬれても』(幻冬舎文庫)の冒頭の一篇、「墓まいり」は竹内敏子が所沢霊園にいるシーンから始まっている。4年前に社長が自殺してから、毎月命日になると竹内敏子は墓まいりしている。ジーンズにジージャン、ポニーテールの彼女は56歳には見えない。
「竹内さんと社長とは恋人の関係だったんですか?」と尋ねられると、彼女はこんなふうに答える。「そんなんじゃありません。社長には奥様も子どももいたし、どちらかというと父親みたいな存在だったかな」
 その関係は次のように簡潔に語られる。

                                          小さな頃に両親が離婚し、竹内は母親にひきとられたので実父を知らない。それで10歳年上の社長を父親のように思いたかったのかもしれない。27歳の時に離婚し、社長の会社に入った。印刷屋だ。電話番をしながら写植やレイアウトなどを教えてもらった。やがて会社は大手生命保険会社のPR誌を作るようになり、印刷部門を切り離し、編集プロダクションのようになった。社員は10人いた。竹内はライターやカメラマンの調整、企画、取材、経理、なんでもこなした。

                                         ところが10年くらい前から保険業界が不況になり、PR誌のページ数も減り、部数も減り、さらに組織変えがあってその仕事も他社に取られる。その間社員が減り続け、最後は社長と竹内だけとなり、おまけに6000万近い借金が残る。竹内は自分の貯金を会社のためにつぎ込むようになって、とうとう4年前に社長が自殺する。

 不況に喘ぐ現代の、どこにでもあるような話といっていい。社長はずいぶん前から自殺を考えていたらしく、そのことに気付かなかったことを、

「せっかちで、おっちょこちょいで、なんでもポンポンいう人で、けっして隠し事なんてできるような人じゃないと思ってたんですよね。たとえば、営業から戻ってきて、『ただいま』って入ってくると、『お帰りなさい』っていって顔見た時に、〔あ、今日はお茶じゃなくてコーヒーが飲みたいんだな〕ってなんとなくわかるんですよ。それで『はい』ってコーヒー出すと『え、まだいってないよ』って、『違うの?』『いや、これでいいの』って、なのにどうしてあのことはわかんなかったんだろって」

 と、今になって竹内は悔いているが、それも珍しい話ではない。

 私が立ち止まるのは、次の挿話だ。

 社長の趣味は競馬だったというのだ。その土曜の風景が語られるのである。

 竹内が10時頃出社して、社長が昼頃来て、いっしょにお昼を食べて、車で後楽園まで馬券を買いに行って、2時頃からおしゃべりしながらテレビを見て、4時頃になると、じゃあ帰ろうかと社長の車に乗る。竹内の家が途中にあるので、いつも社長の車に乗って、だべりながら帰る。

 竹内がコーヒーが飲みたい、社長がラーメンが食べたいってときは、東大島のミスタードーナツに寄って、「私、コーヒー飲むから、社長飲茶セット食べな、ラーメンついてるから」って、「ついてきた海老シューマイちょうだい」とか、隣が本屋さんなのでよく文庫本と競馬新聞買って、明日の予想をして、じゃあねって帰っていったという風景だ。

 毎週土曜はそうして過ごしていたという。たしかに、男女の関係ではない。しかし、土曜は仕事をほとんどしてないことに留意。2人とも出社しなくてもいいのだ。いっしょにお昼を食べて、馬券を買いにいって、テレビを見て、それで帰るだけだ。

 つまり、社長も竹内も、週末に居場所のない人間なのである。いや、週末だけではない。というのは、週末以外の夕食も、

「いっしょに外で食べたり会社で食べたり、会社にいろいろ置いてあって簡単な料理ならできるんですよ。だいたい二人とも九時くらいまでいたから」

 という状況だから、会社以外に居場所のない人間たちといっていい。仕事が忙しいから遅くまで残っていたわけではないはずだ。帰ろうと思えば、帰ることは出来る。帰りたくないのだ。だから土曜まで出社するのである。
 社長と竹内敏子の関係が、男女の関係よりも、そして疑似親子関係よりも、もっと濃密な関係に見えるのは、居場所のない人間同士だからである。その寄り添うかたちが羨ましい。そういう相手を互いに持ちえたというのは奇跡的なことのように思える。とりたてて珍しい話でもないのに、社長の首吊り死体を出勤してきた彼女が発見したときの、

「その日は家に帰ってないんですよ。たぶん寝てないと思うんですよね。夜に飲んだと思うんですけど、500ミリリットルの缶ビールと枝豆のさやが置いてあったんですよね。それを見た時に、どうせなら、なんでもっとおいしいものを食べていかなかったのって」と語る竹内敏子の涙が胸を打つのは、その奇跡が崩壊してしまった哀しみに圧倒されるからにほかならない。

 本書のあとがきに、この後日譚が載っている。竹内敏子は江戸東京博物館で案内ボランティアをしているという。1人の女性に「あなた楽しそうでいいわね」と言われると、「みなさんにそういわれるんです。どうやら、こういうの私、好きらしいんです。好きなことやってると、つらかったことは全部忘れてるんですよね」と彼女は言うのだが、しかし土曜の風景を彼女が忘れるはずがない。




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