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次の記述に立ち止まる。
「女性に不自由したことがないくらいにモテる男というのは、晴子が思っているほど珍しくはない。四十四年の私の人生の折りおりに、そうした男は見かけてきた。ほどほどに容姿にめぐまれ、金まわりがよくて、将来性がありそうで、育ちも頭もよく、ただし、けっして物欲しげに女たちを追いかけまわさない男たちである。たいがいそうだった」
藤堂志津子『情夫』(幻冬舎)の一編「おとうと」に出てくる記述である。この短編は、「私」が44歳のころを回想する話だ。「私」は、その4年前にある文芸誌の小説新人賞を受賞したものの、第二作はいつまでたっても掲載されず、本来の職業であるフリーのライター稼業に戻って、気疲ればかりが多い仕事に追われて日々を過ごしている。
酒場ダックは、50代半ばのママを慕って女性客の多い店だが、「私」がその店に通っているのは愚痴を言いたいわけではなく、ただただ大酒をくらって酔いどれたいだけ。酔って記憶をなくしたことは数えきれないほどあるので、その夜、見知らぬ女性客から話しかけられても、「私」はそれほど驚かない。その女性と顔を合わすのはもう3度目なのだという。それが梶本晴子。で、彼女が言う。
「この前言っていた弟のことなんですけど、仕事のほうの忙しさも、ようやくめどがついたらしいので、来週あたりどうでしょうか」
2週間前に梶本晴子と会ったとき、弟に会わせてくれと「私」が言ったらしいのだ。それは晴子がこう言ったからだ。その3連発を引く。
「うちの弟ね、頭もそれほどよくないし、ハンサムでもないし、身長だってごくふつうだし、いまの会社だって小企業のぱっとしないところだけど、ものすごくモテるんですよ、ホントに。そういうひとって、男でも女でもいるでしょう? 外見的にはちっとも目立つタイプじゃないのに、なんか、こう、モテまくるってひとが。うちの弟がそれなんですよ。異性をひきつけるフェロモンが他人の何倍も発散されてるのかもしれない」
「弟がモテだしたのは高校生になったころからで、高校の三年間、弟を追いまわしている女の子はいつも二、三人はいました。女の子から電話がかかってきたり、手紙をもらったりっていうのは、もうしょっちゅうでしたね。男女共学の高校だったから余計に。大学は地元の私立にいったんですけれど、そこでも弟は、女の子にはまるで不自由しませんでした。黙って何もしないでいても、女の子のほうから寄ってきて、だから、つきあっているガールフレンドのいないときはなかったくらい。だいたい三ヵ月で相手の女の子は替わってました。女の子に頼まれて、まあいいか、程度の気持ちでつきあうから、すぐに飽きてしまうみたい」
「会社員になったいまも、相変わらずモテて、同時進行でつきあっている女性は、つねに三、四人はいますね。それぞれつきあい方の違いはあるみたいで、全員と体の関係があるとはかぎらないようです。うちの弟、そこまでばかじゃないから」
で、その弟と会うことになった「私」の述懐が、冒頭に引いた記述なのである。ようするに、なんだか面倒くさいのだ。会ってみると、「すばらしく端整な顔立ちの青年」で、さらに、「なかなかの美声の持ち主で、しかも、落ち着いたしゃべり方には独特の雰囲気が漂い、思わず吸い込まれる何かがあった」。しかし同時にこうも考える。
「私からすれば、彼は端整な顔立ちの青年、という以外に、これといったオーラを発しているわけではなく、その外見など二の次になるようなしゃれた知性の持ち主でもなく、モテる理由は、結局のところ、少しもわからない」
で、このあと、物語が始まっていくのだが、例によって、それはどうでもいい。ここでは、どうすればモテるのか、ということについて考えたい。この短編の「私は」、「ほどほどに容姿にめぐまれ、金まわりがよくて、将来性がありそうで、育ちも頭もよく、ただし、けっして物欲しげに女たちを追いかけまわさない男」ならモテる、と言うけれど、そこまで条件が整った男がモテても、私らに何の関係もない。
その前に、モテるということが具体的にどういう状況をさすのか、はっきりさせておかなければいけないが、これは大きな問題で、出たばかりの小谷野敦『帰ってきたもてない男』(ちくま新書)を読むと、『もてない男』で多くの反論を招いたのは、「自分が好きな人から好いてもらえないのが『もてない男』の定義だ」という記述だったという。モテることが、好きな人から好いてもらえることだとするならば、やっぱりモテたい。
ただし、「容姿」と「金まわり」と「将来性」と「育ち」と「頭の良さ」と「物欲しげではない」と、六つも条件が揃った男なら、たしかにモテるだろうが、それは私たちにとって別世界の出来事にすぎない。この六つの条件のうちの、幾つを満たせばモテるのか、ということを知りたいのだ。六つのうちの五つ、というならば、布団をかぶって寝たほうがいい。せめて二つか三つにならないか。それなら私らにもまだ可能性がある。
特に、前半の三条件はなかなか厳しい縛りなので、これを外せば楽になる。つまり、「容姿」に恵まれず、「金まわり」も悪く、「将来性」がなくても大丈夫、となれば、大いに希望が出てきそうだ。残るのは、「育ち」と「頭の良さ」と「物欲しげではない」ことの三つだ。言うまでもなく、この場合の「育ち」とは資産家の息子ということではなく、社会人としてのマナーを両親から教えられているといった意味合いであり、「頭の良さ」とは偏差値の高い大学を出ていることではなく、人情の機微に通じていることである。「物欲しげではない」ことは文字通りそのまま。これなら何とかならないか。いやもう私は歳だから関係がないのだが。
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