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WEB本の雑誌これまでのログ倉庫目黒考二の中年授業


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目黒考二の中年授業

■第75回
その日のまえに
  『その日のまえに』
重松清 著
【文藝春秋】
定価 1,500円(税込)
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 『本の雑誌風雲録』を書いたのは、創刊10周年のときだから、もう20年も前のことになる。本の雑誌を創刊してから最初の10年間の、主に配本部隊(当時は取次を通さず、直に書店に持ち込んでいたので、こういう部隊が存在した)のことを書いたのが、その『本の雑誌風雲録』なのだが、ずっと後年角川文庫に入ったとき、吉田伸子に解説を書いてもらった。吉田伸子は、『本の雑誌風雲録』で主役をつとめた花の81年組の一人で、その後よその会社に入ったものの、本の雑誌に入社。10年間、編集部に勤務して退職した配本部隊の生き残りである。その解説の一節をまだ覚えている。

 当時私は、毎日のように学生を連れて飲み歩いていたのだが、そのとき一緒にいた吉田伸子は、たいした話をしたわけではなかったと解説の中で証言している。鋭い意見を誰かが言って、それがその後の人生の役に立ったとかなんとか、そういうことは一つもないのだ。ただ、わいわいがやがやと毎日飲んでいたにすぎない。でも、膨大な無駄な時間をそうやってみんなと過ごすことで、いちばん危なっかしい時期を無事に乗り越えることが出来た、と吉田伸子はそこで書いている。その一節が忘れられない。

 重松清『その日のまえに』(文藝春秋)の中の一篇「ヒア・カムズ・ザ・サン」を読んでいたら、「いちばん危なっかしい時期を無事に乗り越えることが出来た」というその一節を思い出してしまった。

「ヒア・カムズ・ザ・サン」の主人公は高校生のトシだ。まだ赤ん坊の頃に父親が交通事故で亡くなり、彼は母親に育てられてきた。このトシがどういう少年かというと、本人の述懐はこうだ。

「俺が通っているのは、市内に公立私立合わせて五つある高校の、勉強のレベルで言うなら上から三番目−−高望みをすると首が痛くなるけど、崖っぷちというほどではない。ラーメン屋の行列にたとえるなら、一日三十杯限定の特製チャーシュー麺は無理でも、スープがなくなって店じまいになるまでには入れそうな、そんなポジションだ。中途半端というか、ぬるま湯というか、なにごともとりあえず「ま、いいじゃん」ですませてしまうことができる。そんな俺の性格を母ちゃんが頼りなく思っているのはわかるし、自分でもへなちょこだよなあと思うけど−−まあ、いいじゃん」

 もう一つだけ引く。

「俺にはガキの頃から悪い癖がある。悪い癖というか、弱い性根というか、情けない根性というか、まともに向き合うとパニックになりそうなほど困った状況に陥ったら、考えるスイッチをオフにしてしまう。頭の中を真っ暗にして、考えるのをやめる。なにも見てない、なにも聞いてない、と自分に言い聞かせ、「なかったこと」にしてしまう」

 そういう高校生のトシが、母親の癌に直面するのが、「ヒア・カムズ・ザ・サン」だ。紹介が遅れたが、重松清『その日のまえに』は死をモチーフにした作品集で、七篇を収録している。ラスト三篇が連作で、そこに最初の四篇に登場する人物が再登場する構成になっている。したがって、「ヒア・カムズ・ザ・サン」のトシも後半に再登場するのだが、そこで看護師の山本さんに、彼はこう評されている。

「ああ見えて、あの子、えらいんですよ。いま春休みだから朝からアルバイトしているんですけど、仕事に行く前に必ずお母さんの病室に寄るんです。今日はバイト休みだって言っていたから、ずーっと付き添うつもりなんじゃないかな」

 情けない根性の持ち主で、頼りないトシを変えてしまったのは、母親の存在だろうが、しかし母親が癌を宣告されなければ、彼ははたして変わらなかったのだろうかという思いは禁じえない。

 配本部隊にいたことで、「いちばん危なっかしい時期を無事に乗り越えることが出来た」と吉田伸子が考えていることは、その部隊を率いていた私には嬉しい。たいしたことをやったつもりはないが、少なくてもほんの少しの意味はあったと知ることは、正直嬉しい。母の言葉を聞いて、トシが変わったのも、母親にすれば嬉しいだろう。それは偽りのない気持ちである。それを訂正する気はない。

 しかし、そういう気持ちとは別に、どんな人生でもいいではないか、との思いが私にはある。もし吉田伸子が配本部隊にいなければ−−、もしトシが母親の言葉を知らなければ−−、彼女と彼は「いちばん危なっかしい時期」を無事に乗り越えられなかったかもしれないが、結果として選ぶことになる、その別の人生は本当によくなかったのか。

 息子たちを見ていると、そういう思いが噴出してくる。親としては、「いちばん危なっかしい時期」を無事に乗り越えてほしいと思うのだが、それが出来ない場合を想定するのである。その万が一のときに、それで彼の人生が終わってしまうとは考えたくない。これから幾つもやってくる山を、危なっかしい事柄を、たとえ無事に乗り越えられなくても、それで君らの人生が終わりになるわけではない。どんな人生を選んでもいいのだ。その強さをむしろ身につけてほしい。

 無事に乗り越えたほうが平穏で、感動的で、それにこしたことはないのだが、そうならない場合のことを、親はいつも考えている、という話だ。満足に家族と接していない私に、何も言う資格はないのだが。




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