WEB本の雑誌 TOP
.
.
.
.
.
.
WEB本の雑誌これまでのログ倉庫目黒考二の中年授業


当連載がついに単行本に!
人生のワンシーンを呼び起こす
50の寄り道読書エッセイ集。
目黒考二著『新・中年授業』
発売中!

『新・中年授業』 詳細はこちら
目黒考二の中年授業

■第79回
うしろ姿
  『うしろ姿』
志水辰夫
【文藝春秋】
定価1,600円(税込)
  商品を購入するボタン
 >> Amazon.co.jp
 >> 本やタウン

 志水辰夫『うしろ姿』(文藝春秋)に収録されている短編「もどり道」のラストシーンを引く前に、少しだけこの短編の粗筋を紹介しておく。

 野中郁雄が、通夜に出かけるのがこの短編の冒頭である。芦田アクアメンテの創業者が亡くなったのだ。芦田アクアメンテは、家庭用給排水設備の保守修繕をする会社で、郁雄の父親がそのフランチャイズ店を営んでいた。父親の死をきっかけに、郁雄はそのフランチャイズ店から離脱し,風呂トイレの改造を主体とした効率のいい業務内容に切り換えている。もっともそうなったのは最近で、それまではさまざまな職を転々としている。

 高校を卒業後、板金会社に勤めるものの2年で退社し、植木のレンタル屋に就職。その後友人と独立するが、袂をわかち、今度は独力で貸しビデオ屋、カラオケ装置のリース業などを始める。その資金捻出のために相場に手を出したのが裏目に出て、1000万円の借金を作り、結局は父親に泣きついて、父の事業を継ぐことになる。その述懐を引く。

「それまでの郁雄は、愚直でしかない父親の仕事にずっと批判的だった。しかし現実に三十余年が流れてみると、父親は信用と、月に百万円の粗収入があるマンションを一棟残していた。父親がそれほどの小金を貯めていようとは、マンションが建ってみるまで郁雄は夢想だにしたことがなかった。それだけの金がもし自分の手元にあったら、勝負に何回でも勝っていた、と思うのは単なる結果論にすぎない。父親は息子を信用しなかったからこそいくばくかの財産を残せたのだと、いまとなっては彼自身認めざるを得ないのだ。せがれはとうとう父親に勝てなかった」

 そうして回想が挿入される。植木のレンタル屋に勤めだしたころ、高校の同級生毅と再会したときの回想だ。「やらしてくれるんだ。おまえにも回してやるからよ。つき合え」と呼び出したのは、中学の同級生江里子で、「目の大きい、ややこまっしゃくれた女で、器量は十人並み、それほど強い印象は残っていない」のに、久しぶりに会ってみると髪を縮らせ、アイシャドウを入れ、すっかり大人になっている。もっとも、3人でデートしたものの、池を1周しただけで帰ってくるから、毅も口ほどではないのだが。

 そういうことを思い出し、郁雄は通夜のあと、昔住んでいた町に足を伸ばす。町はすっかり変わっていて、郁雄はそのあまりの変化に驚く。じめじめした町の、日当たりも風通しも悪いアパートに彼は住んでいたのだが、そういう風景はもうどこにもないのだ。すべてが瀟洒に、明るくなっている。そのときの述懐を引く。

「長かったようで、短い。その間何をしてきたのか。不完全燃焼のまま、気がついたら終わっていたという思いがふつふつと湧きあがってくる。自分に目がなかったとは思っていない。むしろ並みの人間よりはるかに的確に時代の流れを読んでいたと思うし、その対応も誤らなかった。運がなかっただけである。時代に少し早すぎたか、うまく流れに乗ることができなかった。先覚者という賛辞はいつももらえたものの、うまい汁はみんな人に吸われた。いってしまえば、郁雄は商売人ではなかったのだ。むしろ性格的には、賃仕事をこつこつとこなしてきた父親にいちばん似ていた」

 で、毅の家の前を通りかかって、毅の母親に話しかけられる。毅はどうしてると尋ねる郁雄に、母親はこう言う。
「つぎからつぎへと、いろんなものに手を出しちゃしくじっているんだから。折り込み広告やったり、有線やったり、刀剣に手を出してみたり、地上げ屋をやってたことだってあるわよ。いまとなっちゃぜーんぶもとの木阿弥。いいときもあったんだけどね。そのときゃひとり遊んで、女つくって、したい放題、バブルがはじけてみたらなーんも残ってなかったわよ」

 ようするに、郁雄も毅も、同じタイプの人間なのである。しばらく待っても毅が帰宅しないので、郁雄は帰ることにする。で、駅で毅を見るのだ。そのシーンがいいので、最後に少し長くなるがその場面を引く。

「向かい側の電車のほうが先に来た。十数人の客をおろすと、電車はすぐに出て行った。ホームのいちばん後ろから、締まりのない腹を突き出すようにした男がのろのろと階段に向かっていた。大柄な女がその前にいる。女が男の遅さに業を煮やし、振り返って口汚く急かした。男は平気。へらへら笑ってなにかうそぶいている。上体の揺れは明らかに酔っぱらっていることを告げていた。頭が禿であがり、つむじの辺りまでてかてかになっている。目尻のさがった顔の相は変わっていない。しかし以前のからだ全体から発散していた生気は明らかになくなっていた。これまでのつけが回ってきたといわんばかりだ。それでも男はすこしもへこたれていなかった。娑婆っ気だけはたっぷり。要するにいまはしょうがないから我慢してるだけなのだ。毅とはそういう男だった」

 このくだりで、大学の先輩を思い出した。父親が営んでいた小さな不動産屋を継いだ彼は、住宅の販売にまで手をひろげたところでバブルがはじけ、結局は夜逃げした。大学時代の同級生の細君がその会社でアルバイトしていたのだが、夜逃げの前夜、「オレ、ふけるから」と彼女に言ったらしい。その直前に離婚して、先輩は姿を消した。大阪方面にいるらしいとの噂を聞いたのは数年後だが、本当なのかどうか、詳しいことはそれ以上わからない。このラストシーンを読んで、突然その先輩のことを思い出したのである。あるいは先輩も、少しもへこたれていないのかもしれない、という気がしたのだ。へらへら笑って、娑婆っ気だけはたっぷり。いまはしょうがないから我慢してるだけ、なのではないか。そんな気がしてきた。




| 当サイトについて | プライバシーポリシー | 著作権 | インフォメーション | サイトマップ | お問い合せ |

Copyright(C) 1999-2008 本の雑誌/博報堂 All Rights Reserved