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唯川恵『今夜は心だけ抱いて』(朝日新聞社)の帯には、「若いカラダと熟れたココロ 熟れたカラダと若いココロ」という惹句が付けられている。大きいコピーは「女はどっちで恋をする」だ。それ以外に何もない。これだけで内容が類推できますか? 私はさっぱりわからなかった。いったいどんな小説なんだ。しかし何か怪しいな、という気がした。この場合の「怪しい」とは、面白そうということだ。
冒頭すぐに明らかになることなのでここに書いてしまうが、母親の意識が娘の体に入り、娘の意識が母親の体に入ってしまうのである。2人の心が入れ代わるというシチュエーションは珍しくないが、その母娘バージョン。東野圭吾『秘密』も娘の体に母親の意識が入ってしまう設定で描いていたが、『秘密』の場合、娘のほうは小説に登場していない。いや、『秘密』はリドルストーリーっぽく展開するので、そう断言してはいけないのだが、それはともかく、本書は、母と娘が一緒に共同生活する話である。
全体が335ページある話で、46ページのところで二人の意識が変わるが、その46ページまでの部分をざっと紹介しておく。
浅生柊子47歳はロマンス小説の翻訳家。12年前に亮介と離婚し、一人娘美羽は亮介と一緒に暮らしている。今年17歳。その亮介から久しぶりに電話がかかってくるのが、この小説の冒頭である。彼はロンドンに転勤になったというのだ。あと半年で高校を卒業する美羽を連れていくわけにはいかず、かといって東京で一人暮らしさせるのは心配で、君の娘でもあるんだし、預かってくれないかと亮介は言う。
離婚したとき、まだ幼かった美羽が「ママなんかいらない。あたしはバーバがいいの。バーバと一緒に暮らすの」と姑の胸にしがみついた記憶が、柊子には残っている。しかしそういうことなら知らん顔もできない。姑は脳溢血で倒れ、それ以降介護つきマンションで暮らしているというので、美羽を引き取るのは柊子しかいないのである。美羽さえそれでいいならと了承して、2人は会うことになる。
美羽には美羽の理屈があり、幼いときから柊子にかまってもらった記憶がない。母親はいつも仕事を優先していた。いまさらあんな人と一緒に暮らしたくない。だから、表面上は一緒に暮らすことにして父親を安心させ、実際は友達の家に転がり込もう。それがお互いのためなんじゃないの、と美羽は言う。で、話し合いは物別れになり、エレベーターに乗ると、事故で急降下。2人の体は激しくぶつかって、病院で気がつくと2人の意識が交換されていたというわけ。それが46ページのところ。誰に言っても、そんなことは信じてもらえないから、また何かの折りに2人の意識が交換されるまで、とりあえずは共同生活を始めることになる。本書はそこから始まる物語だ。
周囲の人には秘密にして、つまりはなりかわって生活するわけだから、2人の協力が必要になる。柊子は美羽の体に入って高校に通うことになるが、美羽の交友関係についてレクチャーを受けなければ高校生活は営めない。柊子は自宅に帰ってくるとロマンス小説の翻訳もしなければならないから忙しい日々が始まっていく。翻訳の打ち合わせのときはもちろん柊子の体に入った美羽がいかなければならない。とんちんかんなことを言ったら困るので、これも事前に柊子がレクチャーする。こうして2人の奇妙な共同生活が始まっていくのである。この先、どういう展開になるかは本書をお読みいただきたい。
親子の意識が入れ代わったら、どうする? と考えるのである。本書の中ほどに、高校の昼休みに窓際の机でひとり弁当を広げている女の子に柊子が気づくシーンがある。高校1年のとき、クラスで孤立していたことを彼女は思い出す。いじめというほどではないが、なんとなく級友から避けられ、ひとりでいつも弁当をたべていた高校時代を思い出すのだ。あとになって柊子は思う。柊子を疎外しようとする首謀者などいなかったと。
「あの年頃の女の子の胸に潜む悪意との付き合い方が、皆、わからなかっただけなのだ」 あのとき、もし流れを変えてくれる誰かがいたら、クラスメートの前で「おはよう」と言ってくれる誰かがいたら、それだけで変わっただろうと柊子は思う。
で、「あの子と一緒に食べない?」と友人を誘って、窓際の机に近づいていく。とてもいい場面だ。このように、「大人の知恵」とでもいうべきものが発揮されることが、意識が入れ代わることでたしかにありうるかもしれない。それは1つの効用だ。
しかし、あとはどうか。私の長男は大学を出て、いまは就職活動中だ。次男は大学に通っている。そのどちらの体に入っても、また1から人生をやり直さなければならない。若いカラダに入るのだから、元気もりもりになるのはわかっている。階段を昇るときに息切れもしないだろう。しかしなあ、と思うのである。
ようやくこの老いたカラダに馴染んだばかりなのである。徐々に馴染んできて、いろいろなことを断念してきたのだ。そうなってみると、年を取るということは悪いことだけではけっしてない。街を行き交うカップルを見てコノヤロと思っていたころなら、自分も若いカラダに入りたかったかもしれないが、ふーんと見ているだけになった今では、そんなのはどうでもいいのである。
そうか。柊子の47歳という年齢に鍵があるのかもしれない。柊子は美羽のカラダに入って、いきいきと生活するが、もう少し年を取れば、そうはならなかったのではないか。違う?
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