|
スチュアート・マクブライド『花崗岩の街』(北野寿美枝訳/早川書房)の訳者あとがきによると、スコットランド第三の都市アバディーン(もう二つはエジンバラとグラスゴー)は、花崗岩の産地で、建物のほとんどは花崗岩を使って建てられているという。だから街全体が普段は灰色に見えるが、雨上がりには濡れた花崗岩が太陽の光を浴びて街全体が銀色に輝くのだそうだ。灰色にくすんだ街が一変し、銀色にきらきら光るというのは、鮮やかなイメージだ。
もっとも、そういう美しい街であっても、そこに生きている人間は我々とそう大差はない。たとえば本書の主人公ローガンはろくでなしである。検死医のイソベルと別れたばかりだが、未練たっぷりなのだ。で、彼女が他の男と付き合っていると聞くと、オレと別れたばかりじゃないか、と怒るのである。これだけなら、イソベルへの愛がまだたっぷりあるというにすぎないが、違うのである。
その間、この男が何をしているかというと、婦人警官のジャッキーに心と体が揺れているのだ。たとえば、酔っぱらって目覚めた朝、シャワーを浴びて出てくると、ジャッキーが彼の古いTシャツを着て立っている。Tシャツの裾からは素足が伸びていて、それがとてもきれいな脚だ。「寒いんじゃありません?」と言われて、初めて自分が全裸で立っていることに気づき、ローガンはあわててタオルで下腹部を隠す。「いまにも勃起しそうな股間のうずきにとまどいながら」だ。ローガンは何も覚えていない。彼女とセックスしたのかどうかも、さっぱり覚えていない。
だから、こんなふうに述懐する。
「ぬけぬけとこんなことができるなんて、どういう神経をしてるんだ? おれは部長刑事、彼女は婦人警官だ。組んで仕事をしている。おれは彼女の上司だぞ! 組んでいる婦人警官とつきあいはじめたりしたら、インスク警部は激怒するにちがいない」
おお、反省しているのだなと思ったら大間違い。というのは、その翌日、ジャッキーを見つけようとするくだりが出てくるのだが、そのとき彼は、昨夜セックスをしたかどうかはっきりさせたいと考える。そしてもしセックスをしたのであれば、「再試合しないかと誘うつもりだった」。ね、全然反省などしていない。さらに、インスク警部とジャッキーと三人で飲みに行くくだりでは、こんなふうに述懐する。
「むろん、警部が一緒なので、ジャッキーとのあいだになにか起きるはずがない。しかしローガンは、なにか起きていたかもしれないという気がした。もしもインスクさえ一緒でなければ」
実は、ローガンがあわてて下腹部をタオルで隠した朝、彼の部屋にいたのはジャッキーだけでなく、数人の若い巡査も一緒だった。飲んで、みんなでローガンの部屋にきたことがすぐに判明するのである。それでも彼女とセックスしたかどうか、彼には自信がない。そのうちに「腕利きだと見せつけて、もう一度寝てもいい男だと思わせたかった」というくだりが出てくるので、いつの間にか寝たつもりになっているから、いやはや。
もっとも、ジャッキーから「他にこれといった用がなければ、よかったら−−いえ、気が向かなければ断ってくれてもいいのですが−−映画でも観にいきませんか」と留守電が入っていたりするから、彼女のほうにも気があるようなのだが。
この小説を読んでいて、私はF青年のことを思い浮かべていた。知り合いの若き編集者なのだが、ローガン同様に、いつもふらふらしている男である。なにしろ会うたびに付き合っている女性が異なるのだ。つい数カ月前に「真剣に交際している」と言っていた女性のことを話題に出すと、それ誰のことですか、という顔をしていたりする。で、そのときに交際している女性の写真を見せて、「ね、可愛いでしょ」と言うのだ。懲りない男である。
おそらくF君もまたローガンのように、女性と会うたびに「なにか起きていたかもしれない」と思っているのではないか。現実には何も起きなくても、あのときああしてこうすれば、なにか起きていたかも、と考えているのではないか。セックスしたかどうかわからない相手に「再試合しないか」といつも誘おうとしているのではないか。そんな気もする。究極のオプティミストといっていい。
もちろん、F君がそう考えるのは、ジャッキーがそうであるように、F君の周囲にいる女性たちもまた、「他にこれといった用がなければ、よかったら」という表情をしているからかもしれないが、それを承知の上で言えば、しかしそこには自分が相手を選び取るという覚悟がない。
つまりローガンにかぎりなく共感するように、F君はもう一人の私たちなのだ。ちょっとした仕草を、あれは誘いなんじゃないかと錯覚して妄想を膨らませ、ついふらふらしちゃう私たちなのである。向こうにその気があるなら、と考えただけで落ちつかなくなる私たちなのだ。人生で大切なことは愛されることではなく愛することだ。昔の人はそう言った。しかし愛することは疲れるから、なるべくなら愛されるほうがいい。相手の仕草や視線が気になるのは、そういう弱気の現れにほかならない。もっと強くなりたいと願いながら、ローガンの右往左往にかくて私たちは癒されるのである。
|