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WEB本の雑誌これまでのログ倉庫目黒考二の中年授業


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目黒考二著『新・中年授業』
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目黒考二の中年授業

■第86回
『さくら草』
  『さくら草』
永井するみ
【東京創元社】
定価1,995円(税込)
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 永井するみ『さくら草』(東京創元社)の後半に、主人公の晶子が木谷と揉めるシーンがある。まずは、その場面を引く。

「晶子、僕に八つ当たりしたってしょうがないだろ」
「八つ当たりじゃないわよ」
 木谷が黙る。
「もう帰ってよ」晶子は目でドアを示した。
「分かったよ」
 木谷がコートを手にして、背を向ける。ドアを開け、出ていった。
 晶子は両手に顔を埋める。どうして分かってくれないのだろう。帰ってというのが、帰らないでという意味だということを。

 このくだりで、おやっと思った。
 なぜ、おやっと思ったかを語る前に、もう少し補足しておきたい。

 日比野晶子34歳は、プリムローズというジュニアブランドのゼネラルマネージャーだ。デザイナー鈴木桜子と一緒に立ち上げたブランドで、10代の少女たちに熱狂的に支持されている。桜子はデザインのことしか頭にないので、経営やマスコミ応対などは晶子の役目になる。で、プリムローズに関連したと思われる連続少女殺人事件が起こり、その対応に追われて、晶子は悪戦苦闘する。

 この小説は、晶子の側のドラマと並行して、警察の捜査を描いていくが、つまりミステリーなのだが、ここでは晶子がようするに、いらいらしているということだけを拾っておきたい。それが、木谷との間で爆発したのである。

 その木谷孝彬は34歳、大手紳士服メーカーの取締役だ。オーストラリアの羊毛メーカーとタイアップして特殊な繊維を開発し、しわにならないビジネススーツを販売して看板商品の一つにした男である。だから猛烈に忙しい。5年前に業界のパーティで知り合って、晶子とは男女の仲となっているが、なかなか会えないのは、木谷に妻がいるからでもある。ようするに不倫の仲で、当然のように晶子には不満がある。

「会いたいのに会えない、などと晶子が泣き言めいたメールを送ると、木谷からの返信は決まっている。仕方ないよ。そのうちゆっくり会おう。晶子もそれに応じる。分かったわ、そのうちね」

 冒頭に引いた箇所の前にも、この二人が揉めるシーンがあるので、まあ、しょっちゅう揉めていることになる。いや、幸せな局面も引いておかなければならない。たとえば、晶子のある日の述懐を引く。

「あれ以来、何度もこうして会っているのに、木谷の胸に顔を埋めると、今でも新鮮な感動に包まれる。なんという心地よさなのだろう。なんという安心感なのだろう。木谷は大柄ではないが、がっちりとした体躯をしている。最初に彼の裸体を目にしたとき、切り出してきたばかりの岩のようだと思った。その岩は、抱きしめてみると温かく、体を添わせると安らぐ。もっともっとと引き寄せたくなる」

 こういう感情があるから、木谷と会っているのだ。その側面を押さえておきたい。で、冒頭に引いたシーンに話は戻るのだが、「どうして分かってくれないのだろう。帰ってというのが、帰らないでという意味だということを」という箇所に、おやっと思ったのは、なぜ男が分かってくれないと考えるのだろうと不思議だったからである。「知力も胆力もあって、第一線で仕事をしている女性」(女性刑事理恵の述懐)であっても、こういうことはわからないのか、ととても不思議だ。

 もちろん、女の言葉の真意を男がわかっていない場合もあるだろう。しかし木谷と晶子の状況を一方に置けば、このシーンに限っては、そうでないことは明らかだ。忙しい合間を縫って会いに来て、その結果揉めたのである。こうなれば帰りたくもなる。晶子の言葉の真意に気づかないふりをして。と解釈するほうが自然であるように思える。だから、ここにあるのは、女の言葉の真意に気づかない男の姿ではなく、気づかないふりをして帰る男の不誠実さにほかならない。

 と思って読み返したら、もう1つ別のことが見えてきた。

「あの服がほしいの、と両親に伝えることのできなかった晶子は、今も本当にほしいものを伝えるすべを知らない。木谷と会っているとき、一度として、ほしいものを伝えたことがない」

 という述懐があることに気づいたのである。晶子は木谷から拒否されることをおそれているのだ。ほしいものを伝えて拒否される局面に立ちたくないのだ。真実から目を背けることで心の安定をはかっているのである。ということならば、

「どうして分かってくれないのだろう。帰ってというのが、帰らないでという意味だということを」と考えるのは、その不誠実さをみたくないからだ、という道筋も見えてくる。不誠実よりは鈍感のほうがいい、という哀しみがここから立ち上がってくるのである。




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