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WEB本の雑誌これまでのログ倉庫目黒考二の中年授業


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目黒考二の中年授業

■第88回
『前夜のものがたり』
  『前夜のものがたり』
藤田 宜永
【 講談社】
定価1,785円(税込)
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 当欄で前回書いたことについて、本の雑誌の杉江由次君が「どうしてそんなに怒るのかわからないなあ」と言った。「あれですか、夫婦が仲良くしているのを見ると、面白くないんですか」。今回はその誤解を解きたい。

 その前に、日曜の朝に駅前の喫茶店でコーヒーを飲む年寄り集団について、補足情報を得ることが出来たので書いておく。前回の当欄では、これからハイキングにいく集団のように思われると書いたけれど、そうでないことが判明したのだ。というのは先日の日曜日、朝7時ごろ自宅を出て駅に向かう途中で、その集団に遭遇したのである。10〜13人が坂道を降りてきたのだ。その姿を見た瞬間に理解した。なるほど、ジョギングだったのか。いや、ジョギングじゃないな。ウォーキングだ。ハイキングに行くところならザックか何かを持っているだろう。全員が手ぶらであったのでウォーキングであることは一目瞭然だ。ようするに日曜の朝、近所の年寄り夫婦グループが坂道を登ったり降りたりして、その最後に駅前の喫茶店でコーヒーを飲んで談笑していくのである。喫茶店の中の光景しか見なかったので、てっきりハイキングに行く前と誤解してしまったが、そこまでの気力も元気もなく、ただ近所を歩いていたのである。

 コノヤロと思ったのは、その集団がかなりばらばらに距離を持って歩いていて、たまたま私の前を歩いていた男女の会話が聞こえてきたのだが、それが夫婦ではなかったことだ。夫婦は別々に離れて歩いていて、それぞれが別の配偶者と会話しながら歩いていると推理したが、これはそう外れていないだろう。夫婦ならそんなに丁寧な言い方を絶対にしない。この会話が結構弾んでいるのである。お断りしておくが、全員が六十代か70代の爺様婆様である。それなのに、他の男女の会話も聞こえてきたが、みんな、楽しそうに話しているのだ。これが私には面白くない。

 どうして面白くないかを語るためのテキストが、実は今回見つからない。仕方ないので、藤田宜永『前夜のものがたり』(講談社)を苦し紛れにテキストにする。これは50代の男性を主人公にした傑作作品集だが、この中に「風俗の前夜」という短編がある。

 主人公はタレントの室伏光太郎。一時期はテレビの刑事ドラマで活躍していたが、娘が長年の愛人を刺してスキャンダルとなり、いまは細々と暮らしている。光太郎は離婚し、娘の小夜は妻と暮らしていたが、その妻が交通事故で亡くなって、小夜は妻の姉に引き取られている。「これで我が家の子になるんですから、もうあなたは小夜のことを忘れてください。一切、連絡を取らないように」と伯母に言われ、それから五年、彼は娘に会ってない。その娘が札幌で風俗嬢になっているとの噂を聞いて、光太郎がすすきのを訪れるのがこの短編の冒頭だ。そこに回想がどんどん挿入され、光太郎が愛人といまでは一緒に暮らしていること、伯母夫婦に引き取られていくとき、「パパがあの女と一緒に暮らしていることを今は何とも思ってない。パパはちゃんと責任を取って、彼女といっしょにいるんだから」と小夜が言ったこと、厳しい伯父に反発して小夜が半年前に伯母の家を出たことなどが、手短に紹介されていく。

 で、ファッション・ヘルスの狭い階段を降りながら、こう述懐する。

「もしも娘でなかったら、徹底的に探そう。小夜がどんな生き方をしたいのかは分からないが、ともかく会って話したい。逆に私を迎えるヘルス嬢が小夜だったら。そう思うだけで、背筋が寒くなった。風俗情報誌に出ているような、ケバい化粧にパンチラ姿で現れたら、私はどこに目をやったらいいか分からない」

 これはそういう短編だが、なかなか読ませる作品ではあっても、小説の評価を離れて言えば、やっぱり今回のテキストにはふさわしくないか。というのは、どう読んでもこれは夫婦を描いた小説ではなく、親子のかたちを描くことに眼目があるからだ。妻の静子は冒頭の回想にちらりと登場するにすぎない。愛人を作るくらいだから、うまくいってない家庭であることは事実なのだが、もっとぐちゃぐちゃの家庭を描いた小説のほうがこの場合のテキストにはふさわしい。

 ここで杉江君の話に戻るのだが、「夫婦が仲良くしているのは面白くない」ということではない。仲のいい夫婦がいたなら、素直に私は祝福する。ホントだぜ。私が気になっているのは、不幸にもそうではない場合である。「風俗の前夜」の場合はあまりに劇的すぎて、参考にならないが、ここまで劇的でなくても、すっかり冷えきった夫婦というものがある。いや、冷えきったというのもそれなりに劇的だ。どちらが格別悪いわけではなくても、若いときの情熱はすでになく、しかし離婚するほどのことはないから一緒に暮らしているというケースと思っていただければいい。いつまでも熱かったら逆に気持ち悪いし、これでいいのかも、しかしこんなはずじゃなかったと思っているのは夫も妻も同じだから、お互いさまというケースだ。結婚して20年、30年もたてば、こういうかたちになる夫婦が少なくない。いや、私のまわりには、という話だが。

 そういうときに仲のいいふりをする人たちを私は嫌いなのである。すでに情熱を失っているのに、まだ情熱があるふりをするのは、いちばん見苦しい。微妙に離れている仲を、微妙なまま受容するしかないと考えている人間には、そう思える。ようするに、日曜の朝のウォーキングにコノヤロと思うのは、そういう嘘がどこかにあるような気がするからである。しかも、よその女房と楽しそうに話すなんて、いちばん許せない。そうではないか友よ。




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