「人生の予定が狂うほどの恋などするつもりはなかった」
とは、盛田隆二『ありふれた魔法』(光文社)につけられた惹句だ。これ一発で、手に取りたくなる。盛田隆二の新刊なら、どんな惹句がついていても手に取るのだが、それにしてもうまい。
秋野智之は城南銀行五反田支店の次長44歳。妻と三人の子供がいる。森村茜は大卒の女性総合職として法人営業を3年経験し、五反田支店に異動してきて1年。秋野智之にとってはひとまわり以上も年下の部下だ。
「次長、折入ってご相談が」
と話しかけてきたときの茜は、秋野の目に次のように映る。
どんなに忙しくても弱音を吐かず、てきぱきと仕事をこなす彼女は、色白できりっとしたその顔立ちとショートカットの髪形も手伝って、少しよそよそしく感じられるほどクールな印象を与えるが、その茜がいまにも泣きだしそうな顔をしている。
それまで意識したことのなかった茜を、秋野が意識する瞬間である。こういうことがなければ、2人の人生は交差せず、運命も狂わなかっただろうに、この瞬間から智之と茜は坂道を転げ落ちるように、接近していく。茜の得意先に一緒に謝罪しに行った帰りの場面も引く。
「すみません、一口ください」
茜はそう言って、智之の缶ビールに手を伸ばした。そしてひどく切なそうな顔をして、ビールを飲んだ。その瞬間、智之は胸がつまるような息苦しさを覚えた。頑張ったね、と声をかけるだけでなく、彼女をそっと抱きしめてあげたくなった。自分がもっと若くて、きらきらと輝いていたあのころの自分だったら、目の前で無防備に泣いているこの子をきっと好きになってしまっただろう。
智之の家庭が世間並みに円満であることも書いておかなければならない。幼稚園に通っている次男は耳の病気でずっと病院に通っているし、中2の長女は高校生と付き合っているようで心配だ。小学4年の長男は元気だが、次男のことで夫婦喧嘩もしたりする。それなりに苦労も心配もある家庭だが、どこの家庭にもこの種の不安と心配はあるから、普通の家庭といっていい。夫婦で口論した夜は、こんなふうになったりもする。
口論になった日に限って、ベッドのなかでおたがいのことが愛おしく思え、夜の営みも情熱的になる。結婚当初から、年上女房の仁美のほうが積極的だった。その日の体調にもよるが、智之があっけなく精を放ってしまったときなど、仁美は献身的に励まし続け、ふたたび可能になるまで回復すると、自らさまざまに体位を変えながら、押し寄せる快感のうねりに身もだえた。しかも若いころと違って、こらえきれずに大きな声を上げる。智之はそのたびにあわてて仁美の口を手でふさいだ。
智之と茜が仕事以外に外で会うようになれば、どうにかなるのも時間の問題だが、しかし最後の一線を越えてしまったきっかけは、競馬だ。この小説の真ん中あたりに、秋野智之と森村茜が大井競馬場に行くくだりが出てくる。二人とも競馬の素人で、パドックを見て、気にいった馬を買うだけだが、(1)→(6)→(4)の3連単2000円と、(1)(6)の馬単マルチを各1000円買うと、なんと大当たり。馬単7550円、3連単26570円がヒットして、総額60万強の配当金を受け取るのである。典型的なビギナーズラックというやつだが、このことが最後の一線を越える遠因になる。絶対にそうだ。
というのは、銀行の支店次長といっても、ローンもあれば教育費もあって、智之の小遣いは月に4万円なのである。昼食代と煙草代でその半分が消える。酒の付き合いは月に2、3度が限度。もちろん部下におごる余裕もない。送別会などの行事が重なるとたちまち赤字になり、妻の仁美に頭を下げることになる。だから、どこかから金が降ってこないかぎり、智之と茜が外で会い続けるのは困難なのである。
唐突にも思える大井競馬場の場面がなぜ必要だったかはこの意味で理解される。「リアリズムの名手」盛田隆二は、2人の体を寄り添わすために、会い続ける資金をこのように与えるのだ。
銀行内の描写や、得意先の人物造形などが秀逸なことに(盛田隆二はまったくうまい!)触れずにここまで来てしまったが、それは読んでいただければいい。ここでは「ビキナーズラックの不幸」だけを引いておきたい。ギャンブルには、ビギナーズラックに遭遇する人としない人がいる。だが、ビギナーズラックなどなくてもいいのだと、生まれて初めて買った馬券が当たったためにそれから30年以上に競馬に深入りしてしまった私は思う。いや、それを後悔しているわけではない。智之だって、けっして後悔はしていないだろう。だから、「ビキナーズラックの不幸」と言ってしまうと語弊がある。ただ私も智之も、あのビギナーズラックが自分の人生を変えてしまったのだ、と秋の空を見上げながら思っているのである。 |