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WEB本の雑誌これまでのログ倉庫目黒考二の中年授業


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目黒考二著『新・中年授業』
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『新・中年授業』
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目黒考二の中年授業

■第91回
『緋色の迷宮』
  『緋色の迷宮』
トマス・H. クック
【文藝春秋】
定価770円(税込)
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 トマス・H・クック『緋色の迷宮』(村松潔訳/文春文庫)の後半に、主人公のエリックが次のように述懐する場面がある。

「最後に息子と話をしたのはいつだったろう? もちろん、夕食の席で話をしたり、廊下ですれ違いざまに短い言葉を交わしたりはしていた。だが、それではほんとうに話をしているとは言えない。ほんとうに話をするというのは、自分たちのなかにあるさまざまな希望や夢を語り合うことであり、見せかけをかなぐり捨てて、たがいの顔を光のなかにさらけ出すことだ。それは人生について語り、どう生き抜くか、どうやって人生から最良のものを引き出し、その過程で何を学んでいくかを話し合うことだ」

 エリックがどうしてこんなことを考えるかというと、近所に住む八歳の少女が行方不明になり、彼の十五歳の息子キースがいたずらをして殺したのではないかという疑いをかけられるからだ。もっと話し合えばよかったと考えているからだ。

 その息子キースは、エリックの目を通して、こう描写される。
「キースはといえば、彼はいつもよりもっと静かで、まともに人の顔を見るのが恥ずかしいかのように、皿の上に顔を伏せていた。こどものときから恥ずかしがり屋で、不器用で、引っ込み思案で、人からからかわれやすく、早くから他人と肌をふれあうのを嫌うようになった。スポーツをやらなかったのは、たとえば楽器とか、なにかほかの活動がやりたかったからではなく、別の興味や趣味があったからでもなくて、ただ体にさわられるのがいやだったからだろう。いつも閉じこもり、体をちぢめて、けっして自分から近づこうとしない生きものみたいだった」

 まったく切ない小説だ。この長編の冒頭には数葉の写真が登場する。エリックが妻のメレディスと結婚したとき、キースが生まれたとき、二歳のキースがぬいぐるみの熊に向かってよちよち歩きしていたとき、十歳の誕生日には自転車を買ってあげて、とエリックの回想が写真に託して語られるプロローグである。その蜜月が強調されるだけに、そこから始まる家庭の崩壊劇が切ない。
「なんてことなの、エリック。あなたにはなにも見えないの?」と妻のメレディスに言われるシーンも引いておこう。「あの子には友だちがひとりもいないのよ。成績はひどいし、なにか目指すものがあるわけでもないし、なにかにちょっとでも興味を示したのを見たことある? ほんのわずかでも野心を抱いている様子があった?」

 もっと引く。

「あなたは対決しようとはしない。いつだってそうなのよ、受け身なの」

 息子と正面から向き合おうとしないことを責められる場面だが、エリックはもし正面から向き合ったら、そこから何が飛び出てくるか、それが怖いのである。その恐怖が徐々に、じわじわと行間から立ち上がってくる。息子は本当に少女にいたずらをして殺したのだろうか。私たちの家庭はこうして崩壊していくのだろうか。その疑いと恐怖が、全編を支配していくのだ。そのサスペンスが最後まで続いていく。もし、自分の身にこういうことが起きたら、と考えるだけで、心穏やかには読めない小説といっていい。

 エリックの子供時代の回想も挿入され、たとえば父の事業の失敗、母の死、そして妹の死、のんだくれとなった兄、そういう回想もこの長編の重要な要素となってはいるのだが、ここではエリックとキースだけに絞りたい。

 ネタを幾分割ることになりかねないが、なぜエリックがキースと向き合おうとしないのかということについて、彼が自分で気がつくシーンが後半に出てくるので、そこを引く。「要するに、わたしにとって、息子はただただ、否定しようもなく嫌悪感を催させる存在だった。彼がだらだら歩きまわるのが、彼のもつれた髪が、はなはだしい無気力が、彼が立てるドスンという鈍い物音が、わたしは大嫌いだった。そういうすべてを忌み嫌っていたのに、嫌っているそぶりを見せないようにずっと努力してきた。彼が少しでもなにかやり遂げるとかならず激励し、ひどく幼稚な理科の研究課題を褒めて写真を撮り、あまりにもしばしば偽りの力をこめて背中をたたいたので、手の感覚が麻痺してしまったくらいだった」

 エリックにとってキースは理想の子ではなかった、ということだろう。ほんとうの話を息子としなかったのは、その事実に直面したくなかったからである。しかし、ほんとうの話とは「自分たちのなかにあるさまざまな希望や夢を語り合うこと」ではなく、「人生について語り、どう生き抜くか、どうやって人生から最良のものを引き出し、その過程で何を学んでいくかを話し合うこと」でもない。そのことを学ぶまで、エリックは遠回りをする。取り返しのつかないその遠回りを描いたのが本書だとも言えるのである。

 これは、「はなはだしい無気力」や、「ドスンという鈍い物音」の向こう側にあるもの、「いつも閉じこもり、体をちぢめて、けっして自分から近づこうとしない生きもの」のなかに息づくものに気がつくまでの物語だ。

 ここにきて、家庭が崩壊するのが切ないのではなく、我々が真実に気がつくまで時間を要する愚かな生き物であることが切ないことに気がつくのである。



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