| 今でも、よく覚えている。覚えているというよりも、忘れられないのだ。夏休み最後の日だった。テレビを何気なく見ていると、海の事故のニュースが流れた。海水浴へ出かけた中学生が行方不明になっていると。盆過ぎの、もうクラゲが出始めている海には台風が近付いていた。ニュースのテロップに流れた名前は、同級生のものだった。
思春期の女の子が興味を持つ事なんて、今も昔も大して変わらないだろう。母の口紅をポッケに忍ばせ、放課後になるとトイレでそれをこっそりと塗り、スカートをたくしあげ、セーラー服のリボンの幅を広くした。廊下ですれ違っただけで、彼は私の唇の紅さに気がついた。「お前口紅塗るのやめろよ」そんなたわいもないセリフを、おかっぱ頭の私は甘い気持ちで聞いた。彼の事が好きだった。
そのニュースを見てから数日後、彼は変わりはてた姿で見付かったという知らせをホームルームで担任から聞かされた時、私は教室で泣いたはずだ。
本に呼ばれる事がある。怖い話ではない。皆さんも図書館で、本屋さんで、何だか気になって本に手をのばした経験があるだろう。新刊で入ってきたこの本もそうだった。タイトルを読み、表紙を眺める。目次を追って、最初の数行に目を通す。今月はホラーにしたいと思っていた私を、この本が呼んだのだ。
念のため書き添えておくと、夜眠れなくなるような、トイレに行けなくなる怖さの本ではない。ほんの半歩先には、そちらの世界で入口がぽっかりと口を開けている。私達は、いともたやすくそこへ足を踏み入れてしまうのだということを、本当に怖いのは化け物や幽霊などではなく、ほんの幽かなその気配を感じとってしまう、私達の臆病さなのだということを教えてくれるのだ。
全編をとおして「幽(かす)かな」という言葉が使われているのだが、「怖さ」とはまさにこの「幽かな」という表現に尽きるだろう。人間は、暗闇を本能的に恐れる。そこに何があるのか見えない、確かめられない。幽かに音がした。(ような気がする)何かが動いた。(かもしれない)その暗闇に近付いて確かめる勇気はない。ないから、頭の中で想像する。この怖いと思う気持ちがあればこそ、柳は白い着物の女性に、木目は髑髏に見えたりもするわけで。人の心の中にこそ、その暗がりはあるのだが、私達は目に見えるその闇が怖いのだと思い込んでしまう。
その彼のお葬式の後だったのか、前だったのか。私は一人きりの家の中で、彼の事を考えて泣いていた。窓もカーテンも閉めきった部屋の中で鼻をすすっていると、箱から半分だけ顔を出しているティッシュの右半分が、“くしゃ”と丸まったのだ。まるで、人の手で握られたかのように。「泣くな」そう、言われたのだと思った。彼が最後に、会いに来てくれたのだと思った。後にも先にも、こんな体験はこれっきりなのだが、あの日から、私は目に見えない、不思議な何かがこの世の中にある事を信じて生きている。
「もう日は西に傾いている。その茜の光に照らされ、緑の木々がしみじみとした色合いを見せていた。カァ、と姿の見えない鴉が鳴く」
本当に、人生、半歩先は闇なのだ。
「カァ、と姿の見えない鴉が鳴く」
どうか、悔いのない夏休みを。
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