詩人という存在は、激しく美しい言葉を綴る人のイメージがある。どんなにやさしく暖かい、静かで穏やかな、或いは哀しく切ない詩であってもたぶん書いている人間は身の内に吹き荒れる激しさを飼っている。中から迸るいろいろを掬い上げ、精製し、時には切り結んだりしながら鍛えて詩という短い世界に潔く託す。
普段詩集はあまり読まないのですが、読めばきっと好きになるジャンルだと思っています。何故なら私は朗読好き(読むのも聴くのも)。詩の朗読なんて絶対めちゃくちゃカッコイイに決まってますので。
さて今回紹介する本は実は某イケメン(笑)版元さんに教えてもらいました。
「現時点での今年No. 1です。本屋大賞です」なんて薦められたら
「いや、本屋大賞は小説が対象だから・・・」と冷静にツッこむのも忘れて即買いでしょう。
その上、流し読みしようとすると
「そんなパラパラ読んじゃ駄目です!! 背筋を伸ばして、できれば正座で」と言うのです。
結局言いつけを守らず帰りの電車で読んでしまったのですが後悔しました。確かにこれは背中をまっすぐにして、その言葉のひとつひとつを受け取らなければ。
一周忌に当たる今年の二月に遺稿を託されていた甥の手によって出版されたこの詩集には、夫を亡くしてからの31年にもわたる長い年月に書き留められた、今はもうここにはいない最愛の人への愛の言葉が収められています。しんと静かで哀しく鮮烈な、どこかエロティシズムの匂いの漂うラブレター。
視界をよぎる愛しい人の面影、ふとした瞬間に蘇る交わした会話の数々、喪失感、孤独、寂寥、季節の移ろい、肉体の記憶、感謝と尊敬の気持ち・・・そんなものに囲まれて日々を過ごしながら、詩人をずっと支えてきたものは何だったのか。人はどれだけ自分ではないものを愛して信じることができるのか。その潔さと深さの前で圧倒されました。
生前には発表されなかった39篇の詩は、あまりに秘められた感情が赤裸々に伝わってくるので、何だか二人だけの秘密の語らいを覗いてしまったような後ろめたささえ感じたのですが、後日イケメン(笑)版元さんにそのように言うと、
「茨木さんは絶対に発表されることを念頭において書かれていたに違いないですよ。確信犯です、きっと。生前の出版は照れくさかったかもしれませんけど、作家ですから」と言われました。
おお確信犯 !! 言葉を使って何かを表現しようとする人たちの業。書かなければ生きていてない、死んでしまうくらいの。人を愛するその激しさで言葉を紡がずにはいられない。やっぱり詩人はカッコイイです。
「私が一番きれいだった時」も読み返したくなりました。
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