自己啓発書を読まされて納得できなくなるのは、本の主張が問題なのではなくて、そうせざるを得ないとはいえ「これはこういうものなのです」と作者が勝手に断定しながら進むところだ。正しいと思える主張であっても、何の留保もなく「こうあるべきです」と書かれと、それだけで胡散臭くて寒々しい気持ちになる。
『エリザベス・コステロ』の立場は、もちろんそことは対極にある。世界的に有名で、古典作品に造詣が深く、年老いて自らの先が長くないことを熟知していて、それでも攻撃的な主人公の作家エリザベス・コステロと他の登場人物たちは、ソクラテスやプラトンの対話術の様に思考し、弁論を応酬する。そして自らの思考が明らかになればなるほど、そのテーマの謎は深くなり、決して安易な解答は示されない。かと言って、決して理屈ガチガチの小説でもない。『恥辱』の様な、やにっこいエロティックな描写はそこかしこに散見するし、あまつさえ章が進むにつれてエリザベス・コステロの「性遍歴」も生々しく暴露されてゆく。
章ごとに「リアリズム」「ポストコロニアル」「キリスト教とギリシャ的美学論との対立、もしくは肉体と精神」「悪」のテーマが描かれ、最後はカフカの『地獄の門』の様な体裁でエリザベス・コステロ自身が審理され、物語は一応の収束を見る。殊に面白かったのが第3章で、ここでは人間の生への意志と救済への憧憬、才能の発掘とその限界、審美術とキリスト教の歴史などが遺憾なく語られ、読むものを興奮させずにはいられなくさせる。
古典的教養が散りばめられつつも少しも衒学的でもカビ臭くもなく、現代の我々のテーマが見事に捉えられ論じられた素晴しい一冊。共時的な「文学」好きの方なら、読んで損はないばかりではなく何か必ず言いたくなるであろう。それも、それが作者の仕掛けた罠であることを知りながら。 |