たとえばどこかの国で内部紛争があるとする。全く関係のない人々が虐殺され、何も知らないはずの子どもが爆破テロを起こす。
ワイドショウやウェブサイト、朝刊に週刊誌はそれを隠すことなく報道する。ニュースキャスターは新聞記者は、アナリストは有識者は、その青い出来事に憤る。まるで自分の手柄のように憤り、まるで当事者の如く悲しみ吼える。そう、それが人として当たり前だ。
本当は知りたくもないはずの不幸せなニュース。けれど、そのニュースは象の花子が生まれたことよりクローズアップされていて、人は視聴者は、知りたくもないはずの不幸せな情報をさらに得ようとチャンネルを変え、ウェブサイトを駆け回る。そう、それも人として当たり前だ。
本書は幸せな家族と幸せな人々の物語である。それ以外に形容できない。そもそもタイトルの『奇跡』自体も、頷きにくいだろう『奇跡』だ。
正直、20ページまでギスギスした家族の話が続き、何となく結末までの展開が予想できた気がして(実はあっさり裏切られるんだけど)、読むのを止めようかと思った。けれど71ページで雪の上で冷ますメープルシロップがどんなに素敵な味なのか知りたくてしょうがなくなる。そうして、95ページで涙が出そうになった。
読了までに、何度も何度も背中から羽が生えて自分をふうわり包み込む感触を味わった。そうして最後のページを閉じ、ソフトカバー特有のたわんだ表紙を眺めて、気が付けばアルカイックスマイル。
果てしなく幸せな物語だ。ホグワーツ魔法学校のごちそう魔法くらいに、果てしなく幸せな奇跡ばかりだ。リアルではありえないよと鼻で笑われるくらいにファンタジーだ。
それでも、幸せにならないか?
悲しみは人間を大きくする。争いからは失敗を学ぶ。悔しさは明日への希望になる。けれど、必要悪という言葉が存在しているように、必要善があってもいいんじゃないか。
人は失敗からしか学べない愚かな生物なのかもしれない。もっともその失敗でさえ、収集品の一つとして納められた美術館からしか得られない日常なのかもしれない。
でもそんな日常の中でさえ、溢れかえる本の大群からこの本を見つけだせて、こんなに素敵な物語を読むことができて、ついでに書けば、この日「自分の一文が新聞広告に採用される」というハプニングがあって、そしてこの小さな輝きを紹介できて、偶然この文章を読んだ貴方がいて、この物語を共有できる可能性があるってことは、うん、そうなんだ。幸せな奇跡なんだ。
ペイフォワード。僕は幸せだ
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