本屋で働いていると、直接的にせよ間接的にせよ、お客様から教わることは多い。
私が荒川洋治に興味を持ったのも、二年ほど前、年配のお客様に店頭で薦められたのがきっかけだ。
押し付けがましくもなく、知識をひけらかすでもなく、本を愛する人間の一人として良書を後生に伝えようとする、その老紳士の思いに触れた気がして、その日早速『忘れられた過去』を手に入れた。
読んでみると本当にいい本だった。
本を読む、という行為そのものを恋しく感じさせるような本だった。
『世に出ないことば』は、『夜のある町』『忘れられる過去』に続く、みすず書房の荒川洋治エッセイ集第三弾だ。
詩人の書く文章だけあって、言葉の一つ一つが洗練されている。
リズムがいいので、声に出して読みたくなる(個人的には森本レオに朗読してほしい)。
一編読み終わる毎に、じっと目を閉じて余韻に浸りたくなる。
旅行記も身辺雑記も収められているが、とりわけ本書に収められた書評の数々を読むと著者の鋭い洞察力にはっとさせられる。
たとえば、長嶋有『ジャージの二人』について次のように書かれている。
「ことばはその人のものでありながら、その人にもわからないところがある。ことばをうけとる人のなかで意味を変えることもある。こうした局面に(その局面が物語の進行や展開にとって小さいものであろうと)作者の情熱がにじむ。それは描写を混乱させることにもなるが、ことばを見ることは混乱を見ることなのだ。そこには勇気がいる。これは勇ましい小説なのだと思う。」
作品の良さを伝えながらも、この書評には平凡な生活を送っている人間に向けられた温かい眼差しが感じられる。
日常の瑣事こそが愛しいのですよ、普段あなたが気にも留めない何気ないやりとりこそ物語なのですよと、そっと耳打ちされたような気持ちになった。
荒川洋治の書評の最大の魅力は、一冊の本を紹介しながら何かもっと大きなことを語っているところだ。
面と向かって年長者に聞くのは少し照れくさいことを、まっすぐに語りかけてくれているような気がするのだ。
だからなのだろうか、本書で紹介されている本は全て読みたくなる。
その本を読んでいる自分の姿を想像しただけでワクワクする。
あの老紳士に『忘れられる過去』を薦められた時のように。
巷では、本が氾濫していると言われている。
書店に行けば、何を買っていいのか途方に暮れるほどの本が溢れている。
面白いと思う本もあれば、つまらないと感じる本もある。
ただ、その一冊一冊の本の背後には、何百倍何千倍もの「世に出ない言葉」が存在する。
そのことを時々思い出しながらこれからも本を読んでいきたい。
きっと一冊の本の持つ重みが違ってくるはずだ。
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