雨のなかを歩く。しかし午前中だけで、午後から止んだ。
四国遍路で初めて海沿いに出た。それだけのことで気持ちが晴れやかになる。朝6時におき、7時には宿を出てひたすら歩き、夕方3時4時には宿について、風呂に入って洗濯して食事して、8時には寝てしまう。シンプルな日々。
前回は、宿で空いた時間に読もうと思い文庫本を持ってきたが、夜はどうせ倒れこむように寝るだけなので、今回は往復の新幹線用に一冊持ってきただけである。つまり毎日本さえも読まない。その本を読まないということが、時間を充実させていると感じる。この世界には、本ばかり読んでいるとキャッチできない何かがあるのだ。
宿坊に泊まったので、朝の勤行に出てみようかと思ったが、私はお遍路しておりながら、白衣も羽織らず(前回買ったが、自宅に置いてきた)、数珠も持たずに(前回もらったが、自宅に置いてきた)来ているので、常に私服である。そういう格好で朝のお勤めに出ていいものかどうか心配になり、やめてしまった。だいたいお遍路の必需品である、弘法大師の身代わりと言われる杖さえも持っていないのだ。持っているのは、円錐形の菅笠だけである。なぜ頭だけちゃんと買ったかというと、菅笠は雨の中を歩くのに便利だろうと思ったからで、実際昨日、便利だった。雨が全然顔にかからない。
思えば、本格的なお遍路さんは、頭が三角(円錐形)で全身白づくめで、まるでイカのようだ。私は頭だけイカで、あとは単なるバックパッカーである。
さて今日は、天候も回復。海沿いを延々歩いた。
室戸まで81キロという表示。その室戸岬を越えて、今回は高知まで行こうと思っているのだが、岬へ到る国道は、途中、食堂や店どころか自動販売機もない区間が長く続き、四国遍路の難所のひとつに数えられている。ここまでの山登りや、この長く単調な室戸岬越えまでの区間で、歩き遍路の七割が挫折するのだと昨日宿坊で会った男性が言っていた。たしかに、散歩気分でここまで歩いてきた私も、食料も缶ジュースも補給できないこの長い道のりには、身が引き締まる思いがする。
今日は30キロ以上の長い行程。
足の裏にはもはや6つか7つのマメができており、とても痛い。その痛いのをぐいぐい踏み潰すようにして歩いていった。
途中、東洋大師という小さなお寺で、チベットを感じた。何がそう思わせたのかわからないが、たしかに香るチベットの風情。思えばそれは、今回海岸線を歩いている間じゅう、心のどこかで感じていたことだった。なぜだろう。考えてもわからない。風景はちっともチベットと似ていないのに。
ようやく室戸岬に到達した。それまで風などなかったのに、岬を回り込むと、ものすごい強風が吹いていた。西側と東側では、これほど違うのかと驚く。
マメを数えてみると、両足の親指以外の全部の指にできていた。8つのマメを持つ男。007に出てきそうだ。
あまりのマメの痛さに、ついに気力が減退し、今日の行程は8キロにとどめる。空いた時間で海に出て石を拾った。実はこれまでにも時々海岸に出たときに拾っていたのだが、今回はじっくり腰を据えていい石を選んだ。多摩川で一緒に石を拾ったイトヒロさんのことを思い出す。イトヒロさんもこうやって石を拾いたかっただろう。それにひきかえ、自分はマメは痛いが、今こうしてここにいて元気である。それだけで十分じゃないかと思う。
昨夜は金剛頂寺の宿坊に泊まる。
死後の世界を見に行くことになり、エレベーターに乗って降りていった。すると、天井の高い工場のようなところに出た。目の前にトロッコが3台あって、ランプがついているのに乗れ、と標識がたっていた。真ん中のランプがついている。
トロッコといっても、ガレージぐらいの大きさで、車1台が乗れる長方形の枠に三角形の出っ張りがはみ出していて、人間はその出っ張りのところに立つようになっている。いつの間にか車が1台乗っており、ドライバーが降りてきて私の隣に立った。それは若くしてガンで死んだ青年であった。自分は冷やかしでこんなところに来てよかったのだろうかと畏れ多い気持ちがする。せめてこの青年の前では、自分も本当に死んだような顔をしていなければいけないと考えた。
トロッコはある程度走ったところで停止して、われわれが降りると自動的に元の場所へ戻っていった。といっても、さっき乗った場所がすぐそこに見えるぐらいで、こんなに近いのかよ、と意外に思う。
どういうわけか私はプールに入っている。プールには、内部に赤い球状のものをくるんだ三角形の白いぷにゅぷにゅした、水餃子のようなワンタンのようなものがたくさん浮かんでいた。それを背中とプールの縁で挟んで、肩のツボに押し当てるようにしている人がいる。中の赤い球がぐりぐりして効くらしい。自分もやってみるが、するっと逃げられて、なかなかツボにはまらない。
そうやって水中で苦闘していると、深いところに太い柱のようなものが2本見えた。潜って調べてみたところ、その片方はたしかに死後の世界へ通じていて、その瞬間、背筋がぞっとする。ああ、こんなプールに浸かっていてはいけないと思いながら、ためしにちょっとだけその柱をたぐって潜ってみたいような、そんな自分の怖いもの見たさに、お前はどうしようもないバカだとののしりたいほどの自己嫌悪を憶える。そうでなくても、こころなしかプールの水が、その柱を伝って底の国へ飲み込まれつつあるような気がする。
──このままでは、とりかえしのつかないことになる。
水が流れはじめている。
何やってるんだ。早くプールからあがれ。お前はなんてバカなんだ。
プールの水は、一見静水のようでありながら、その実、水面下では力強い渦となって、すべてを飲み込んでいたのだった。
その後、布団をたたんで朝食。
そうして7時半頃また歩き出し、昨日サボったのを挽回するようなつもりで、30キロ進んだ。
さらにまたガシガシガシガシ30キロ無心に歩く。マメは9つになった。
四国遍路にきて以来、海に流れ込む川があるたびに、橋の上で立ち止まって川面を覗き込むのが癖になった。透明感を味わうためだ。ここまでに渡ったどの川も、驚くほどの透明度で、底まで透けて見える清流は、ただ眺めているだけでじわじわと体に水分がしみこむような心地がする。
それで安芸市内で通りがかった小さな川を、いつもの調子で覗き込んだら、川幅いっぱいに鯉がいて驚いた。しかも覗き込んだ私の顔めがけて、どわわわっと寄ってきた。みなぬらぬらした大きな口を開けて、私が落ちたらパクパク食べるつもりらしかった。鯉め。ふざけてはいけない。