子どもと近所のキャンプ場へ行って、オタマジャクシを捕まえてきた。
これでわが家のベランダには、カブトムシの幼虫(子どもが友だちにもらってきた)と、オタマジャクシと、正体不明の雑草が、同居することになった。カブトムシにはまるで興味が湧かないが、オタマジャクシは動きや形に無垢な味わいがあり、つい観察したくなる。
妻に「オタマジャクシの餌は何?」と聞かれたので、「オタマジャクシに餌なんかいるかいな。あの丸い部分に栄養がたっぷり入っとる」と答えた。が、後でネットで調べると、餌いるらしい。意表だ。むかし餌なんかやらなくてもばんばんカエルになった記憶があるのだが、単に記憶が抜け落ちていただけか。そうするとあの丸い部分はふつうに胴体だったということだ。
アマゾンで頼んでいた『四国遍路と世界の巡礼』四国遍路と世界の巡礼研究会編(法蔵館)ほかもろもろ届く。
6月1日(日)
6月2日(月)
Q社の文庫編集者イスタさんに会う。
具体的な仕事の話ではなく、なんとなく顔合わせ。初対面だったが、案の定イメージと全然ちがうと言われる。今後ともよろしく。
会って早々、読者に宮田さんがどんな人かわかるような本が必要、旅の本だけじゃくて、もっと多くの人に読んでもらえる内容の本を書いたほうがいい、とのアドバイスをいただくが、それはこれまでに何度か試みて失敗してきたことだ。私の経歴なんて平凡だし、何より自分の過去を書くことに興味がない。かくなるうえは、このまま正体不明の謎の旅人として、やっていく所存。
夜のニュースでW杯アジア予選、日本がオマーンに快勝したことを知り、観ればよかったと後悔する。なぜ観なかったかといえば、ドイツW杯でオーストラリアに負けたトラウマが、いまだ癒されないからだ。あれからちっともサッカーを観なくなった。日本代表の試合は、観ているだけで激しく体力を消耗するので、このまま遠ざかるのが仕事のためだと思っていたが、そうか大久保が入れたか、俊輔も入れたのか、あああ。
6月3日(火)
雨。そして寝坊。
どうやら梅雨に入ったらしい。
春眠暁を憶えず、なんて言うけれど、夏眠も暁を憶えない。秋も憶えないし、冬も憶えない。いわんや梅雨においておや(漢文ふう)。
昼前に起き、オタマジャクシの入ったプラスチックの虫かごを、なんとなく雨にかざして水分補給。
先日から寝かせていた書評エッセイを取り出して、フィニッシュした。醗酵してるかと期待したが、数日間放置していただけでは、とくに醗酵していなかった。残念。
帰宅すると、住民税の通知書が届いていた。
そうだった。この時期は警戒を怠ってはいけなかったのだ。
封を開いて思わず、え、と声が出た。
ウソだろ? 一ケタ間違えているのでは?
自宅と仕事の家賃を足した額の倍以上ある。おかしいだろ、この金額。
ここ数年赤字が続いていたのが、去年ようやく収入が支出を上回って、ほっと胸をなでおろしたのもつかの間、思わぬどんでん返しが待っていた。すっかり忘れていたが、去年大増税したのだった。
しかも今月は仕事場の契約更改で更新料がかかるため、そうでなくても凹んでいたところである。宮古島とか予約してる場合ではなかった。
おお、そういえば、そんなこととは露知らず、昨日アマゾンで「西遊記」のDVDを買ってしまったぞ。挿翅虎さんの話を聞いてうらやましくなり、ついに根負けしてクリックしてしまったのだ。
なんてこった。あわてて計算すると、四国遍路の予算が捻出できそうにない。おおおお、南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛。
仕事断ってる場合なのか、私は。
6月4日(水)
また寝坊。
というか、生活が夜型になりつつある。昨夜は午前6時まで起きて、この日記を書いたり、本を読んだり、税金のふしぎについて考えたりしていた。
起きたら、もうすぐ子どもたちが幼稚園から帰ってくる時間だったので、そのまま仕事場へ行くのをやめて、彼らを連れてまた近所のキャンプ場へ行った。オタマジャクシを追加補給するためだ。ところが、三日前はウジャウジャいたのに、今日はどこへ行ったか姿があまり見えなかった。かろうじて三匹だけ確保したものの、季節というのは、みるみるうちに進んでいくことを実感する結果になった。
それからスポーツ用品店へ行って、四国遍路で使うかもしれないポンチョを購入。予算面での不安が大きくのしかかるが、そこは正視しないようにして、可能な範囲で準備を進める。
夜、何を思ったか、妻が家計簿をつける計画を練っていた。
現在、家計の管理はどちらかというと私の担当になっていて、妻は日々の生活にいくら金がかかっているのかほとんど把握していない。
そもそもわが家の収入は、いつどのぐらい入ってくるのか予測できないうえに、資料費や取材費でばんばん出ていくから、妻が金の出入りを管理するのは難しいのだ。
それでも家計簿をつけるとすれば、まず私が収入から事業経費を差し引いた残りを、今月はこれでなんとかやってくれ、と妻に渡して、それからということになろうが、私は突然どかどか本を買ってみたり、不意に旅立ったりするから、収入の多い月でも家計に回る金は微々たるものだったりする。ふつうに考えて、とても生活費すべてをまかなえる金額ではないはずで、その理不尽さにいよいよ妻が勘付いたのかもしれない。だいたい貯金がみるみる目減りしていても、まるで動じなかった今までがふつうじゃなかったのである。
もし、生活費がマイナスだから今月は本買うのを少し控えてほしい、みたいな正しいことを言うような妻になったら、第二形態に成長する前にエメリウム光線で倒したい。
6月5日(木)
生活を朝型に戻すべく、夜9時にベッドに入った。
スムーズに眠れて、目が覚めた瞬間、よっしゃうまくいったと喜んだが、時計を見るとまだ深夜1時半だった。ここで起きて本なんか読んでしまったら、昼間に再び睡魔に襲われるのは確実だから、なんとか踏ん張って、もう一度寝ようとした。だが、すでに睡眠は十分足りていて、起きているようなそうじゃないような頭で、とぎれとぎれに朝まで過ごす。なんでも昔のモーニング娘。のひとりが橋を渡って中国へ行き、残留孤児になったようだ。橋のたもとで幼い兄弟がそれを見送っていた。やがてその兄弟がさらに幼かった頃の話に変わって、同じ子役を使っていたので、ああ、この夢はだいぶ前から撮ってあったんだと感心した。まだ若い頃のモーニング娘。がこれから橋を渡る追憶の場面になり、彼女の将来の運命を知っている私は、胸が詰まる思いで、ゆっくり眠ってなどいられなかった。
6月6日(金)
「西遊記」のDVD届く。
なんとなく妻に見つかってはいけないような気がし、机の資料の山のなかにすばやく紛れ込ませる。
6月7日(土)
スットコ幼稚園の父親参観日。
教室で娘の紙粘土細工を手伝う。他の子たちが、アンパンマンやキティちゃんやゾウや車をつくるなか、娘は隕石をつくった。っていうか、それただの粘土の塊だろ。しかたないので、無理やり私が、花のような形にこじつける。
教室の後ろに、全員が描いた父親の似顔絵が貼ってあり、ひとつだけ被災地の思い出みたいな絵があると思ったら、私の顔だった。
ふつうは顔の輪郭をぐるぐる描いて、そのなかに目や鼻や口を描き、それに変なメガネがかかっていたり、髭ぼうぼうだったり、髪がなかったりして、見るものを微笑ませるのが子どもの絵かと思うが、娘の絵は、人類が絶滅した一万年後の世界のようだった。暗黒の巨大な底なし沼が、倒壊した貿易センタービルみたいなものに被さっている。
「これ何? この沼みたいなのは」
「目」
「瓦礫みたいなのは?」
「歯」
そう言われてみると、なんとなく死んだ親父に似ているような気もした。
いったん家に戻り、取材のため関西へ。
新幹線で京都まで行き、そこから特急を三本乗り継いで、兵庫県の浜坂へ向かう。山陰本線は、車両が古く、車内放送のメロディも昔なつかしい鉄道唱歌だった。この曲を聴くと、遠いところへきたなあ、という気持ちになる。きっと家族旅行でどこかへ行った記憶がそうさせるのだろう。でも、どこへ行ったのかは思い出せない。とにかくどこか遠くへ行き、そのときのワクワクするような感覚だけが今も残っているのだ。いまだこの曲を流しているなんて、泣かせるじゃないか山陰本線。
自宅から七時間かかって浜坂に着き、そこからさらにタクシーで湯村温泉に入った。
6月8日(日)
第9回全日本かくれんぼ大会に参加する。
この大会は、鬼500人、隠れ人200人で温泉町全域を使ってかくれんぼするという壮大なもので、私は隠れ人のほうにエントリーしていた。
範囲が広いため、隠れ場所を決めるのもひと苦労。案外いい場所はないもので、私有地や川への立ち入りは禁止されているから、そうなると公共の建物か道路脇のブッシュ、公園あたりしか隠れる場所がなかった。しかしなかには報道陣のような格好をしてカメラを抱えて歩き回る隠れ人もいて、なるほどそういう手があったか、と感心する。
思案の末、電話ボックスと灌木の隙間に隠れた。町内放送で、「もういいかい」「もういいよ」の掛け声が流れ、それを合図に鬼がスタート。スタート地点から1キロぐらい離れていたので、15分は来ないだろうと安心していたら、ものの5分とたたないうちに、「見つけた!」と指差されて驚く。
ゲ、めちゃ早いがな。
なんでも鬼は、隠れ人を見つけないと、賞品の海外旅行が当たる権利が得られないので、スタートとともに猛ダッシュするのらしい。知らなかった。のんびり構えてて大失敗である。
それにしても町内には、そこここに仮装をした参加者が歩き回っていて、それも仮面ライダーとか、がちゃぴんとか、ガンダムとか、グリコの看板とか、食いだおれ人形とか、かくれんぼと全然関係ないというか、そもそも鬼が仮装する意味がわからんというか、隠れる側も、仮装のせいでかえって目立っているのであって、みんなアホですばらしい。
後に主催者にも話を聞いたが、アホな企画に全力投球しているところに好感が持て、取材は大成功であった。
でも、せめて三十分ぐらいは見つかりたくなかったな。
帰りは、朝日新聞の担当記者挿翅虎さんの車で、宝塚の実家まで送ってもらう。今回は挿翅虎さんの奥さんも同行されていて、粘菌好きということでウマが合い、話が盛り上がった。
6月9日(月)
新幹線で帰る。今回は、帰ってからいろいろとやることがあるので、寄り道はパス。新幹線のなかで、『ズニ族の謎』ナンシー・Y・デーヴィス著(ちくま学芸文庫)を読む。
かくれんぼしながら考えたのだが、私はもう四国遍路に行ったほうがいいのではないか。なんとなく梅雨明け以降の出発をイメージしていたが、あれこれ考えていないでさっさと行ってしまえ、という声が頭の中でする。
6月10日(火)
仕事場の契約更新のため不動産屋へ行き、更新料を払う。月末には、住民税が引き落とされるし、とても痛い。
朝日新聞のかくれんぼ大会の原稿を書いて、挿翅虎さんにメールで送る。
6月11日(水)
天気予報では今日明日の徳島の降水確率は70%と言っているが、四国遍路に行くことにする。
梅雨だし、金はないし、荷造りは面倒だし、よっぽど先延ばしにしようかと思ったが、どんな紀行エッセイを書くのかさっぱり見当がつかないのは、四国遍路がどんなものか知らないからであり、それなら行ってみて考えるほかないだろうというわけで、ザックを担いで出発した。
旅立つときはいつもそうだが、もう全面的に面倒くさい。
毎回、もっと気力充実してから出発したいと思うけれども、そうやって待っていても気力はとくに充実しないのであって、まだそのときじゃないのかな、と思ったときが実は潮時である。条件が整い、気力が高まってから行動しようと思っていたら、いつまでたっても人生何も起こらないのだ。それよりとにかく何でもいいから出発してしまって、それから決心を固めていくほうが早い。
そんなわけで、荷物重いなあ、雨はイヤだなあ、と思いつつ東京フェリーターミナルに到着。徳島までフェリーに乗っていくつもりだ。「るるぶ四国八十八ヶ所」というガイドブックの、最後のページのマークを持っていけば、16%のお遍路割引を受けられるので、買って切り取って持ってきた。
ターミナルに着くと、徒歩の乗客は私以外にひとりしかいなかった。
フランス人であった。
いや確証はないが、なんとなくフランス人ふうであった。
思わず「ボンジュウフ、ジュマペーなんとかかんとか」とか言ってみたくてウズウズしていたところ、「こんにちは」と先に話しかけられた。「日本語しゃべるがな」「ええ、少し」「ウェアーユーカンフロン」「フランスです」って、やっぱりフランス人である。二十歳の男子学生でこれから四国の農家へホームステイに行くのだという。
何の本能か、性別国籍問わず、日本を旅行中の外国人を見ると──とりわけ個人旅行者を見ると、ついいい人を装いたくなってしまう私は、今までの後ろ向きな気持ちが一転、心身ともに活性化して、さっそく荷物を一部持ってやり、船室まで案内してやり、貴重品ロッカーの使い方を解説してやったり、それ以上は深入りして話しかけずにのびのびした気分にさせてやったりした。
以前、九州を旅行中に台湾人の若い女性旅行者に会ったときも、その場でレンタカー屋に電話して、清廉潔白な気持ちでドライブに誘い、気がつけば途中で韓国人男子学生二人も拾って、四人で阿蘇山の火口を見に行ったことがある。そうやって一日運転手としてあちこち連れて行ったあげく、住所も名前も聞かずに、シーユーって別れて大満足だったのである。なんだろうな、このヘンな趣味は。
そうして〈瞬間最大いい人〉の強い風に見舞われた私は、おかげさまで四国遍路に出発してよかったという気持ちになって、夜はぐっすり眠れたのである。
6月12日(木)
昼過ぎ、フェリーは徳島港に到着。
天気は上々。降水確率70%はどうなったのか。さすが晴れ男の私だ。
フランス人を徳島駅まで案内してやり、そこでロッテリアのアップルパイ100円を奢って別れた。外国人に食べ物を奢るときのコツは、後でひとりのときに食べられるものをあげることである。今食べないと悪いという気持ちにさせてはいけない。相手は睡眠薬強盗などを疑っている可能性があるからだ。って、なんでこんなことに一家言持っているのであるか私は。
さてそれで、四国遍路である。
一番札所の霊山寺までは電車で行き、そこでお遍路用品をいくつか買う。
なるべく最小限に買ったつもりでも、一万円ちょっとしてたじろいだ。後で聞いたのだが、みんな一番札所で買うので、ここだけ割高なのらしい。やられた! 二番以降で探せばよかった。
ともあれ、そうして出発の感慨も何もないままに、歩き出す。
遍路道というからどんな道かと思えば、自動車も通る普通の道路である。なんだそりゃ、と少々不満におもいつつ、前進。
午後3時半頃からの出発だったので、4キロ程度歩いただけで、三番札所手前で今日は終了した。その程度では歩いた実感が全然ない。
それでも、宿にチェックインする頃には、来てよかったという気持ちが高まっていた。旅行なんて、そんなものだ。
6月13日(金)
遍路二日目。快晴。
歩きながら、この紀行の目的というか、企画を考えようと思っていたが、歩き出すと何も考えられない。ただもう黙々と歩いてしまう。
九番札所まで20キロ以上歩いて、さっそく足の裏にマメができた。それは予想通りでたいした問題ではないが、いったいなんの因果であろう、いきなりトレッキングシューズが壊れてしまった。ゲ、早すぎるだろ。
妻にその件をメールすると、妻も今日たまたまジョギングしていて、靴が壊れたとのこと。なんという偶然。何かのメッセージだろうか。
敢えてここに意味を読み取るとすれば、
「今は動くな。前に進むときではない」
であろうか。あるいは、
「貧乏でも、靴は買え」
かな。思えば、もう十年以上この同じ靴を履いていた。
6月14日(土)
遍路三日目。快晴。
ところでこれを書きながら困っているのは、この四国遍路の旅は別のところで紀行エッセイとして書く可能性が高く、詳しい旅の話はそちらに譲るとするならば、ここではいったい何を書けばいいかということだ。
だぶるのもイヤなので、遍路中は簡潔に書くことにする。
四国遍路には何ヶ所か遍路転がしと呼ばれる難所があって、そのなかでも最大の難所がいきなり序盤も序盤、出発して40キロも行かないうちに現れる。十一番札所から十二番札所への登山道だ。
そういう難所は、なるべく朝一番で取り付きたいため、今日はその手前まで歩き、明日に備えることにした。ところがそうなると今日の歩行距離は13キロぐらいしかなくて、午後いっぱい時間を持てあました。
同時に、ここまでアスファルト道ばかり歩かされたことに、うんざりする。山道とかあぜ道とか、そういう道をもっと歩きたい。
昨夜の宿のオーナーに聞いたのだが、遍路道の9割以上は、舗装道路だそうである。トレッキングシューズではなく、舗装道路向きのふつうの運動靴で歩いたほうがいいという話は、ガイドブックでも読んでいたが、それでも半分ぐらいは土の道だと思っていた。1割もないとは予想以上だ。
大幻滅。急速にやる気が萎んでいくのを感じる。
6月15日(日)
遍路四日目。曇りのち雨。
四国遍路最大の難所、焼山寺の遍路転がしを登る。途中で雨になった。
登山だからしんどいことはしんどかったが、四国遍路最大の難所と聞いて警戒していたほどではなかった。むしろ、想像に比べてはるかに楽だったと言っていい。一日中、土の道を歩けたのがよかった。私にはアスファルトの車道を延々歩くほうがつらい。
ところで、山道を歩きながら、こう考えた。
一時は断ろうかとさえ思っていた紀行エッセイなのに、気がつけばこうしてまんまと歩かされている。家にいるときはそれなりに後ろ向きな気持ちもあったはずなのに、そんなことはすっかり忘れて楽しんでいる。そうやって結局また紀行エッセイを書いてしまいそうな自分の進歩のなさには、呆れるばかりだ。紀行エッセイは好きだけれども、そればかりではいかんだろ。
6月16日(月)
遍路五日目。晴れ。
長い山下り。といっても舗装道路だから、つらかった。昨日を除き、舗装道路ばっかりで辟易する。鮎喰川の清流が美しく、それを見て心和ませた。
やがて徳島市街に入り、車がバンバン走る国道を歩く。本当は、市内に一泊して、明日進めるだけ進んで明日の夜に帰るつもりだったのだが、国道歩きで坂道を転がるようにやる気を失い、気がつけば徳島駅から高速バスに乗っていた。私にとっての遍路転がしは、山より市街地のほうだった。
関西の実家に泊まる。
6月17日(火)
関西から東京へ帰る。
いつもは東海地方などで観光して帰るのだが、マメが痛くて、寄り道する気は起こらず。
ひたすら歩いていたときは、マメなんか痛みごと踏み潰すぐらいの気持ちだったのに、お遍路じゃなくなると、ちょっと体重を載せただけで痛みに耐えられず、そのへんの人をつかまえて、肩にもたれたくなる。昨日は30キロも歩いたくせに、今日は最寄り駅から自宅までの800mがつらかった。痛すぎ。お遍路中は、神経も何も一時的にアホになっていたのだろう。
帰って靴下を脱ぐと、サラリーマン時代並みの猛烈な異臭がした。おまけに爪もひとつ黒ずんで剥がれそうになっていた。ずっと通しで遍路する場合、このまま一ヶ月以上歩くわけだから、最終的に得体の知れない足になってしまうのではないか。
6月18日(水)
お遍路中に、本の雑誌社から高野秀行さんの新刊『辺境の旅はゾウにかぎる』が届いていたので、それを読みつつ、自分の単行本の初校をチェック。思えば、高野さんの本も、あちこちの雑誌に書いたものをまとめたもので、私のこれから出す本も同じタイプの本だ。ただ、高野さんの本には一本筋が通っている。私の本は、内容がバラバラである。高野さんには辺境作家という確固たるスタンスがあるが、私にはいったい何があるかと思うと、暗澹たる気持ちになる。
マヌ景かな。
マヌケな風景作家──それじゃ、なんだかわからんだろ。”マヌケ”が”作家”にかかってるみたいなところも気になる。
今月末の家賃と、今月末引き落としの住民税と、来月頭に引き落としのクレジットカード代が、どう計算しても家計から払えそうにない。わかっていたことなのに四国遍路で金を使い、「西遊記」のDVDも買ってしまって、いったい私はどうするつもりであろうか。
といっても、答えはもう決まっていて、わずかながら、緊急用に手をつけずに取ってある虎の子貯金に手をつけるしかないのである。そうなることもわかっていたのに、四国遍路に行ってしまった私はなんという阿呆であろう。
そもそも四国へ行く三日前には兵庫県でかくれんぼ大会を取材していたわけで、それならそのまま四国へ向かえば交通費が節約できたはずなのである。それなのにいったん東京に戻ったのは、まだ出発のふん切りがついていなかったせいもあるが、四国へ行くなら東京から船で上陸したいと前々からこだわっていたためであり、その程度のこだわりのために平気でムダ使いをしてしまうのは、私の昔からの悪い癖である。
それはそうと遍路に行っている間に、ロト6が1000円当たっていた。今年に入ってもう3回目だ。大当たりの前兆と思われる。
もし一等何億円とかが当たった場合、この日記に正直に書くかどうか悩むところだ。突然金がないだの何だの言わなくなり、黙々と一戸建てとか建て始めたら、そのときは、これを読んでいる人は、ああ、宮田ロト6当たったんだなと、それとなく察してもらいたい。
みんなが寝静まったあと、ひとりで「西遊記」のDVDを観る。めちゃめちゃ面白い。
6月19日(木)
散髪。
思えば、これまで生きてきて髪型を変えたことがほとんどない。茶髪にしたことが数回と、半年間の旅行中一度も髪を切らなかったことが一回あるだけ。今回は思い切って、スポーツ刈りふうに短く切ってもらった。すると、普段は童顔の私も、年齢相応のおっさん顔になった。そうか、髪が長いほうが若く見えるのだな。だが、もうとっくに中年なのだから、若く見せようとか思わないようにしよう。
髪を切ったあと、ワックスつけますか、と聞かれる。靴じゃないんだから、やめてほしい。「要りません」と断ったのだが、「この短さなら、つけたほうがいいですって」と無理やり、てっぺんの毛をつまんでくりくりに捻られた。無造作な感じにしているのだと思うが、無造作なら間に合っている。いつも整髪料もつけなければ、くしさえ入れないのだから。
最後は、各所がささくれだってドラゴンフルーツみたいになって、わざとらしさが際立った。べつにそういう最先端的な髪にしてくれなくても、普通でいいんだがなあ、普通で。
そうして家に帰って、玄関の鏡に映った自分を見ると、何だか異様だったのである。
何かが足りない。もちろん髪のボリュームが減ったのだから、普段に比べてそれだけ足りないのは当然だが、鏡の中の私は、てっぺんがなんだか寸詰まっていた。髪がないというより、頭がない。顔で終わってその上がないのである。
長い間髪型をいじらなかったため、とんと気づかなかったが、私には頭というものがほとんど存在しないらしい。顔面が相当上のほうにあるのだ。
ためしに、その足りない頭に去年アメリカで買ってきたクノーベルズ・アミューズメント・パークのキャップを載せてみると、全体がうまいバランスで落ち着いた。
そういえば髪の短い中年男性はよくキャップを被っている。なるほど、あれはみんな頭が寸詰まっているせいだったのだ。ハゲや白髪を隠しているのかと思ったらそうではなかった。頭そのものをねつ造していたのである。
美容師さんがワックスをつけて無理やり髪を立たせたのも、頭をかさあげしたかったからであろう。プロの美容師さんから見ても、私の頭は寸詰まっているということだ。客である私が断っているのに、クレーム覚悟でかさあげしたくなるほど、寸詰まっているということだ。
6月20日(金)
高野さんの『辺境の旅はゾウにかぎる』のなかに、船戸与一との対談が収録されていて、船戸氏が、体調が悪いときのほうが筆が進むと発言している。「体調がいいと、じっと机の前に座っているのが苦痛になってくるんだよ」。
これを読んだ瞬間、私は思わず膝を打った。
そうなのだ! まったくその通りだ。
私が遅筆なのは、結局、体調がいいと仕事なんか放り投げてどこかへ出かけてしまうからなのだ。じっとしているのが苦手な性格なのである。だいたい飛行機や風呂や映画館やコンサートが苦手なのも、そこでじっとしなければいけないからなのだ。四国遍路では、アスファルトが多すぎるとか文句を垂れていたが、そうはいっても外を歩くのは、仕事場でじっと原稿を書いているより、はるかに楽しいし、これこそ人生ってもんだろうと思う。
ほとんどの大人は、外歩きと仕事は別ものとして、混同することなく生きてるだろうが、私の場合、外を歩いていても、これは取材なのだと思い込むことが出来るだけに、始末が悪い。仕事を放り投げて外出しても、これは逃避ではない、ネタ探しだ、なんていって罪悪感が全然ないのである。
なんという、お気楽な生活か。
きっと顰蹙を買うことはあっても、同情されることはまずあるまい。
しかし顰蹙を承知でさらに考察するならば、私の筆がサクサク快調に進むためには、じっと机に向かう前に、外出するのが面倒だという気持ちにさせることが必要なのではないか。そのためには、まずはいっぱい外出してうんざりすべきではあるまいか。あるいは、体調崩すぐらい出歩くとか。とにかくいったん外で思う存分遊んでからでないと原稿は書けないのでは……って、うだうだ言ってるうちに、カースン・ネーピアさんに殴られそうな気がしてきたので、このへんにしておく。
つまるところ私は根本的に旅に依存しているのだった。人によって酒やタバコが辞められないように、私は外出が辞められない。晴れた日に家にいると、イライラして何も手につかなくなるのだ。
6月21日(土)
コラムのネタになるのではないかと、不意に思いつき、有明まで東京おもちゃショーを見にいく。何も考えずにふらふらと出かけていったら、会場の東京ビッグサイト前には、ものすごい行列ができていたので驚いた。こんなに人気のショーだったのか。
おかげでバンダイやタカラトミーなど大手メーカーのブースには入ることあたわず。しかたなく他のブースをぶらぶら歩く。超合金合体ロボみたいなのや、ラジコンなど男子永遠のおもちゃは普通なのでスルーし、何か変なものはないか探した。
まず目に留まったのがタクシーウォーカーという歩数計。歩いた距離をタクシー料金に換算してくれるというシンプルなものだが、バカバカしいので四国遍路で使ってみたくなった。
さらにマイクロピースのジグソーパズルは、絵をルーペで見るというわけのわからん代物。そんなで1000ピースも作った日には、目がぐったり疲れそうで、いったい誰がやるんじゃい、と思ったけど、かくいう自分が惹かれていた。そういうチマチマした無意味な作業にこそ、情熱を燃やしてみたい。
そのほかペン回し専用ペンとか、無限にプチプチできるおもちゃとかアホなものがいろいろあり、せっかく来たので、子供に何か買って帰ろうと思ったら、財布のなかに1000円札一枚しか入ってなかった。意表。自分は1000円札一枚しか持たずにこんなに遠くまで来たのか。
かといって貯金をおろすのはもういやだから、まっすぐ帰宅することにする。ところがJRのスイカも残額不足。仕方なく切符を買って帰ったが、帰宅したときには251円しか残っていなかった。
6月22日(日)
子どもを連れて市営の温水プールへ行く。
私はクロールの息継ぎが苦手で、長く泳ぐときはどうしても平泳ぎになってしまうのだが、以前読んだ高橋秀実『はい、泳げません』(新潮社)に、前に伸ばした手のひらを返せば自然に息継ぎできる、と書いてあったのを思い出し、実験してみた。すると、まさに軽々と息が吸え、なんだ簡単なことじゃないか、とうれしくなった。
その後、ラーメンを食ってから、図書館で絵本を借りて帰る。
雨が激しく、車のガラスが曇って難儀した。フロントガラスはなんとかデフロスターでクリアになるものの、左右の窓が真っ白なのだ。おかげで子どもたちが指でラクガキし、車内はクリスマスの窓辺みたいになっている。すれ違う車を見ると、どれも窓が曇っておらず、どうして自分の車だけこんなにびっしり曇るのか謎である。なにしろラーメン屋の駐車場に停めて、ラーメン食って帰ってきたら、誰も乗っていないのにすでに真っ白だったのである。中で上昇気流が発生しているようだ。
週末から宮古島だが、台風が接近中で気が気でない。台風はフィリピンでフェリーをひっくり返し、多数の死者が出た模様。
6月23日(月)
数日前の天気予報では、凶悪台風フンシェンは今週中ごろには沖縄近海を通過するはずだったが、どういうわけか南シナ海でゆっくりしている。おかげで週末の宮古島にもろに被りそうな気配が漂ってきた。おいおい、ふざけるんじゃないぞ。動きたくないなら、ずっとそこでゆっくりしてろ。
──というようなことを声高に言うと、はあ? 何か言いましたかあ、って寄ってくるので、むしろここは気さくなアメリカ人のような態度で、やあフンシェン、君がこっちにきても誰も気にしないよ、それどころかファイ・ドンチュー・ジョイナス・マイフレンド、って天気図の予報円に語りかけておく。そうすれば、疑り深い台風は、そのフランクな感じがなんか嫌、ってんで立ち去ってくれるからである。
堺正章の「西遊記」が面白いので、香取慎吾主演の新しい「西遊記」も借りて観てみたところ、特撮などは進歩していたものの、内容はずっと劣っていた。これはやはり前作を意識しすぎたせいではないか。三蔵法師が女性という出発点で、すでに前作の呪縛から逃れられていないような気がする。おかげで孫悟空のキャラクター設定に負荷がかかりすぎて大仰になり、逆に残るふたりはキャラクターそのものがほとんどなくなって、普通の人になっていた。テレビでは少しは違ったのだろうか。
後味が悪いので、口直しに一緒に借りた邦画「転々」を観る。
こっちは三浦友和が、脂っこくてインパクト大。かつては二枚目俳優だったはずなのに、そんな香りは微塵も残っていない。こういう微妙なポジションで生き残るアイデアは、どうやって生まれたのだろう。よく知らないが、かなり苦労したのではなかろうか。実際の三浦友和は、いったいどんな人なのかさっぱり想像できない。
東京おもちゃショーのコラム原稿アップ。
仕事場からの帰り道、スットコランド特有の牛糞の匂いが、そこらじゅうに立ち込めていて、とても心安らいだ。夜になっても、匂いは消えず、まるで本物のスコットランドの気分だった。行ったことないけど、まったくもってスコットランドとしか言いようがなかった。
6月24日(火)
近所の本屋に入って立ち読みしていると、不意に妙にでかくて黒いものが視界に入ってきた。なんだろ、と思って顔をあげると、まな板4つ分ぐらいの大きな黒い板だ。板を抱えた男が隣に立っていた。
奇妙なのは、男が全身黒づくめで、なおかつ黒いヘルメットまで被り、何のつもりかフードまで下ろしていることである。おかげで中の顔をうかがい知ることができない。思わずブルース・リーの死亡遊戯を思い出した。
室内なのになんでそんなもん被ってるのか。普通じゃないだろ。
そしてどうやら黒い板は、この男が他人の視線を遮るために常に掲げているのらしかった。
なんだこいつは?
テロリストか? 誰かに追われて身を隠しているのか? だとすれば、ますます怪しくなって逆効果ではないのか。
やがて男はどこかへ移動し、私も別の棚へ移って、立ち読みに没頭しているうちに忘れてしまったが、ふと、いつの間に寄ってきたのか、自分の後ろに死亡遊戯が立っているのに気づいて、ぞっとした。しかも私が動くと、後をついてくるではないか。
なんだなんだ!
思わず私は振り向いて、男をぎっと睨みすえた。すると男は、驚いたようにすばやく私から離れ、そのまま遠くからこちらをチラチラうかがっている様子であった。そして突如、機敏にスタスタと本屋を出て行ったのである。
なんだったんだ、いったい。
考えるに、男はつまり他人に見られることに強い恐怖を抱いていたのではないか。偶然私と動きが重なってしまい、本当にうろたえたのはむしろむこうのほうだったかもしれない。だとしたら睨んだりして悪かった、と思うものの、黒づくめでフードまで下ろしたら、誤解されても仕方ないじゃないか。何か良からぬことを企んでそうに見えてしまう。
何を悩んでいるのか知らんが、自分でどうしても解決策が見つからないときは、ジョギングするといいと思うよ。
6月25日(水)
朝、ネットで気象庁の天気予報をチェックすると、わが友フンシェンは、中国大陸に上陸し、熱帯低気圧に変わったようであった。やはりアメリカ人のフランクさは信用できないと思ったのだろう。当然だ。よかったよかった。これで去年のリベンジは確実だ。
と思ったら、娘発熱。
くうう、宮古島を目前に控え、次々と忍び寄る魔の手。すかさず医者へ連れていくと、溶連菌との診断だった。2、3日で治るとのこと。危ない危ない。
家の和室の畳が古くなって、い草が剥がれ、中の床が見えている。めくれたい草がトゲのようにささくれて危ないので、畳を換えたいと妻が言った。
それなら、畳だけでなく、網戸の網が破れているし、柱は一部欠けているし、押し入れ内の天棚がはずれて斜めに落ちてきてたりもするので、いっそ「大改造!劇的ビフォーアフター」で、リフォームしてもらってはどうだろうか。そろそろ手狭になってきたこともあるし。今ちょうど上の階が空いているから天井をぶち抜くといい。階段を新たに取り付け、メゾネットタイプにするのだ。
問題は賃貸マンションという点だが、賃貸住宅の改革者、とか、快適賃貸生活のネゴシエーター、みたいな匠が来て何とかしてくれそうな気がする。「ビフォーアフター」で解決できない問題はないからだ。
でも、そういえば最近あの番組を見ない。終わったか。
6月26日(木)
娘の熱は、瞬く間に引いた。
いよいよあさってから宮古島だけれど、私の頭の中はすでにサンゴ礁やウミウシでいっぱいである。
実はこの件については、まだ子どもたちに話していない。うっかり話してしまったその後に、去年のような重大事が起こってキャンセルになったら、心のダメージが大きすぎるとの判断なのだ。
もうすぐ旅行だ、と指折り数える楽しみも味わわせてやりたいが、一方では、当日朝に発表して、びっくりさせてみたい欲望もある。あるいは当日朝も発表しないで、黙々と連れ出し、そのまま何も言わずに飛行機に乗せて、いきなりどーんと青い海を見せたりするのも面白かろう。
なんてことをあれこれ考えて、頭の中がぐちゃぐちゃになっている。
書評原稿をアップしたが、例によって旅行の間、寝かせておくつもりである。
中村太一『日本の古代道路を探す 律令国家のアウトバーン』(平凡社新書)読了。アマゾンで頼んでいた原田信男『中世の村のかたちと暮らし』(角川選書)届く。
今日は一日中、雨だった。だが、東京の天気なんかもはやどうでもいい。
6月27日(金)
四国遍路エッセイを書き始めた。
といっても最初の一行から進まない。
新しい連載や書下ろしの冒頭部分はいつも時間がかかる私だ。
とくに今回のように、まだ全行程を終えていない段階で書き始めると、筆致が定まらなくて苦労する。内容にあった文体で書かないと、最終的に本にするときにまるごと書き直すはめになるから、慎重になるのだ。
思えばジェットコースターを書いたときも、巨大仏を書いたときも、ホンノンボを書いたときも、当初は連載だったが、どれひとつとして連載をそのまま本にできた試しがない。結局どれも書き直しになった。
取材していくうちに本のコンセプトが変わってしまった場合もあるが、多くの場合、コンセプトは変わらなくても、トーンが変わってしまうのである。
それはたとえばアホ全開で書き始めたのに、取材するうちに人生についてとか深く考え出したりすると、アホでいるのがつらくなるというのと、逆に最近気分が陰気だからってんで、低めのトーンでいこうとしたら、そのうちにハイになって、低空飛行に我慢できなくなったりする場合の両方である。本来なら常に一貫した気分であればいいのだが、人間だからそうもいかない。
と同時にまた、ネタに合った文体というものがあるんじゃないかと、そんなことも考えていなくもないのだ。仏師が、木のなかにすでにある仏像を彫り出している、という逸話と同様、文体を決めるのは自分ではなく、ネタではないかと、まあ、かっこよく言えば、そんなことも思っているのである。
なので、まだネタが出揃っていないはじめの段階では、トーンというか文体が、見えない。
だからいつも私は、仮の文体で書き始めることになる。できれば二度手間にならずに済ませたいから、先を予測しつつ、文体を仮定する。そしてそんな答えの見えない作業ゆえに、無闇に手間取ってしまうのだ。
6月28日(土)
宮古島へ出発。
結局昨日のうちに、明日海行くぞ、と発表したので、朝にびっくりさせる計画はなくなった。
羽田→那覇→宮古島と乗り継いで、午後三時には紺碧の海と体面する。
すばらしい眺めに親はしきりに感動するも、子どもは海の色や透明度なんか眼中になく、即座に海に突進して、波と戦っていた。
「この海の青さに気づかんか」と妻。
多少うねっているようだったが、波打ち際にしか用のない子どもたちには、大きな波はかえって面白いようすで、ちょうどいい按配と言える。一瞬スコールも降ったが、海に浸かっていれば、ほとんど関係なかった。
短時間で海を切り上げ、民宿にチェックインすると、部屋に白いゴキブリがいて、妻が固まった。さらに風呂場には巨大なクモがいて、娘凍る。
みんな何をビビっておるか。民宿に、虫はつきものではないか。
夜になると、ルービックキューブ大のヤドカリが出てきて、息子喜ぶ。
6月29日(日)
宮古島二日目。
民宿で教えてもらった池間島のビーチへ出かけてみる。トイレもシャワーもないが、こじんまりしたきれいなビーチで、水中には珊瑚も生きており、とても気に入った。
息子は波がなくて少々不満げだったものの、箱メガネを持たせて珊瑚の上に浮かべてやると、熱帯魚に夢中になっていた。ヒトデを持たせると喜び、ナマコに触ると喜ぶので、これは無脊椎動物方面に脈ありと思い、そういうことなら是非ともウミウシを見せてやろうと、捜してみる。
しばらくして体長約1センチ程度のウミウシを三体発見し、息子よ、これがウミウシだ、と見せてやったところ、あっそう、という感じであっさりスルーされ、拍子抜けした。「よく見ろ、きれいだろ。ふしぎだろ」と盛り上げても、どうでもいいような顔であった。おかしい。収まらないので、そのへんの見知らぬ子どもにも披露してみたが、子どもという子どもはおしなべてスルー。個人的には初めて見たタイプで、あまりの美しさに惚れ惚れと見入ったのだが、これがなぜ子供心に響かないか。
悔しいので、ひとりで鑑賞した。
ウミウシは全身薄いエメラルドグリーンで、無数の赤い斑点があり、貝殻を背負っていた。その貝殻も同じ文様の体表で覆われ、そこに白い文字のようなものが浮き上がっている。色合いといい、柄といい、以前、八丈島で見たコンシボリガイにも匹敵する美しさ。いいものを見た。さすが宮古島。そして、またしてもウミウシ探しの旅に出たくなったのである。
6月30日(月)
宮古島三日目。
波を求めて、与那覇前浜へ。
というと、まるでサーファーみたいだが、求めているのは子どもが喜びそうな小波である。
平日のせいか浜には誰もおらず、パウダーサンドの美しいビーチを独占。波間に浮かんで揺られていると、それだけで十分幸せな気分になる。しかし子どもは、思ったほど波もなく、見るべき珊瑚もないために、あっという間に飽きて砂をいじりだし、いかにも退屈といった風情であった。
午後はドライブでもしようかと思ったけど、あまりに暑くて中止。宮古島に来てから毎日晴れて暑い。
東京で予報を見たときは、天候くもり降水確率40%とのことで、晴れ男たる私は、そんな予想をくつがえすべく、前線や低気圧の懐柔に努めてきたのだが、実際宮古島に来てみると、晴れすぎて暑いっちゅうねん。晴れ男なんていっていい気になっていた自分は愚かだった。
今さらですが、予定通り天候くもり降水確率40%でお願いします。
