子どもと近所のキャンプ場へ行って、オタマジャクシを捕まえてきた。
これでわが家のベランダには、カブトムシの幼虫(子どもが友だちにもらってきた)と、オタマジャクシと、正体不明の雑草が、同居することになった。カブトムシにはまるで興味が湧かないが、オタマジャクシは動きや形に無垢な味わいがあり、つい観察したくなる。
妻に「オタマジャクシの餌は何?」と聞かれたので、「オタマジャクシに餌なんかいるかいな。あの丸い部分に栄養がたっぷり入っとる」と答えた。が、後でネットで調べると、餌いるらしい。意表だ。むかし餌なんかやらなくてもばんばんカエルになった記憶があるのだが、単に記憶が抜け落ちていただけか。そうするとあの丸い部分はふつうに胴体だったということだ。
アマゾンで頼んでいた『四国遍路と世界の巡礼』四国遍路と世界の巡礼研究会編(法蔵館)ほかもろもろ届く。
6月1日(日)
6月2日(月)
Q社の文庫編集者イスタさんに会う。
具体的な仕事の話ではなく、なんとなく顔合わせ。初対面だったが、案の定イメージと全然ちがうと言われる。今後ともよろしく。
会って早々、読者に宮田さんがどんな人かわかるような本が必要、旅の本だけじゃくて、もっと多くの人に読んでもらえる内容の本を書いたほうがいい、とのアドバイスをいただくが、それはこれまでに何度か試みて失敗してきたことだ。私の経歴なんて平凡だし、何より自分の過去を書くことに興味がない。かくなるうえは、このまま正体不明の謎の旅人として、やっていく所存。
夜のニュースでW杯アジア予選、日本がオマーンに快勝したことを知り、観ればよかったと後悔する。なぜ観なかったかといえば、ドイツW杯でオーストラリアに負けたトラウマが、いまだ癒されないからだ。あれからちっともサッカーを観なくなった。日本代表の試合は、観ているだけで激しく体力を消耗するので、このまま遠ざかるのが仕事のためだと思っていたが、そうか大久保が入れたか、俊輔も入れたのか、あああ。
6月3日(火)
雨。そして寝坊。
どうやら梅雨に入ったらしい。
春眠暁を憶えず、なんて言うけれど、夏眠も暁を憶えない。秋も憶えないし、冬も憶えない。いわんや梅雨においておや(漢文ふう)。
昼前に起き、オタマジャクシの入ったプラスチックの虫かごを、なんとなく雨にかざして水分補給。
先日から寝かせていた書評エッセイを取り出して、フィニッシュした。醗酵してるかと期待したが、数日間放置していただけでは、とくに醗酵していなかった。残念。
帰宅すると、住民税の通知書が届いていた。
そうだった。この時期は警戒を怠ってはいけなかったのだ。
封を開いて思わず、え、と声が出た。
ウソだろ? 一ケタ間違えているのでは?
自宅と仕事の家賃を足した額の倍以上ある。おかしいだろ、この金額。
ここ数年赤字が続いていたのが、去年ようやく収入が支出を上回って、ほっと胸をなでおろしたのもつかの間、思わぬどんでん返しが待っていた。すっかり忘れていたが、去年大増税したのだった。
しかも今月は仕事場の契約更改で更新料がかかるため、そうでなくても凹んでいたところである。宮古島とか予約してる場合ではなかった。
おお、そういえば、そんなこととは露知らず、昨日アマゾンで「西遊記」のDVDを買ってしまったぞ。挿翅虎さんの話を聞いてうらやましくなり、ついに根負けしてクリックしてしまったのだ。
なんてこった。あわてて計算すると、四国遍路の予算が捻出できそうにない。おおおお、南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛。
仕事断ってる場合なのか、私は。
6月4日(水)
また寝坊。
というか、生活が夜型になりつつある。昨夜は午前6時まで起きて、この日記を書いたり、本を読んだり、税金のふしぎについて考えたりしていた。
起きたら、もうすぐ子どもたちが幼稚園から帰ってくる時間だったので、そのまま仕事場へ行くのをやめて、彼らを連れてまた近所のキャンプ場へ行った。オタマジャクシを追加補給するためだ。ところが、三日前はウジャウジャいたのに、今日はどこへ行ったか姿があまり見えなかった。かろうじて三匹だけ確保したものの、季節というのは、みるみるうちに進んでいくことを実感する結果になった。
それからスポーツ用品店へ行って、四国遍路で使うかもしれないポンチョを購入。予算面での不安が大きくのしかかるが、そこは正視しないようにして、可能な範囲で準備を進める。
夜、何を思ったか、妻が家計簿をつける計画を練っていた。
現在、家計の管理はどちらかというと私の担当になっていて、妻は日々の生活にいくら金がかかっているのかほとんど把握していない。
そもそもわが家の収入は、いつどのぐらい入ってくるのか予測できないうえに、資料費や取材費でばんばん出ていくから、妻が金の出入りを管理するのは難しいのだ。
それでも家計簿をつけるとすれば、まず私が収入から事業経費を差し引いた残りを、今月はこれでなんとかやってくれ、と妻に渡して、それからということになろうが、私は突然どかどか本を買ってみたり、不意に旅立ったりするから、収入の多い月でも家計に回る金は微々たるものだったりする。ふつうに考えて、とても生活費すべてをまかなえる金額ではないはずで、その理不尽さにいよいよ妻が勘付いたのかもしれない。だいたい貯金がみるみる目減りしていても、まるで動じなかった今までがふつうじゃなかったのである。
もし、生活費がマイナスだから今月は本買うのを少し控えてほしい、みたいな正しいことを言うような妻になったら、第二形態に成長する前にエメリウム光線で倒したい。
6月5日(木)
生活を朝型に戻すべく、夜9時にベッドに入った。
スムーズに眠れて、目が覚めた瞬間、よっしゃうまくいったと喜んだが、時計を見るとまだ深夜1時半だった。ここで起きて本なんか読んでしまったら、昼間に再び睡魔に襲われるのは確実だから、なんとか踏ん張って、もう一度寝ようとした。だが、すでに睡眠は十分足りていて、起きているようなそうじゃないような頭で、とぎれとぎれに朝まで過ごす。なんでも昔のモーニング娘。のひとりが橋を渡って中国へ行き、残留孤児になったようだ。橋のたもとで幼い兄弟がそれを見送っていた。やがてその兄弟がさらに幼かった頃の話に変わって、同じ子役を使っていたので、ああ、この夢はだいぶ前から撮ってあったんだと感心した。まだ若い頃のモーニング娘。がこれから橋を渡る追憶の場面になり、彼女の将来の運命を知っている私は、胸が詰まる思いで、ゆっくり眠ってなどいられなかった。
6月6日(金)
「西遊記」のDVD届く。
なんとなく妻に見つかってはいけないような気がし、机の資料の山のなかにすばやく紛れ込ませる。
6月7日(土)
スットコ幼稚園の父親参観日。
教室で娘の紙粘土細工を手伝う。他の子たちが、アンパンマンやキティちゃんやゾウや車をつくるなか、娘は隕石をつくった。っていうか、それただの粘土の塊だろ。しかたないので、無理やり私が、花のような形にこじつける。
教室の後ろに、全員が描いた父親の似顔絵が貼ってあり、ひとつだけ被災地の思い出みたいな絵があると思ったら、私の顔だった。
ふつうは顔の輪郭をぐるぐる描いて、そのなかに目や鼻や口を描き、それに変なメガネがかかっていたり、髭ぼうぼうだったり、髪がなかったりして、見るものを微笑ませるのが子どもの絵かと思うが、娘の絵は、人類が絶滅した一万年後の世界のようだった。暗黒の巨大な底なし沼が、倒壊した貿易センタービルみたいなものに被さっている。
「これ何? この沼みたいなのは」
「目」
「瓦礫みたいなのは?」
「歯」
そう言われてみると、なんとなく死んだ親父に似ているような気もした。
いったん家に戻り、取材のため関西へ。
新幹線で京都まで行き、そこから特急を三本乗り継いで、兵庫県の浜坂へ向かう。山陰本線は、車両が古く、車内放送のメロディも昔なつかしい鉄道唱歌だった。この曲を聴くと、遠いところへきたなあ、という気持ちになる。きっと家族旅行でどこかへ行った記憶がそうさせるのだろう。でも、どこへ行ったのかは思い出せない。とにかくどこか遠くへ行き、そのときのワクワクするような感覚だけが今も残っているのだ。いまだこの曲を流しているなんて、泣かせるじゃないか山陰本線。
自宅から七時間かかって浜坂に着き、そこからさらにタクシーで湯村温泉に入った。
