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6月15日(日)

 遍路四日目。曇りのち雨。
 四国遍路最大の難所、焼山寺の遍路転がしを登る。途中で雨になった。
 登山だからしんどいことはしんどかったが、四国遍路最大の難所と聞いて警戒していたほどではなかった。むしろ、想像に比べてはるかに楽だったと言っていい。一日中、土の道を歩けたのがよかった。私にはアスファルトの車道を延々歩くほうがつらい。
 ところで、山道を歩きながら、こう考えた。
 一時は断ろうかとさえ思っていた紀行エッセイなのに、気がつけばこうしてまんまと歩かされている。家にいるときはそれなりに後ろ向きな気持ちもあったはずなのに、そんなことはすっかり忘れて楽しんでいる。そうやって結局また紀行エッセイを書いてしまいそうな自分の進歩のなさには、呆れるばかりだ。紀行エッセイは好きだけれども、そればかりではいかんだろ。

6月16日(月)

 遍路五日目。晴れ。
 長い山下り。といっても舗装道路だから、つらかった。昨日を除き、舗装道路ばっかりで辟易する。鮎喰川の清流が美しく、それを見て心和ませた。
 やがて徳島市街に入り、車がバンバン走る国道を歩く。本当は、市内に一泊して、明日進めるだけ進んで明日の夜に帰るつもりだったのだが、国道歩きで坂道を転がるようにやる気を失い、気がつけば徳島駅から高速バスに乗っていた。私にとっての遍路転がしは、山より市街地のほうだった。
 関西の実家に泊まる。

6月17日(火)

 関西から東京へ帰る。
 いつもは東海地方などで観光して帰るのだが、マメが痛くて、寄り道する気は起こらず。
 ひたすら歩いていたときは、マメなんか痛みごと踏み潰すぐらいの気持ちだったのに、お遍路じゃなくなると、ちょっと体重を載せただけで痛みに耐えられず、そのへんの人をつかまえて、肩にもたれたくなる。昨日は30キロも歩いたくせに、今日は最寄り駅から自宅までの800mがつらかった。痛すぎ。お遍路中は、神経も何も一時的にアホになっていたのだろう。
 帰って靴下を脱ぐと、サラリーマン時代並みの猛烈な異臭がした。おまけに爪もひとつ黒ずんで剥がれそうになっていた。ずっと通しで遍路する場合、このまま一ヶ月以上歩くわけだから、最終的に得体の知れない足になってしまうのではないか。

6月18日(水)

 お遍路中に、本の雑誌社から高野秀行さんの新刊『辺境の旅はゾウにかぎる』が届いていたので、それを読みつつ、自分の単行本の初校をチェック。思えば、高野さんの本も、あちこちの雑誌に書いたものをまとめたもので、私のこれから出す本も同じタイプの本だ。ただ、高野さんの本には一本筋が通っている。私の本は、内容がバラバラである。高野さんには辺境作家という確固たるスタンスがあるが、私にはいったい何があるかと思うと、暗澹たる気持ちになる。
 マヌ景かな。
 マヌケな風景作家──それじゃ、なんだかわからんだろ。”マヌケ”が”作家”にかかってるみたいなところも気になる。
 
 今月末の家賃と、今月末引き落としの住民税と、来月頭に引き落としのクレジットカード代が、どう計算しても家計から払えそうにない。わかっていたことなのに四国遍路で金を使い、「西遊記」のDVDも買ってしまって、いったい私はどうするつもりであろうか。
 といっても、答えはもう決まっていて、わずかながら、緊急用に手をつけずに取ってある虎の子貯金に手をつけるしかないのである。そうなることもわかっていたのに、四国遍路に行ってしまった私はなんという阿呆であろう。
 そもそも四国へ行く三日前には兵庫県でかくれんぼ大会を取材していたわけで、それならそのまま四国へ向かえば交通費が節約できたはずなのである。それなのにいったん東京に戻ったのは、まだ出発のふん切りがついていなかったせいもあるが、四国へ行くなら東京から船で上陸したいと前々からこだわっていたためであり、その程度のこだわりのために平気でムダ使いをしてしまうのは、私の昔からの悪い癖である。
 それはそうと遍路に行っている間に、ロト6が1000円当たっていた。今年に入ってもう3回目だ。大当たりの前兆と思われる。
 もし一等何億円とかが当たった場合、この日記に正直に書くかどうか悩むところだ。突然金がないだの何だの言わなくなり、黙々と一戸建てとか建て始めたら、そのときは、これを読んでいる人は、ああ、宮田ロト6当たったんだなと、それとなく察してもらいたい。
 
 みんなが寝静まったあと、ひとりで「西遊記」のDVDを観る。めちゃめちゃ面白い。

6月19日(木)

 散髪。
 思えば、これまで生きてきて髪型を変えたことがほとんどない。茶髪にしたことが数回と、半年間の旅行中一度も髪を切らなかったことが一回あるだけ。今回は思い切って、スポーツ刈りふうに短く切ってもらった。すると、普段は童顔の私も、年齢相応のおっさん顔になった。そうか、髪が長いほうが若く見えるのだな。だが、もうとっくに中年なのだから、若く見せようとか思わないようにしよう。
 髪を切ったあと、ワックスつけますか、と聞かれる。靴じゃないんだから、やめてほしい。「要りません」と断ったのだが、「この短さなら、つけたほうがいいですって」と無理やり、てっぺんの毛をつまんでくりくりに捻られた。無造作な感じにしているのだと思うが、無造作なら間に合っている。いつも整髪料もつけなければ、くしさえ入れないのだから。
 最後は、各所がささくれだってドラゴンフルーツみたいになって、わざとらしさが際立った。べつにそういう最先端的な髪にしてくれなくても、普通でいいんだがなあ、普通で。
 そうして家に帰って、玄関の鏡に映った自分を見ると、何だか異様だったのである。
 何かが足りない。もちろん髪のボリュームが減ったのだから、普段に比べてそれだけ足りないのは当然だが、鏡の中の私は、てっぺんがなんだか寸詰まっていた。髪がないというより、頭がない。顔で終わってその上がないのである。
 長い間髪型をいじらなかったため、とんと気づかなかったが、私には頭というものがほとんど存在しないらしい。顔面が相当上のほうにあるのだ。
 ためしに、その足りない頭に去年アメリカで買ってきたクノーベルズ・アミューズメント・パークのキャップを載せてみると、全体がうまいバランスで落ち着いた。
 そういえば髪の短い中年男性はよくキャップを被っている。なるほど、あれはみんな頭が寸詰まっているせいだったのだ。ハゲや白髪を隠しているのかと思ったらそうではなかった。頭そのものをねつ造していたのである。
 美容師さんがワックスをつけて無理やり髪を立たせたのも、頭をかさあげしたかったからであろう。プロの美容師さんから見ても、私の頭は寸詰まっているということだ。客である私が断っているのに、クレーム覚悟でかさあげしたくなるほど、寸詰まっているということだ。

6月20日(金)

 高野さんの『辺境の旅はゾウにかぎる』のなかに、船戸与一との対談が収録されていて、船戸氏が、体調が悪いときのほうが筆が進むと発言している。「体調がいいと、じっと机の前に座っているのが苦痛になってくるんだよ」。
 これを読んだ瞬間、私は思わず膝を打った。
 そうなのだ! まったくその通りだ。
 私が遅筆なのは、結局、体調がいいと仕事なんか放り投げてどこかへ出かけてしまうからなのだ。じっとしているのが苦手な性格なのである。だいたい飛行機や風呂や映画館やコンサートが苦手なのも、そこでじっとしなければいけないからなのだ。四国遍路では、アスファルトが多すぎるとか文句を垂れていたが、そうはいっても外を歩くのは、仕事場でじっと原稿を書いているより、はるかに楽しいし、これこそ人生ってもんだろうと思う。
 ほとんどの大人は、外歩きと仕事は別ものとして、混同することなく生きてるだろうが、私の場合、外を歩いていても、これは取材なのだと思い込むことが出来るだけに、始末が悪い。仕事を放り投げて外出しても、これは逃避ではない、ネタ探しだ、なんていって罪悪感が全然ないのである。
 なんという、お気楽な生活か。
 きっと顰蹙を買うことはあっても、同情されることはまずあるまい。
 しかし顰蹙を承知でさらに考察するならば、私の筆がサクサク快調に進むためには、じっと机に向かう前に、外出するのが面倒だという気持ちにさせることが必要なのではないか。そのためには、まずはいっぱい外出してうんざりすべきではあるまいか。あるいは、体調崩すぐらい出歩くとか。とにかくいったん外で思う存分遊んでからでないと原稿は書けないのでは……って、うだうだ言ってるうちに、カースン・ネーピアさんに殴られそうな気がしてきたので、このへんにしておく。
 つまるところ私は根本的に旅に依存しているのだった。人によって酒やタバコが辞められないように、私は外出が辞められない。晴れた日に家にいると、イライラして何も手につかなくなるのだ。

6月21日(土)

 コラムのネタになるのではないかと、不意に思いつき、有明まで東京おもちゃショーを見にいく。何も考えずにふらふらと出かけていったら、会場の東京ビッグサイト前には、ものすごい行列ができていたので驚いた。こんなに人気のショーだったのか。
 おかげでバンダイやタカラトミーなど大手メーカーのブースには入ることあたわず。しかたなく他のブースをぶらぶら歩く。超合金合体ロボみたいなのや、ラジコンなど男子永遠のおもちゃは普通なのでスルーし、何か変なものはないか探した。
 まず目に留まったのがタクシーウォーカーという歩数計。歩いた距離をタクシー料金に換算してくれるというシンプルなものだが、バカバカしいので四国遍路で使ってみたくなった。
 さらにマイクロピースのジグソーパズルは、絵をルーペで見るというわけのわからん代物。そんなで1000ピースも作った日には、目がぐったり疲れそうで、いったい誰がやるんじゃい、と思ったけど、かくいう自分が惹かれていた。そういうチマチマした無意味な作業にこそ、情熱を燃やしてみたい。
 そのほかペン回し専用ペンとか、無限にプチプチできるおもちゃとかアホなものがいろいろあり、せっかく来たので、子供に何か買って帰ろうと思ったら、財布のなかに1000円札一枚しか入ってなかった。意表。自分は1000円札一枚しか持たずにこんなに遠くまで来たのか。
 かといって貯金をおろすのはもういやだから、まっすぐ帰宅することにする。ところがJRのスイカも残額不足。仕方なく切符を買って帰ったが、帰宅したときには251円しか残っていなかった。
 

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