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7月1日(火)

 宮古島四日目。
 娘が朝から不機嫌なので、どうしたのかと思えば、「明日帰りたくない。東京つまんない」とのこと。賛成。異議なし。
 一昨日の池間島が気に入ったので、今日も行く。四日も続けて海水浴をすると、さすがに子どもたちも手持ち無沙汰になってきたようであった。
 午後からイムギャーマリンガーデンへ行って、ひとりシュノーケリングしてみたが、汽水で水中が靄って楽しめず。
 ついでに吉野海岸にも行くつもりだったが、にわかに面倒くさくなり、かわりに東平安名埼へ立ち寄るも、駐車場から灯台まで陽射しの中を歩くのが拷問のようであった。しかも、ところどころ断崖の縁に設けられた柵が壊れており、熱射にやられてふらふら歩いているうちに崖下へ落っこちそうだった。
 
 民宿の兄ちゃんに、初めて内地に行ったとき、電車の乗り方がわからなかったという話を聞く。上りと下りの区別がつかなかったそうだ。たしかになあ、水平移動するのに上も下もないよなあ。

7月2日(水)

 宮古島から帰る。
 一日がかりで、東京に戻ると、梅雨の肌寒さが心地よかった。
 いつかは沖縄に移住するのもいいかな、なんてかつて夢見たこともあったけれど、今回の旅で、暮らすには暑すぎると思いあらためた。あの暑さのなかで、子どもは昼間いったいどこで遊ぶのだろう。
 池間島で見たウミウシを、小野篤司『ウミウシガイドブック 沖縄・慶良間諸島の海から』(TBSブリタニカ)で調べると、いきなり冒頭にキムバルムという名で載っていた。また同じものが殿塚孝昌『ウミウシガイドブック3 バリとインドネシアの海から』(阪急コミュニケーションズ)にはミガキブドウガイとして載っていた。写真で見ても惚れ惚れする美しさだ。そんな本を見たおかげで、ますますもってウミウシ探しの旅に出かけたくなった。

7月3日(木)

 宮古島とウミウシのことで頭がいっぱいで、仕事手につかず。偶然、家にあったノンフィクション、坂野徳隆『サムライ、バリに殉ず』(講談社)を手にとると、宮古島が出てきたので、そのまま読んでしまった。
 旧日本軍の脱走兵が、インドネシアに居残り、独立戦争に参加する話。内容も濃いが、その人が2004年まで生きていたということに、なんだか圧倒された。
 
 夜、久々にカースン・ネーピアさんから電話があり、「日記読んでますよ」と言われたあと、電波の状態が悪くなって、その後何を言っているのか聞き取れなかった。いったい何の電話だったのか。「首を洗って待ってろよ」とかそんな内容だったのではないか。
 それにしてもカースン・ネーピアさんからの電話は、いつも電波が途切れがちだ。私が聴こえないふりをしていると思われていないか心配である。

7月4日(金)

 晴れて無闇に暑い。梅雨はどこへ行ったか。
 宮古島の夏はとても暮らせないと思ったが、東京の夏も暮らせない気がしてきた。
 思わず途中の店でペットボトルを4リットル分ぐらい買って、重たい思いをしながら仕事場にたどり着くと、玄関前で自宅に鍵を忘れてきたことに気がついて、ぐあああ、何の罰ゲームか。おかげで、炎天下の中、4リットル担いで往復30分歩くはめに。カースン・ネーピアさんの黒魔術ではないか。
 
 午後からジェットコ仲間の市川さんが、調子の悪いパソコンを、修理のため、仕事場まで引き取りに来てくれる。パソコン関連の知識に疎い私は、いつも市川さんにお世話になりっぱなしである。
 去年、われわれを含む数人の仲間でアメリカジェットコースター乗り倒しツアーに出かけたのだが、市川さんは今年も行く予定で、たぶん来年も行くし再来年も行くだろう。大変うらやましい。逐一同行したいが、私は私で、四国遍路だのウミウシを見に行ったりだの、いろいろとするべき旅行があり、そうそう毎年ジェットコースターに乗りに行っているひまと金がない。
 小さいこと言ってないで、行きたい旅行は全部行ったれ、という道楽者の声が頭の中ですることもあるが、その一瞬の判断を踏みとどまらせる理由のひとつは、アメリカまでの飛行時間だったりする。長い飛行機が怖く、道楽者になれない私なのだった。
 今年のジェットコ・ツアーは、イタリア人のマニア青年も参加予定で、ますます珍道中化に拍車がかかって面白そうである。宮古島に行ったばかりで、来週はハワイに行くし、その後また四国遍路もあるけれど、間隙を縫ってジェットコツアーも行きたいなあ。でも、そうなると、原稿はいつ書くんだろうなあ。まだ四国遍路も書いていないし、んんん、老後にまとめて書くのはどうか。

7月5日(土)

 息子がどうしても映画『スピードレーサー』が観たいというので、モノレールに乗って多摩センターへ。
 五歳でもわかる映画を作りたかったと監督のウォシャウスキー兄弟が語っているだけあって、ストーリーはベタベタだし、主役にはまるでオーラがないし、ほとんど大人心に響くものはなかったのだけれど、唯一あのコースレイアウトにはグッときた。ミレニアムフォースのファーストドロップのような下り坂だの、コークスクリューふうのループコースだの、まるでジェットコースターのようなのだ。途中ジャンプで越えるコースまであったりして、荒唐無稽も甚だしく、ゲームではこんなのはもはや当たり前であっても、映画で観られたのは幸せであった。ウォシャウスキー兄弟には、次は『プロゴルファー猿』を映画化してもらいたい。
 ところで、この映画、本当は家族四人で観るはずだったのだが、多摩センターへ向かう途中に、多摩動物公園という駅があり、動物公園と聞いた途端、娘が突如降りると言って、そのまま妻と降りてしまった。おかげで急きょ息子とふたりで観ることになったのである。
 娘はいつも決断が早い。お菓子を買うときなど、五秒も悩まない。最低でも五分は悩む息子とは大違いだ、今回も、動物公園→降りる、というコンピュータのような演算速度であった。


【著者取材旅行のため次回更新はしばし遅れます】

7月6日(日)

 子供と図書館へ行き、また二十冊借りてくる。
 
 辺境作家の高野さんからメールがきて、作家というのは、たいてい出不精だったり、インドア派だったりする人が多く、宮田さんのような出たがりは珍しいといわれ、外出作家と命名された。
 外出作家──。
 つまり、基本、いないのである。外出中。
 それって本当に作家なのか。単に仕事サボって逃げてるだけじゃないのか、と思わなくもないが、自分の生活実態を考えてみるに、まさにその通りである。体調が良くて天気もいいと、なかなか仕事場でじっとしていられない。
 高野さんの辺境作家という肩書きは、辺境について書いているという意味と、出版界の辺境にいるという意味の両方をこめているのだそうだが、その伝でいくと、私の外出作家は、外出(旅や散歩など)について書いているというのと、出版界にいない、ってことになるのか。んんん、言い得て妙というか、ますます自分は外出作家であるような気がしてきた。

7月7日(月)

 南青山のデザイン事務所で、ハワイ取材の打ち合わせ。
 今回写真を担当される岸本剛さんと初めて会って挨拶をする。スポーツ写真に実績のある人で、体格も立派で、話しぶりも情熱的。ストリートサッカーの写真をライフワークにして撮っているとのことで、熱い人に会うと、いつも気圧され気味の私は、早くも引っ込み思案になりそうだった。おまけに、さだまさしが好きと言われてますます面食らった。サッカーとさだまさし? 「さ」で始まる以外全然共通点が感じられないぞ。でもなんとなくそれは、岸本さん流の気遣いであったのかもしれない。
 帰りは先日開通した地下鉄副都心線に乗って新宿へ出てみた。新しい線は、意味もなく乗ってみたいものだ。
 ジュンク堂でどっさり本を買って、自宅へ配送してもらう。買ったのは岸本佐知子「変愛小説集」(講談社)など。
 
 帰宅してみると、いつも「お父さんのおちんちん、このぐらい。○○ちゃんのおちんちんはこのぐらい。ぐわはははは」とか言ってる娘が、「ささのは、さ〜らさら」なんてしおらしく歌っていたので、思わずビデオを引っ張り出して撮影しようとした。しかし、敵もさるもの。鋭く気配を察知すると、突如白目をむいて「ほげほげえ〜」とか言いだして、ささのはさ〜らさらは撮影できなかった。残念。こうして、娘のビデオもアルバムも結局いつも、ほげほげえ〜、ばっかりになってしまうのであった。

7月8日(火)

 仕事場に行くと、冷房がつけっぱなしになっていた。
 先週金曜に消し忘れて、そのままずっとついていたということか。あ〜あ、余計なCO2を排出してしまった、というか電気代もったいない。
 ところでそういえば、電気代もついに値上がりするらしい。昨今は原油価格が高騰して、なんでもかんでも値上がりの傾向があるが、そんな圧力でもかからなければ、石油エネルギー依存体質は改善されないだろうから、根っこの部分はむしろいい話なのかもしれない。日本には石油資源がほとんどないのだから、世界的に石油経済が立ち行かなくなるのは、相対的にはかえって好都合じゃないかと考えられなくもない。
 いずれにしても、この機会に、自動車も石油燃料の呪いから解き放たれて、一気に様変わりすれば面白い。世の中の中心的な部分はだんだん変わらない。一気に変わるのだ。それまで石油が高値で、なおかつ不足しない程度にもってくれれば、うまいこと世界は変わるのではないか。
 次世代の車は、バイオだ水素だ燃料電池だといろいろ言っているが、そんなものより燃料補給の必要がないソーラーカーが一番いいに決まっている。『ザ!鉄腕!DASH!』でソーラーカーで日本一周をやっていて、あれを見ると曇ったらあんまり動かないとかスピードあんまり出ないとか、何かとヘッポコなんだけど、そのヘッポコさにしびれる。私もああいう、かっこ悪くて、ちっともスピードが出なくて、不便なソーラーカーが欲しい。そうしてかっこいい車にばんばん追い抜かれて、ほくそ笑んでみたい。堂々とかっこ悪いのが、一番かっこいいのだ。
 
 四国遍路を書く。

7月9日(水)

 実話をもとにした『ロト6で3億2千万円当てた男』というテレビドラマが先週から始まったらしい。タイトルを見たとき、私はそれってうちの近所ではないか、と気になった。近所のスーパーの宝くじ売り場に、この店からロト6で3億2千万円出ました、という看板があるからだ。しかし元ネタになったのは愛知県の人のようだった。
 その人のブログを検索して読んでみると、タイやフィリピンの女性と遊びまわったり、信用取引だかなんだかで一気に一億円以上失ってたり、挙句の果てにうつになったりして、あんまり楽しそうに見えない。まだ三年しか経っていないのに、すでに残金は一億円を切っているみたいで、何やってんだろ、この人は。
 そんなことになるのも、当たってからあわてて何に使うか考えて右往左往しているからで、私などは常日頃から当たった場合に備えてシミュレーションしているので、いざというとき正気を失わず、的確に対処する自信がある。何事も備えあれば憂いなしである。
 ちなみに私の場合何に使うかといえば、それはもう迷路のような家を建てる以外に考えられない。家に居ながらにしてどこにいるかわからないという、夢のような家だ。
 問題はそれを建てる場所で、今住んでいて仕事にも便利な関東圏か、私の実家に近い関西か、妻の実家のある福岡か、それともまったく縁のない土地か。結局シミュレーションでいつも引っかかるのは、そこだ。それについて考え出すと、思考がぐるぐると回転してとまらなくなり、今日もなかなか眠れなかった。”ロト6当たったときどこに家建てるか”は、まったく悩ましい問題だ。
 
 四国遍路を書く。

7月10日(木)

 明後日からのハワイ取材の荷造りをざっとしてみて、足りないものを確認。
 とくに足りないものはなかったが、海外旅行に行くたびに、ああ、iPodがあったらなあ、と思う。パソコンやネットに疎い私は、携帯音楽環境はMDプレーヤーで止まっている。カセットテープ→CD→MDまでは時代についていったのだが、そのへんで力尽きた。
 思えばバックパッカーを始めた頃は、どのカセットテープを持っていくかずいぶん悩んだものだった。荷物の重量を考えるとテープ5本が限度だな、なんて、そういう時代だったのだ。それがいまや100gもないような箱ひとつに1万曲とか入るらしい。
 ぜひ欲しいiPodだけれども、MDプレーヤーもまだ使えるし、お金もないし、音楽をダウンロードするの難しそうだし、なんて言ってるうちに取り残されてしまった。MDの時代は本当に驚くほど短かった。
 そういえば、宮古島へ車内で聴こうとCDを何枚か持っていったところ、レンタカーにCDプレーヤーがついていなかった。なんだボロいな、と思ったら、iPodを直接繋いで聴けるという最新仕様であった。離島のレンタカーでさえ、そういう時代なのだ。
 うちの車にもCDプレーヤーはないが、それは、もう廃止したのではなく、新石器時代の車だからである。CDラジカセを買って持ち込んでいるけれど、CDを聴くと車の揺れで音が飛びまくるため、いったんカセットテープに録音して聴いている。今どき車にラジカセ積んでテープ聴いてる家も珍しいだろう。エンジンを切っても、電池ある限りいつまでも聴いていられるので、大変便利だ。音楽を聴くためにアイドリングしなくていいわけで、地球にも優しい。どうだ、まいったか。
 シートの上に、CDラジカセど〜んと置きっぱなしで丸見えなのに、長時間路駐してても車上荒らしに遭ったこともない。
 
 四国遍路を書く。

7月11日(金)

 午前中、病院の定期健診へ行き、そのまま新宿へ出て、ヨドバシカメラに入ってiPodを眺める。もし自分が買うならこのタイプかな、なんて考えたりしてしばらく堪能した。もちろん買う金はない。
 その後、夕方から神保町の三省堂でトークショーがあるので、本屋めぐりをして時間を潰した。そのうち本屋めぐりに飽きても、まだ時間が余ったので、パチンコでもするか、と財布を見たら金がなく、クレジットカードでキャッシングしようとしたら、残高不足ですと拒否されて凹む。しかしどうせパチンコでするぐらいなら、iPodを買ったほうが有意義なので、拒否されてよかったのである。
 トークショーは、高野さんの新刊『辺境の旅はゾウにかぎる』(本の雑誌社)の出版記念で、対談相手に私が選ばれた。事前にドトールで少し打ち合わせただけだったが、司会の東えりかさんが、話の流れをあらかじめ考えてくれていたおかげで、話はスムーズに進んだ。
 しっかし、高野さんの初体験話には驚いたのである。あまりに凄いというか珍妙というか、あり得ない内容だったので、他に何の話をしたか思い出せないぐらいだ。詳細は本人の了解をとっていないのでここでは省くが、ひょっとしたら今頃、コンゴのジャングルで高野さんの息子が酋長になっているかもしれない。

7月12日(土)

 突然息子が高尾山のリフトに乗りたいというので、高尾山まで出かけ、リフトで上までそそくさと往復して帰宅した後、大きなスーツケースを押して成田空港へ向かった。
 ハワイまで7時間。宮古島程度であれば、なんとか乗り切れたフライトも、それだけ長いとなると、緊張せずにはいられない。
 そういえば、昨夜のトークショー後の飲み会で、飛行機にデッキがついていればいいのに、という話をした。疲れたらデッキに出て、外の空気を吸って一服するのである。今は苦痛なだけの空の旅が、ずいぶんと楽になるんじゃないかと思う。
 あと、飛行機は座席の間隔が狭いので、前の座席の背をパチンコ台にすれば、時間も潰せて、ちょうどいいことを思いついた。前の座席との距離感は、どうみてもパチンコ台ではないか。なぜ今まで誰も気づかなかったのか。座席を選ぶ際も、窓側、通路側、パチンコの3つから選べることにし、旅慣れた人は事前に台を調べておいて、必殺仕事人でお願いします、とか、海物語で、とか言うのだ。玉はマイルで精算でき、確変に入ったりすれば、じゃんじゃんマイルが増えるというわけである。いいアイデアではないだろうか。
 さて、長く恐ろしい旅路の果てに、オアフ島にたどり着いた。
 私にとって初めてのハワイ。嫌っていたわけではないが、車社会なのでバックパッカー向きでないし、リゾートにしては物価が高いので、敬遠していた。他人の金で来れてうれしい。
 まずは、ワイキキのホテルのプールサイドで、関係者と打ち合わせしつつランチ。私の席から青いビーチがどーんと見えて、早くも仕事なんかどうでもいい気持ちになった。
 しばらく休んだ後、ハナウマベイへ向かう。シュノーケリングで、タスキモンガラというハワイ固有種の熱帯魚を探すのが、今回のテーマのひとつだ。ビーチ近くにはいなかったが、やや深いところで、簡単に見つかった。写真家の岸本さんが撮影する隣で、海にプカプカ浮かんでいると、ますます仕事なんかどうでもよくなった。
 果たして、これは本当に仕事なのだろうか。

7月13日(日)

 西側のワイアナエまで行き、ドルフィンツアーに参加。イルカが見たかったわけではなく、ツアーボートの船長を取材するためだ。
 イルカは昼間寝ているらしく、シュノーケリングで睡眠中のイルカを見物した。秘密のポイントへ行くと、海底の砂地にふかふかの枕がたくさん並んでいて、数十頭のイルカが、腹をみせてグーグー寝ていた。潜って近寄っていくと、見張りのイルカがやってきて、静かに、と書いたボードのようなものをこちらに見せた。板には他に、イルカの子供の鼻からZZZZZZと文字が出ている絵が描かれてあった。なんて素敵なイルカ。頭もいいし、絵もうまい。
 
 ところで、船長は、堂々たる体躯の、酋長のような人だった。かつては漁師だったそうで、海とともに生きた時間が、体や表情に刻み込まれている。そういう人を見ると、もの書きや写真家や編集者など、まるでちっぽけな存在に感じられ、クリエイターだのアーチストだの言ったところで、所詮はひ弱な人間の逃げ口上に過ぎない気がしてくる。私は日本では、やや痩せ気味ぐらいの普通の体格だと思うが、ここでは貧弱なガリガリ君になった気分だった。
 船のメンバーがハワイのダンスを踊ってみせてくれ、お前もやってみろというので、見よう見まねで踊っていると、カメラの岸本さんに「宮田さん、阿波踊りになってます」と指摘され、ますます凹んだ。

7月14日(月)

 ビショップ博物館へ行き、ハワイの神話に詳しい研究者にインタビューした後、フラの先生にも話を聞く。
 そうやって取材は粛々と進み、すべて順調だったのであるが、一方でこの国の食事のまずさには閉口した。やはりアメリカは食事がまずい。ホテルの朝食はバイキングになっているが、パンやチーズやオムレツばかりで工夫もないし、口の中がベトベトするし、朝っぱらから気が重い。昨夜入ったファミレスで、オックステールスープを食べたら、とても人に出す食べ物とは思えない味だった。もともと食事に興味のない私も、こうまずくては苦痛である。
 だいたい弁当にポテトチップがついているのは、どういう了見か。食後のおやつかと思えばさにあらず、あれは、食事として、メニューの一部としてついてるくさい。野菜と塩でできてるんだから立派な食事だとでも言いたいのか。そんなことだから、中東諸国に嫌われるのだ(推測)。アメリカは一度素直になって、どうすれば油を使わずに野菜をおいしく食べられるか、国家予算で研究したらどうか。
 と、文句ばかり言っていると、取材のコーディネーターさんに、食べ物に興味ないと言うわりに、一番味にうるさいですね、と突っ込まれる。自分でも知らなかったが、本当はグルメだったのかもしれない。あるいは、ガタガタケチつけてんじゃねーよ、の微妙なサインだったのかもしれない。

7月15日(火)

 午前中はオアフの自然を案内してもらう。ビーチで花を観察し、ペレの椅子と呼ばれる岩を見に行ったり、コオラウ山脈の展望台へ行ったりする。午後はタンタラスの丘をジャングルウォーク。
 ハワイのいいところは、山があることだ。宮古島には山がなかった。この差は大きい。
 海について言えば、サーフィンよりもシュノーケル派の私には、サンゴの豊富な沖縄のほうが楽しめるが、一方で沖縄には高い山がないのが物足りない。山がないと私はリラックスできない。ハワイの山はもともと火山だったこともあって、地形がダイナミックで、私好みだ。浸蝕されてギザギザになった山肌に、ふとチベットを思い出したりした。
 
 夜は、ホテルの近くのファストフードで、ピザを食べる。これは去年一緒にアメリカに行ったジェットコ仲間のケンに教えてもらった生活の知恵で、食事のまずいアメリカでもピザは日本と同じ味、というフレミングの法則を応用したものである。スパゲティやハンバーガーも似たようなもんだと思ったら大まちがいで、それらは断然まずい。その点、ピザは悪くない。

7月16日(水)

 朝早起きして、撮影に出かける。岩場で、変なウニを発見した。波の荒いハワイでは、鋭いトゲはすぐに折れてしまうのか、平べったいヘラのようなものに進化していた。こんなウニは初めて見たと思い、観察した。見るば見るほど、いいウニだった。
 昼間は寝て、夕方からまた出かける。目指すは、夜の虹。ハワイでは、月の光で夜に虹がかかることがある。理屈上は雨が降る土地ならどこでも見られるはずだが、月の光を得るには晴れている必要があり、同時に雨も降らないといけないので、熱帯性のスコールが降るような土地が適している。そんなわけで虹を探して、夜のハワイをドライブしたものの、結局見つからず、しかたないのでノースショアのビーチで満天の星を眺めた。
 月と空いっぱいの星。
 ますます帰りたくなくなる。
 毎日こうして大自然のなかで生きている、ネイチャーガイドがうらやましい。気質的に、ふしぎなものや珍妙なものを人に紹介して喜んでもらうのが好きなので、もの書きよりもネイチャーガイドが自分の道ではないかという気がだんだんしてきた。今のところ自然について何の知識もないから、どこも案内できないが、どこかの里山と磯をフィールドにして自然を勉強し、ネイチャーガイドになろうかな。
 自然を相手にしていない仕事は全部ニセモノだろ。なんだかそんな気がしてしょうがなかった。

7月17日(木)

 取材を終え、日本に帰る。
 ホテルをチェックアウトし、車寄せで担当編集のマドンナさんをタクシーに乗せて、「お疲れさまでしたあ」と見送ろうとしたら、「宮田さんも帰るんですよ!」と厳しくにらまれた。冗談ですがな。
 ハワイでの日々を思い返すに、今回の記事は、昨日発見した変なウニがポイントではないか、あのウニについて書きたいと思う。しかし事前に決めていたテーマは〈神話〉なのだった。
 帰りは8時間のフライト。前に機内にデッキとパチンコがあればいいと書いたが、磯もあるともっといいと思いついた。トイレの帰りや、ひまなときにふらっと立ち寄って、ウニやヒトデを観察したり触ったりできるのである。岩場なので、機体が揺れたときは、怪我に気をつけないといけないが、飛行機にはそういう自然と触れ合う憩いのスペースが必要だろう。
 そういうわけで、飛行機に導入してほしいものベスト3は、次の通り。
(1)デッキ
(2)パチンコ
(3)磯

7月18日(金)

 日も沈まないのに、成田に着くと18日だった。17日の夜はどこへいったか。
 今回のフライトで映画「紀元前一万年」を観ることができた。予想通り、かなり面白くなかった。映画館で観なくて正解だ。それより期待せずに観た「アフタースクール」が面白かった。堺雅人のプラスチックで固めたようなあの笑顔が、あれじゃだめなような、実はあれがいいような、得体の知れない感じで印象深い。あれは、もともとがそういう顔なんだら?(何語や)
 飛行機疲れで、風呂にも入らず寝た。

7月19日(土)

 さっそくハワイの記事を書いてしまおうと仕事場に向かったが、そういえばこの日記を書いておかねば忘れてしまうのでは、と思い出し、あわてて予定を変更し、今書いている。今日から月末まで締め切り目白押しである。なのに、頭の中ではネイチャーガイドになった自分の人生を想像してみたり、顔のほうでは堺雅人のモノマネやってみたりで、何もはかどらない。

7月20日(日)

 仕事場へ行って、ハワイの記事の構成について考える。こういうものは最初が肝心で、最初が書ければ一気に書ける。最初が書けないと全然書けない。そんなわけで今日は最初が書けず、つまり全然書けなかった。参考図書として読んでいる後藤明『南島の神話』(中公文庫)が面白く、つい読み込んでしまったせいもある。

7月21日(月)

 一日中、ハワイの原稿を書いていた。最初が書けたので、一気に最後まで書いてしまった。といっても、まだたたき台で、ところどころチグハグなままだ。これからさらに直していくつもり。
 今回ハワイへ行って現地でいろいろ打ち合わせながら思ったのだが、私は打ち合わせというやつが好きだ。自分で言うのもなんだが、普段はちゃらんぽらんなことを言っていても、打ち合わせになると結構いいこと言ったりする。こないだの高野さんとの往復書簡でも、打ち合わせで私はいいことを言った(ような気がする)。何を言ったかはもはや記憶にないが、打ち合わせになると、が然張り切っていいことを言い、その後原稿を書く段になると、途端に面倒くさくなって、しょぼしょぼになり、あのときの勢いはどうした、というのが最近の私だ。つまり、ただの〈言うだけ番長〉ということである。

7月22日(火)

 ハワイの原稿をますますブラッシュアップする。なんとしても、あのウニをネタに入れたいと思い、ラストにくっつけたが、やっぱりそこだけ浮いている気がする。
 
 突如カースン・ネーピアさんから電話。
「あれですか、宮田さん。あの日記のカースン・ネーピアというのは、あれは私のことですかね」
「え、あ、まあ、そういうことになるのかもしれません……」
「あれを読むと、なんかヤクザの元締めみたいな、恐ろしい人扱いになってますね」
「いえ……いえいえ、そんなことないです。いつも気にかけていただいて、ありがたいという意味で……」
「なんか黒魔術がどうとか」
「な……、あれは、その……気にしないください。ギャグで書いただけですから……」
「今度会いましょう。近いうちに……」
「はい、会います会います」
「首を洗って待ってろよ」
「え?」
「冗談です。では」
 ガチャ。プープープー。

7月23日(水)

 西馬込のデザイン事務所で、今度A社から出る単行本の表紙デザインの打ち合わせ。テムジンさんが、目標3万部とかあり得ないことを言っていた。
 その後、池袋へ行き、本屋巡り。なんとなくいつもと違う新しい本を仕入れたいなあ、というときは池袋に行くのが恒例になっている。新宿はいつも行っていて気分が変わらないし、渋谷は大型書店があるようなないような感じだし、神保町は本屋が多すぎて、疲れてしまう。
 今日はハリーポッター最終巻の発売日だったらしく、そこらじゅうで売り子が立って宣伝していた。心ひそかに打倒ハリーポッターの闘志を燃やす。
 本屋では、先日ニック・ステファノスさんに薦められた坂東眞砂子『傀儡』(集英社)をまず手に取り、さらに倉橋由美子『酔郷譚』(河出書房新社)、平岩弓枝『西遊記(上)』(毎日新聞社)、川上健一『ビトウィン ノーマネーand能天気』(集英社文庫)、さらに『西洋中世奇譚集成 皇帝の閑暇』(講談社学術文庫)などを買った。
 
『ビトウィン ノーマネーand能天気』は高野さんが解説を書いている。ストレスで肝臓を壊して、山梨の村に引越し、10年間まともな収入もないまま貧乏暮らしをした作家のエッセイ。家賃が高いので、どこか田舎へ引っ越そうかと考えている自分の参考になるかと思い、帰りの電車のなかで読んだ。
 この人は小説が書けなくなって収入がほとんどなくなり、テニスのコーチをしながら、時々は釣ったイワナを食ったりしつつ、暮らしていたようだ。それにひきくらべると、私は人に教えられることなど何もないし、釣りもしないので、田舎へ引越しても食っていけない気がした。そういう潰しが利かないというか、生活力に欠けるところも自分のだめなところで、ハワイで自然を相手に生きている人たちに感じた劣等感が、あらためて意識された。もの書きなど所詮は虚業ではないのかと。
 そんなわけで、打倒ハリポタの闘志に燃えて帰途についたはずが、だんだん自然とともに生きなければウソだ、という気持ちに侵されはじめ、仕事場に帰り着いた頃には、さらに変化して、どこかへ自然のあるところへ旅行したい気分になっていた。
 ああ、すべてを投げうって旅行したい。

7月24日(木)

 今日はハワイの原稿を直す。たかだか12枚程度の原稿に、こうして3日も4日もかかってしまう自分が情けない。夕方には出来上がった原稿を担当のJ社マドンナさんにメールし、夜中にほぼオッケーの電話。
 長嶋有『ジャージの二人』(集英社文庫)を読む。これは、表紙の堺雅人の写真が目に付き、ふらふらと買ってしまったもの。なぜかわからないが、堺雅人のちょっとひきつった笑顔に親近感がある。
 日頃あんまり鏡を見ないせいか、自分の顔が学生時代とさほど変わらず、世間に対して少し警戒しているような不安ともおびえともつかぬ曖昧な笑いを今も浮かべているように思っている。堺雅人の表情は、そんな自己イメージに少し似ているのかもしれない(顔は全然違うけど)。
 しかし鏡を見ると、実際は、笑顔などちっとも浮かべていない不機嫌な顔のオヤジがそこにおり、いったいこいつは誰なんだ、と手でそいつの顔の表面をつまんでみたりすることもしばしばだ。どう見ても私の顔は、精神年齢の2・5倍ぐらいおっさんである。
 堺雅人は中年になっても、あの笑顔を浮かべ続けているだろうか。

7月25日(金)

 午前中は病院へ行き、午後は新聞のサブカル・コラムで書くネタはないかと、何か面白いもののありそうな吉祥寺に行ってみる。あったのはパチンコ屋だった。金がないときに限って、いけないいけないと思いながらやる海物語は、禁断の味。
 どどどって負けて、こんなことに金使ってる場合かと自己嫌悪になった後、どどどって入って、4000円負けでなんとか食い止めた。そんなわけでサブカルネタはいっこうに見つからない。
 ところで、前に自分は外出作家だとか何とか書いた覚えがあるが、さすがにこう暑くては、外出も楽しくない。高校生とかが学校の周りをランニングしてたりするのを見るだけで、熱中症で死ぬんじゃないかと心配になる。
 仕事場に戻って、高野さんとの対談のゲラチェック。

7月26日(土)

 取材と帰省を兼ねて、関西へ。
 夏真っ盛りの今、新幹線の窓から見る日本の風景は美しかった。都市を通り過ぎると、たちまち青々とした水田が広がって輝き、遠くの山も近くの森も、元気な緑がモコモコと背を丸めて、なでなでしたくなるいとおしさだ。蛇行する川は青く照り返し、たぶん実際はそうじゃないと思うが、どれも清流のように見える。とりわけ関が原から伊吹山の脇を抜けて近江へ入っていくあたり、東海道新幹線のクライマックスと言っていい。水田のなかに嶋のような山々が浮かぶ、箱庭的風景が展開する。
 そしてそんな景色を、クーラーの効いた車内から眺めるわけだから、自分はちっとも暑くなく、最高に心安らいだ。
 このところ移動が多くて慌しいが、それでまいっているかというとまったく逆で、大変気力が充実している。常にここではないどこかへ逃げているせいで、精神の健全さが増しているように思う。
 で、今回の取材は、大阪市立博物館で今年復元された日本初のロボット。
 研究員の方から話を聞いたなかで、もっとも印象に残ったのは、昨今のロボット工学では、ロボットにどんどん人間や動物のような動きをさせているが、そうやって人間や動物に近づけていくと、ある程度進んだ時点で、ロボットが急に不気味なものに見えてくる瞬間があるという話。それを乗り越えてはじめて、ようやく人間と動物に似た動きや表情が再現できるのだそうだ。これを研究者は「不気味の谷」と呼んでいるらしい。「不気味の谷」を渡らないと、ロボットは人間や動物に近づけないのである。
 なんだかわかる気がするし、生命の神秘を覗くようでちょっと怖い。だいたい「不気味の谷」ってネーミングがもう怖い。

7月27日(日)

 実家にて、昨日の取材の原稿を書く。環境が変わるとなかなか集中できない私だが、今回はすぐに書けた。
 外出や旅行が好きなら、こうやっていつも仕事場以外でもパソコンを持ち歩いて、どこでも書けばいいのだが、それが私にはなかなか難しい。騒々しいと途端に書けなくなるし、暑くても寒くてもやる気が減退し、椅子のすわり心地が悪いなども論外。根性のないこと甚だしい。
 
 蔵前仁一『シベリア鉄道9300キロ』(旅行人)を読む。
 いつかは乗りたいシベリア鉄道だが、本文中に出てくるロシア人の偽警官には、読んでいるだけでうんざりした。昔からロシアにはそういう輩がたくさんいるとは聞いていたが、いまだなくなっていないらしい。いつかは行きたいロシアだけれど今じゃないという気がする。だが、シベリアにはきっと行きたい。とりわけカムチャツカ半島には絶対行きたい。もう名前だけでぞっこんだ。カムチャツカカムチャツカ。私の、行ってみたい地名ベストワンである。
 あと、バイカル湖とモスクワの間に何があるのか、昔からさっぱり知らんと思い、この本で何があるのか確かめようと思ったが、やっぱり何もなさそうだった。謎だ。

7月28日(月)

 昨日一日遅れで帰省した妻子と、母とともに、父の墓参り。
 父の墓は、現在の実家から車で2時間近く離れている。もともとは父の故郷だったわけだが、すでに親戚もおらず、そこに住んだこともない私には何の思い入れもない。何の思い入れもない父の故郷の山々を眺めながら、自分が死んだらこの同じ墓に入るのかと考えると、なんのこっちゃという気がする。
 帰路、ものすごい豪雨に遭遇。
 ワイパーをフルスピードで動かしても、ほとんど前が見えない。午後三時ぐらいだったのに、あたりは夕暮れのように真っ暗だった。昼間なのに真っ暗なのは、なんだか物語の世界に紛れ込んだようで、わくわくする。物語のなかは、たとえ晴れていても厚い雲に覆われている気配があるではないか。
 だが、わくわくすると同時に、水があふれて境が見えなくなっている溝に脱輪しないかびくびくした。かろうじて前を走る車のテールランプだけが見えて、それについていく。こんなとき、集団の先頭はいったい何を目印に走っているのだろうかと思えば、なんと、先頭を走っていたのはバイクだった。この雨のなかでバイクだなんて! 雨でよく見えないが、バイクを運転しているのは、どうも大きなウサギのようだった。

7月29日(火)

 子供たちをつれて大阪が誇る巨大水族館、海遊館へ。
 夏休みとあって混雑していたが、鯉のぼりみたいなピラルクや、蛸がガラスにべっとり張り付いているのや、エイがガラス越しに裏側を見せ付けるように泳ぐところなどを見られて、親子ともども満足。
 娘がどうしてもソフトクリームを食べたいというので、たまたまフェアで売っていたうまそうなソフトクリームを買ってやったら、なんと、いつも牛糞の匂いを嗅いでいるスットコランド牧場製造のソフトクリームだった。わざわざ大阪まで来て、近所も近所、徒歩三十分ぐらいで行けるスットコランド牧場のソフトクリーム買うとは。可笑しいのを通りこして、ビンゴ! と叫びたいぐらいであった。
 
 ところで、関西に帰省していて感じるのは、やはり東京と比べて、京阪神も地方都市のひとつに過ぎないということで、それがなかなか心地いい。テレビニュースを見ても、なんとなく泥臭く、時代の最先端をいっていない気易さがある。うまく言えないが、地球温暖化問題にしても、ここにいれば、自分が心配しなくても誰かが、つまり東京のほうでなんとかしてくれるだろうというような、他力本願で、全地球や全世界、そして日本全国に対する当事者意識がうっすらと欠けてしまうような感覚になるのは自分だけだろうか。地球の滅亡が恐ろしい私は、おかげで、ますます地方へ引っ越したくなった。東京に住んでいるというだけで、余計な緊張を強いられているのではあるまいか。

7月30日(水)

 坂東眞砂子『傀儡』(集英社)を読んでいる。
 中世を舞台にした時代小説は珍しいので、どんなものか非常に期待しながら読んでいる。私は昔から歴史オンチだけれど、最近、歴史に関する本を読むようになって、中世の面白さに開眼した。とりわけ源平合戦あたりから、鎌倉、南北朝を経て、室町幕府の足利義満あたりまでが、興味深い。そのなかでももっとも興味があるのが元寇である。
 日本全土が、かつて経験したことのない得体の知れぬ敵と戦う未曾有の事態。当時の人々にとっては宇宙戦争的な瞬間ではなかったか。
 べつに『傀儡』に元寇は出てこないのだが、中世にくらべると、戦国時代から江戸時代にかけての歴史は、わかりやすすぎてつまらない。わかりやすいというのは、登場人物の行動原理が、現代とあまり変わらないという意味だ。中世は社会全体に底知れぬ闇のようなものがあり、人の心の根幹が現代とまるで違うので、異次元の世界という印象があって興味がわく。そういう意味で、時代が下れば下るほど、人間が合理的になってくるので私には退屈なのだ。こと幕末に至っては、行動原理がまるで政治一辺倒でまったく面白みがない。幕末という時代には加齢臭さえ漂っている気がする。さらに下って日露戦争『坂の上の雲』あたりになるともう加齢臭ぷんぷんだ。って、本は読んだことないんだけど。
 去年、中国の歴史に詳しい年配の方と知り合い、中世が面白いという話をしたところ、いや中世なんぞまだまだ、本当に面白いのは古代、と言われた。古代になってくると今度は、土臭いというか、埃っぽい気がして、私は興味が失せるのだが、加齢臭よりはましだろう。
 なんて加齢臭をバカにしているけれども、私自身、加齢臭がしてもおかしくない年齢になってしまった。いつ臭いはじめるのか、それとももう臭っているのか、大変心配である。
 
 子供たちを連れて弟のやっている焼肉店へ行く。
 私はよく弟とそっくりだと言われるので、店員に顔を見られて「あ、お兄さんが」なんて、騒がれたくない思いで、つい店に入るときは俯きがちになって、挙動不審である。

7月31日(木)

 実家の近所の児童公園に子供を連れて行く。ブランコと滑り台と砂場と鉄棒があるだけの公園で、いつもほとんど人がいない。
 家賃に喘ぐ今、引越し先を考えるなら、まず実家で親と同居するのが一番手っ取り早いわけだけど、この児童公園に子供がいないことが何より引っかかっている。つまり、近所に子供たちと同じ年頃の子供がいないようなのである。あるいはどこか別の場所にいるのかもしれないが、どういうわけか子供の姿をあんまり見かけない。戸建の住宅地なので、若い夫婦には住めない土地柄でもあるだろうし、住むなら親と同居しなければならないだろうから、それで子供の数が限られているのではなかろうか。
 私も妻も、子供はなるべくたくさんの子供のなかで育てたいので、その意味で実家での同居は考えにくい。だが、そんな贅沢言ってる場合なのか、という意見もある。
 で、児童公園にはうるさいぐらいセミが鳴いていた。
 セミの鳴き声がめいっぱい聴こえる場所にいると、それ以外何も聴こえないぐらい圧倒的であればあるほど、正しい夏だという感じがし、だんだんそれが人の声のように聴こえはじめたりして、シーシーシーシーシーシーシーシー、そういう場所で人生を過ごしたいという穏やかな気持ちになる。
 思えば私の実家も妻の実家も、結局は都会にあるので、子供たちに田舎の大自然をいながらにして体験させることはできない。実家が農村とか山村とか離島にあったりする人は、帰省もずいぶん面白かろうと思うが、考えてみると現在住んでいる東京の家は山のすぐ近くにあって、むしろ一番自然に近いのが、わがスットコランドなのであった。

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