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7月27日(日)

 実家にて、昨日の取材の原稿を書く。環境が変わるとなかなか集中できない私だが、今回はすぐに書けた。
 外出や旅行が好きなら、こうやっていつも仕事場以外でもパソコンを持ち歩いて、どこでも書けばいいのだが、それが私にはなかなか難しい。騒々しいと途端に書けなくなるし、暑くても寒くてもやる気が減退し、椅子のすわり心地が悪いなども論外。根性のないこと甚だしい。
 
 蔵前仁一『シベリア鉄道9300キロ』(旅行人)を読む。
 いつかは乗りたいシベリア鉄道だが、本文中に出てくるロシア人の偽警官には、読んでいるだけでうんざりした。昔からロシアにはそういう輩がたくさんいるとは聞いていたが、いまだなくなっていないらしい。いつかは行きたいロシアだけれど今じゃないという気がする。だが、シベリアにはきっと行きたい。とりわけカムチャツカ半島には絶対行きたい。もう名前だけでぞっこんだ。カムチャツカカムチャツカ。私の、行ってみたい地名ベストワンである。
 あと、バイカル湖とモスクワの間に何があるのか、昔からさっぱり知らんと思い、この本で何があるのか確かめようと思ったが、やっぱり何もなさそうだった。謎だ。

7月28日(月)

 昨日一日遅れで帰省した妻子と、母とともに、父の墓参り。
 父の墓は、現在の実家から車で2時間近く離れている。もともとは父の故郷だったわけだが、すでに親戚もおらず、そこに住んだこともない私には何の思い入れもない。何の思い入れもない父の故郷の山々を眺めながら、自分が死んだらこの同じ墓に入るのかと考えると、なんのこっちゃという気がする。
 帰路、ものすごい豪雨に遭遇。
 ワイパーをフルスピードで動かしても、ほとんど前が見えない。午後三時ぐらいだったのに、あたりは夕暮れのように真っ暗だった。昼間なのに真っ暗なのは、なんだか物語の世界に紛れ込んだようで、わくわくする。物語のなかは、たとえ晴れていても厚い雲に覆われている気配があるではないか。
 だが、わくわくすると同時に、水があふれて境が見えなくなっている溝に脱輪しないかびくびくした。かろうじて前を走る車のテールランプだけが見えて、それについていく。こんなとき、集団の先頭はいったい何を目印に走っているのだろうかと思えば、なんと、先頭を走っていたのはバイクだった。この雨のなかでバイクだなんて! 雨でよく見えないが、バイクを運転しているのは、どうも大きなウサギのようだった。

7月29日(火)

 子供たちをつれて大阪が誇る巨大水族館、海遊館へ。
 夏休みとあって混雑していたが、鯉のぼりみたいなピラルクや、蛸がガラスにべっとり張り付いているのや、エイがガラス越しに裏側を見せ付けるように泳ぐところなどを見られて、親子ともども満足。
 娘がどうしてもソフトクリームを食べたいというので、たまたまフェアで売っていたうまそうなソフトクリームを買ってやったら、なんと、いつも牛糞の匂いを嗅いでいるスットコランド牧場製造のソフトクリームだった。わざわざ大阪まで来て、近所も近所、徒歩三十分ぐらいで行けるスットコランド牧場のソフトクリーム買うとは。可笑しいのを通りこして、ビンゴ! と叫びたいぐらいであった。
 
 ところで、関西に帰省していて感じるのは、やはり東京と比べて、京阪神も地方都市のひとつに過ぎないということで、それがなかなか心地いい。テレビニュースを見ても、なんとなく泥臭く、時代の最先端をいっていない気易さがある。うまく言えないが、地球温暖化問題にしても、ここにいれば、自分が心配しなくても誰かが、つまり東京のほうでなんとかしてくれるだろうというような、他力本願で、全地球や全世界、そして日本全国に対する当事者意識がうっすらと欠けてしまうような感覚になるのは自分だけだろうか。地球の滅亡が恐ろしい私は、おかげで、ますます地方へ引っ越したくなった。東京に住んでいるというだけで、余計な緊張を強いられているのではあるまいか。

7月30日(水)

 坂東眞砂子『傀儡』(集英社)を読んでいる。
 中世を舞台にした時代小説は珍しいので、どんなものか非常に期待しながら読んでいる。私は昔から歴史オンチだけれど、最近、歴史に関する本を読むようになって、中世の面白さに開眼した。とりわけ源平合戦あたりから、鎌倉、南北朝を経て、室町幕府の足利義満あたりまでが、興味深い。そのなかでももっとも興味があるのが元寇である。
 日本全土が、かつて経験したことのない得体の知れぬ敵と戦う未曾有の事態。当時の人々にとっては宇宙戦争的な瞬間ではなかったか。
 べつに『傀儡』に元寇は出てこないのだが、中世にくらべると、戦国時代から江戸時代にかけての歴史は、わかりやすすぎてつまらない。わかりやすいというのは、登場人物の行動原理が、現代とあまり変わらないという意味だ。中世は社会全体に底知れぬ闇のようなものがあり、人の心の根幹が現代とまるで違うので、異次元の世界という印象があって興味がわく。そういう意味で、時代が下れば下るほど、人間が合理的になってくるので私には退屈なのだ。こと幕末に至っては、行動原理がまるで政治一辺倒でまったく面白みがない。幕末という時代には加齢臭さえ漂っている気がする。さらに下って日露戦争『坂の上の雲』あたりになるともう加齢臭ぷんぷんだ。って、本は読んだことないんだけど。
 去年、中国の歴史に詳しい年配の方と知り合い、中世が面白いという話をしたところ、いや中世なんぞまだまだ、本当に面白いのは古代、と言われた。古代になってくると今度は、土臭いというか、埃っぽい気がして、私は興味が失せるのだが、加齢臭よりはましだろう。
 なんて加齢臭をバカにしているけれども、私自身、加齢臭がしてもおかしくない年齢になってしまった。いつ臭いはじめるのか、それとももう臭っているのか、大変心配である。
 
 子供たちを連れて弟のやっている焼肉店へ行く。
 私はよく弟とそっくりだと言われるので、店員に顔を見られて「あ、お兄さんが」なんて、騒がれたくない思いで、つい店に入るときは俯きがちになって、挙動不審である。

7月31日(木)

 実家の近所の児童公園に子供を連れて行く。ブランコと滑り台と砂場と鉄棒があるだけの公園で、いつもほとんど人がいない。
 家賃に喘ぐ今、引越し先を考えるなら、まず実家で親と同居するのが一番手っ取り早いわけだけど、この児童公園に子供がいないことが何より引っかかっている。つまり、近所に子供たちと同じ年頃の子供がいないようなのである。あるいはどこか別の場所にいるのかもしれないが、どういうわけか子供の姿をあんまり見かけない。戸建の住宅地なので、若い夫婦には住めない土地柄でもあるだろうし、住むなら親と同居しなければならないだろうから、それで子供の数が限られているのではなかろうか。
 私も妻も、子供はなるべくたくさんの子供のなかで育てたいので、その意味で実家での同居は考えにくい。だが、そんな贅沢言ってる場合なのか、という意見もある。
 で、児童公園にはうるさいぐらいセミが鳴いていた。
 セミの鳴き声がめいっぱい聴こえる場所にいると、それ以外何も聴こえないぐらい圧倒的であればあるほど、正しい夏だという感じがし、だんだんそれが人の声のように聴こえはじめたりして、シーシーシーシーシーシーシーシー、そういう場所で人生を過ごしたいという穏やかな気持ちになる。
 思えば私の実家も妻の実家も、結局は都会にあるので、子供たちに田舎の大自然をいながらにして体験させることはできない。実家が農村とか山村とか離島にあったりする人は、帰省もずいぶん面白かろうと思うが、考えてみると現在住んでいる東京の家は山のすぐ近くにあって、むしろ一番自然に近いのが、わがスットコランドなのであった。

8月1日(金)

 新幹線で福岡の妻の実家へ。
 山陽新幹線はトンネルが多くて、景色をじっくり眺めにくい。子供たちはシールに夢中で、景色どころではない様子。子供が本当にシールが好きだ。よく本屋へ行くとレジの横に小さなシールブックを置いているところがあり、いったい誰がこんなもの買うんだろうと思っていたが、こういうことだったか。
 福岡は何度来ても住みやすそうな街である。国際空港と、新幹線の駅と、都心とが地下鉄一本でつながれているのが便利だし、海もあるし、山も近いし、外国も近い。引っ越してもいいぐらいだけど、妻は、社会人になるまでずっと住んで、もう住み飽きたというのだった。

8月2日(土)

 アジアのお化けの絵の展覧会があるというので、福岡アジア美術館へ出かけていった。美術館にはお化けの絵とは別に絵本が多く展示されており、どれも手にとって、そのへんに座り込んで読めるようになっていたので、意図したわけではないが、子供を連れていくのにちょうどよかった。
 万華鏡をつくるワークショップがあって、それに子供を参加させてみる。というか、そこで作る万華鏡に私自身が惹かれたのである。それはよくある筒状のものではなく、立方体の万華鏡で、中が六面とも鏡であるために、のぞくと無限に像が浮かんで、とても幻想的なのだ。筒状のものはすぐに飽きてしまうが、これは中に宇宙が、あるいは深海が、もしくは香港の夜景が封じ込められているかのようだった。
 この年齢になって万華鏡に心ときめくとは意外である。

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