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9月7日(日)

『「古事記」の真実 (文春新書 649)』
長部 日出雄
文藝春秋
893円(税込)
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 滋賀県の彦根へ行って、勝手に関西世界遺産の取材。
 今回のテーマは、なぜか彦根でだけ流行っているボードゲーム、カロム。おはじきとビリヤードをミックスしたようなゲームで、私も初めて挑戦したが、これはハマれば抜けられなくなりそうな面白さ。昭和初期までは日本全国で流行っていたというが、さっぱり知らなかった。
 長部日出雄『「古事記」の真実』(文春新書)を読む。帯の裏に「たとえいかなる批判を受けようとも、これは日本人のだれかがやらねばならない仕事であったのだ」とあったので、これは大変なことが書いてあるに違いないと読んでみたのだが、そういえば、私は古事記について何も知らず、いったいこの本の内容のどこが画期であったのか、まるで判別できなかった。情けない。

9月8日(月)

 朝起きると全身の筋肉が痛かったのは、カヌーもしくはプールのせいか。ずいぶんなタイムラグだ。おそるべきは、寄る年波である。
 昨日のうちに日帰りしようと思えばできたが、関西の実家に泊まって、今日は観光して帰る。
 昨夜までは義経ゆかりの京都の鞍馬寺に行くつもりでいた。しかし、突然気が変わり、静岡へ行ってみることにした。静岡は伊豆や浜名湖には行ったことがあるけれど、静岡駅で降りたことがない。それでどんな街か見てみたくなったのだ。
 静岡駅前はなかなかアカ抜けていた。人通りも多すぎず、少なすぎず、私好みである。一度ぐらい住んでみてもいい街に思えた。
 どこか観光しようと思ったものの、何があるのかよく知らないので、観光案内所でパンフレットを漁る。検討の結果、久能山東照宮へ行ってみることにした。徳川家康の墓がある。徳川家康にとくに関心はないけれども、ロープウェイがあったりして、鄙びた観光地っぽい風情が味わえそうな気がしたからだ。
 最近私は、ごく普通の観光地を訪ねるのが好きになってきた。この前までは、巨大な仏像とか、ちょっとB級センスの香る場所に惹かれていたが、だんだん興味が移り変わって、B級でないそれなりにちゃんとした由緒のある観光地が今は気になる。現在そういう観光地の多くは、設備や環境が時代遅れになっており、観光バスなんかは来ていても、寂びゆく風情はいかんともしがたい状況にある。よほどの好事家か専門家でなければ、そこで大きく心揺さぶられるような感動や発見に出会うことは、期待できないだろうし、見終わって、まあ、こんなもんか、なんて思えたならばまだいいほうで、え、これでおしまい? みたいな落胆を味わうこともしばしばだ。そういうもはや観光地としての役割は終わってしまったような場所、もちろん家康の墓はいつまでも厳然と家康の墓として残るわけだが、そのことに観光価値が置かれなくなってしまったような場所に、私はつい引き寄せられる。そこで何かB級センスあふれる物件を探そうという魂胆ももはやなく、その終わった感じを終わったままに味わい、束の間の安寧を得る、というようなじじむさい嗜好が私の中に湧き上がってきているのだった。これはいったいどういう心境の変化なんだろうか。
 久能山東照宮は、期待にたがわぬ盛り下がり具合で、今にも廃止されそうな気配漂うロープウェイとか、なあんにも見たいものがなかった博物館とか、いちいち味わい深かった。山本勘助の井戸があったので見に行ったが、気がつけばそんな井戸のことはさっぱり忘れて山門から海を眺めており、満足してロープウェイの駅に戻ったあとに、そういえば山本勘助、と思い出したものの、もう戻るのも面倒くさくてそのまま、みたいななげやりな観光に、どういうわけかしみじみとした懐かしさと温かみを感じる。そうして何の発見も感動も出会いもないまま、おおいに満足して帰ってきた。
 新奇なもの、珍なるもの、イベント、発見、出会い、感動、そういうものにほとほと飽きているのかもしれない。

9月9日(火)

 今日も妻の運転練習に付き合ってから仕事場へ。
 彦根カロムの原稿書こうとするも、途中で寝てしまう。
 四国遍路の原稿を送ってあるQ社テナーさんから、ちっとも連絡が来ないので、このところ、なんとなく気持ちが宙ぶらりんのままである。早く第2弾に出かけたいが、計画も立てられない。だからというわけでもないけれど、なんとなく仕事に集中できないというか、これをさっさと終わらせて次へ行こうという気が起きてこない。ガッツが不足している。
 だが、そんなのは言い訳で、きっと四国遍路の連載が決まったとしても、なんだかんだ言ってガッツを不足させている自分の姿が、容易に思い浮かぶ。
 
 ところで、子供の幼稚園仲間のお父さん(以前バーベキューをダンドリしてくれた。B型)が、近所の公園でものすごい泥団子を作ったと話題になっている。それは砲丸のように完璧な球体で、黒光りし、豪雨のなか置き晒してあったのに、翌日まったく型崩れしないで残っていたという。私は、やられた!と思った。いい大人が泥団子なんて、なんてくだらないんだ。くだらなすぎて、うらやましい。くだらないことほど、人に負けたくないではないか。しかし今から泥団子を勉強するのも二番煎じだし、何かもっともっとくだらないもので、世間をあっと言わせたい。

9月10日(水)

 彦根カロム、原稿アップ。
 この原稿を渡してしまえば、しばらく締め切りがないので、小説を書くチャンスなんだが、この頃は気候がよくなって、本当に気持ちいいので困る。自分はど〜んとでっかい夏を求めているとこないだ書いたけれど、そういえば昔から、爽やかな秋も求めていたような気がする。だからできれば夏と秋は大事に使いたい。大事にというのは、季節感をじっくり味わえる環境にいたいというか、大自然とともに過ごしたいというか、つまり外出したいというか......、きっと冬になればバリバリ働けるだろう。
 ふと、カースン・ネーピアさんから電話がかかってきそうな不穏な気配がした。

9月11日(木)

娘、幼稚園さぼる。

9月12日(金)

 今日は一日仕事を休んで、妻の運転教習に付き合う。3連休の最後の月曜日とバーターしたのだ。
 息子のサッカースクールの送迎、幼稚園の送迎、小児科への送迎ルートを、基本として押さえるわけだが、小児科の駐車場の出し入れが、男の私でも少々面倒で、案の定妻はブロック塀に正面から突入し、さっそくバンパー左部分とウィンカーランプを破損していた。んんん、まあ、自損でよかった。
 その後、息子をサッカースクールへ迎えに行き、その足で図書館へ行って、恒例の絵本20冊借り。いつもいつも借りまくって、もう目新しい絵本はないだろうと思うけれども、じっくり探すと、まだまだ面白そうなものが見つかる。息子は最近、活字にハマりだし、絵本でも何でも片っ端から読みまくっている。早くも活字中毒か。
 19日に発売予定の単行本『なみのひとなみのいとなみ』の見本が届く。
 初めての紀行以外のエッセイである。はじめは自伝的エッセイを書こうとしたのだが、私の過去などまったく平凡で、とりたててトピックになるような事件もなかったし、仮にあったとしても、「むかしは無茶無茶してましたヤンチャな俺」みたいな自己陶酔本を書いてしまったら目も当てられないので、いつしか自伝エッセイから大きく逸脱して、現在のだらしない日常を描くエッセイになっていた。だがまあ、少しはサラリーマン時代のことも書いてある。誰かの参考になることはないと思うが、共感してくれる人も少しはいるんじゃないかと思っている。
 自分の本ができるというのは、やっぱり気持ちのいいものだ。このところ、あんまり筆が捗っていないなあと思っていたこともあり、ちょっとだけ前向きな気持ちが増進した。

9月13日(土)

 横須賀にある叔父の家へ、家族で遊びに行く。
 途中、観音崎の海水浴場に寄って、子供を遊ばせた。
 三浦半島は、都心に出るにも遠くないし、私のような稼業の者には、距離的にちょうどいいので、引越し先候補として考えることもあるのだが、海が汚いのが残念である。これまでシュノーケリングやシーカヤック
で、油壺や城ヶ島などあちこちの海で遊んだものの、伊豆半島などと比べてしまうと、この海ではつらいな、と思う。案外ウミウシは多いのだけど。しかし子供たちは、海であれば満足で、喜んでいた。
 ところで叔父の話によると、私の祖父は甲子園に出たのだという。そんな話はまったく知らなかった。私の名前の"珠己"は、父が野球好きで球と木(バット)から命名したのである。それで球木だったのだが、それでは名前らしくなくてかわいそうだというので、祖母が珠己という字を当てたのである。おかげで私はすっかり野球嫌いになってしまい、珠己という字は、珠のように輝かしいオレ、という意味に勝手に解釈している。祖父はあの世で何と思っているか。


 夜、叔父の家で、NHKスペシャルを観る。北京オリンピック、男子400リレーの朝原選手を特集していたのだ。400リレーというだけで泣きそうになったが、番組の内容自体はやや薄かった。誰も、オリンピック前に、彼らを追いかけていなかったのだろう。オリンピック後に収録されたインタビューばかりだったのが、残念。惜しい。
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