« ~2008年9月13日 | 2008年9月14日 - 2008年9月20日 | 2008年9月21日~ »

9月14日(日)

 従姉妹や叔母さんが、横須賀沖に浮かぶ猿島に連れて行ってくれる。
 連休とあって連絡船は超満員。東京湾にこんな島があったとは、まったく知らなかったし、それがこんなに人気だということにも驚く。人が大挙して押しかけるほどの魅力は感じなかったが、島に残る要塞跡の秘密基地的な味わいが面白かった。
 ビーチはバーベキュー客でいっぱい。子供たちが海の中から、明らかにバーベキューの食いかすと思われる貝殻を拾ってきては、こんな貝見つけたぁ、とうれしそうな声をあげるので、力が抜ける。息子よ、それはゴミだ。
 しばらく遊んで横須賀に戻る。ファミリーレストランに入り、ここんとこ野菜を食べてないので、昼食に大きなサラダと冷製スープを注文すると、叔母さんに「まあ、おしゃれ」と面白がられ、それが妙にツボにはまって可笑しかった。
 ファミリーレストランで、おしゃれなメニューを頼んでいる(尾崎放哉)
 精一杯な注文が、人生の妙味を感じさせて深い。
 
 帰りに、かつての上司Mさんの家を戸塚に訪ねる。
 Mさんは再発したガンの治療中で、お見舞いに行ったのである。本人は日焼けしていて、まるで健康そうであった。闘病記とかをお見舞いにもらうんだけど、違う病気じゃ参考にならないんだよ、と言っていたのが印象的だった。私がガンになったら、きっと気持ちの支えが欲しくて、どんな闘病記でもむさぼり読んでしまうだろう。それだけに、合理的な思考ができている点で、Mさんは精神的にタフなんじゃないかと思ったのである。
 生きている以上はいずれ誰でも、病気や怪我で死と隣り合わせになりながら、それでも生きていく時間というのが訪れるはずで、そのときに、できるだけ平常心で穏やかに生きていたいと思うのだけれど、果たして自分はそんなタフさを持っているかといえば、まったく自信がない。
 そんなとき人は、どうやって自分の心をまっすぐ立たせるのか。治ると信じて歯を食いしばって根性で心を奮い立たせるのか、それとも逆に敢えてあきらめることによって平常心を回復させるのか、趣味に没頭してそんなことも全て忘れ去ったほうがかえっていいのか。私の性格では、きっとこの趣味療法で乗り切ろうとするだろうけど、心の底には不安が常にどっしりと根を下ろしているはずだから、忘れるなんてことは一瞬たりともできない自分でありそうな気がする。
 たとえば医者に、わずかな可能性を信じて副作用の厳しい治療を続けるか、あるいは、緩和治療を施して寿命を待つか、と問われたときに、緩和治療でお願いします、と即答できるような覚悟が欲しい。その覚悟ができれば、人生はなんて輝くことだろう。Mさんはそんな覚悟ぐらいとっくにできているようなことを言っていた。
 私は、励まそうとすると何か白々しいことを言ってしまいそうで、かえって無口になり、これじゃちっともお見舞いになってないなと思い、申し訳ない気持ちであった。

9月15日(月)

 体はもうへとへとだったが、仕事場へ。
 公園を抜けて通勤中、砂場にB型のお父さんがいて、子供たちと泥団子を作っていた。立ち止まって歓談し、あれが砲丸のように黒光りする男の泥団子か、とさりげなく観察した。

9月16日(火)

 仕事場で小説。それにしても、いったいこれはいつ完成するのか。
 自分でも、これが完成して本になり、それを手にとって、できたあ!と喜ぶ自分の姿が、まるでイメージできない。まあ、本なんてものは、たいていそんなもんかと思うが、たとえば私がこれまでに書いた本のなかで、なかなか書き上げられずに苦労したのは、『ウはウミウシのウ』というシュノーケル紀行と、『晴れた日は巨大仏を見に』という風景紀行のふたつなのだが、それらの本も、執筆中は、これはもう書きあがらないんじゃないかという思いにとらわれ、途中で完成イメージなどまったく湧いてこなかった。それでも何とか本になったんだから、今回の小説もいつか本になるだろう、とは、やっぱり思えない。
 というのは、同じように途中でこれはもう書きあがらないんじゃないかと思い、実際に書き上げられなかった本もあるからだ。それは、ひとつはサラリーマン時代の自伝的エッセイであり、もうひとつはユーラシア大陸横断旅行記である。サラリーマン時代のエッセイは、結局一冊の三分の一ぐらい書いたものに、あとは現在の日常のネタや、新聞連載のサブカルネタをくっつけて、このたび『なみのひとなみのいとなみ』という本に、無理やりまとめた。そういう意味では本になったわけだが、当初のサラリーマンネタで一冊書き切るという目標は達成できなかったのである。ユーラシア旅行のほうは、半分ぐらい書いたまま停止している。本来ならとうの昔に書き上げて、カースン・ネーピアさんに渡しているはずだったのだが、挫折した。
 したがって、これまでもなんとかなってきたのだから、これからだってなんとかなるさ、とは思えない。これまでも本にならなかったのだから、今回だってどうにもならんさ、と考えることも可能だ。

9月17日(水)

 朝は妻の運転練習。
 A社テムジンさんから、単発のエッセイの依頼があり、久々に日常エッセイのネタを考える。自分はエッセイを書くのがとても遅いので、その点に劣等感というか苦手意識があるのだけれど、朝日新聞出版が出している「一冊の本」という小冊子の去年の11月号の巻頭随筆で、作家の松浦理英子が「六、七枚のエッセー一本書くのに早くても五日から十日、遅ければもっとかかり...」と書いているのを読んで、少しばかりホッとした。そうだろ、そうだろ、そういうもんだよエッセイは。
 
 早明浦ダムが熱い。なんでも管理が始まって以来の大渇水であるらしい。貯水率は依然**のままだ。現在、発電用の水を上水道用に緊急放流しているが、それも底をついたらどうするのか見てみたいような、そんなこと言っちゃいけないような気分である。ホームページに、連日、特に土曜、日曜等の休日には大変多くの方が見学に来られて路上駐車しまくって大迷惑だコラ! というような意味の注意書きが書いてあった。やはりみんな注目していたのだ。目下台風が接近中で、ここからどのぐらい挽回するかが、今週の見所。
 一方で、今週末にキャンプに行こうと画策しており、天気が心配である。台風には、四国で早明浦ダムを満杯にしたあと、また九州のほうへ戻ってほしい。

9月18日(木)

 宮田登『ヒメの民俗学』(ちくま学芸文庫)読了。並行してミシェル・レリス『幻のアフリカ』(河出書房新社)を読んでいるのだが、こっちはなかなか終わらない。
 引き続きエッセイのネタを考えるが、これまた何も浮かばない。私にとって、日常エッセイは鬼門だ。考えてみれば、この日記が日常エッセイみたいなもので、これ以上とくに日常について書くことなんかないのである。この日記でさえ、今日は普通だった。以上。で終わってしまいたい日が、しょっちゅうある。日記はそれでも成り立たないことはないが、エッセイとなると、それなりにオチもいるし、枚数もあるので、大変である。週刊誌などにエッセイを書くときは、10回に3回面白ければいい、打率3割でいいんだ、という心づもりで書くのがコツだそうだが、毎週書いていたら3割でも難しい気がする。
 それにそろそろ来月のサブカルコラムに何を書くかあたりをつけて、取材に行くなら行かなければいけないし、勝手に関西世界遺産の次のネタもまだ決まっていない。どれも締め切りは来月ではあるものの、だんだん気持ちがせわしなくなってきた。そうやって小説はいつも後回しになっていくという悪循環。
 
 巨大なフィールドアスレチックに挑戦する「SASUKE」というテレビ番組があるが、息子はいつも釘付けである。昨夜の分も録画して、今日見たらしい。難関に挑む選手たちの姿を息を殺して見つめ、最後の選手がゴール直前で落下すると、目にいっぱい涙をためて悔しがったという。それからというもの、彼の身にある種の変化が起こって、廊下の壁に両手足をついて登るようになった。いや、そういうことはこれまでにもあったのだが、妻によると、今日は天井を蜘蛛のように移動していたらしい。そんなわけで今夜、彼はときどき天井にいて、じっと息を潜めていた。

9月19日(金)

『なみのひとなみのいとなみ』
宮田 珠己
朝日新聞出版
1,575円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> 本やタウン
 台風が接近中だというのに、たいして雨が降らない。早明浦ダムも、いまだ**のままで、水位もほとんどあがっていないようだ。
 昨日は一日仕事場にいて何も書けなかった。日常エッセイとなると、途端にそういう日が続いてしまう。今日こそはと思って、昨今の日記とか、記憶とか、今考えていることのなかから、ネタになりそうなものをまさぐるが、何も引っかかってこない。
 足が熱いという謎の症状も、ずっとまつわりついていて、熱いというより火傷の痛みのようになっている。そしてそれが、書けないときや、何かで不安になったときに、強まるのである。逆に外出していい風に吹かれているときや、原稿がすらすら書けているようなときには、あまり気にならない。心因性と言われれば、そうかもなあ、と思う。なにしろ書けない書けないといつも自分を責めているから。
 そして今日もエッセイのネタを思いつけず、時間をこれ以上無駄にしたくなかったので、午後は今度の書評で取り上げようと思っている『幻のアフリカ』を読む日に切り替えた。
 ところで、そういえば今日は『なみのひとなみのいとなみ』の発売日だった。

9月20日(土)

 息子と娘を連れて、映画「大決戦!超ウルトラ8兄弟」を観に行った。
 ところが途中で娘が怖い怖いと泣き出し、息子ひとり館内に残して出ようとしたら、息子も心細くなったのか、いっしょに出てきてしまう。あとからやってきた妻に娘を預け、また息子と館内に戻ったが、途中30分ぐらい抜けたので、事態はいきなりクライマックスになっていた。おかげで、去年観た「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟」と何が違うのか全然わからなかった。

« ~2008年9月13日 | 2008年9月14日 - 2008年9月20日 | 2008年9月21日~ »