従姉妹や叔母さんが、横須賀沖に浮かぶ猿島に連れて行ってくれる。
連休とあって連絡船は超満員。東京湾にこんな島があったとは、まったく知らなかったし、それがこんなに人気だということにも驚く。人が大挙して押しかけるほどの魅力は感じなかったが、島に残る要塞跡の秘密基地的な味わいが面白かった。
ビーチはバーベキュー客でいっぱい。子供たちが海の中から、明らかにバーベキューの食いかすと思われる貝殻を拾ってきては、こんな貝見つけたぁ、とうれしそうな声をあげるので、力が抜ける。息子よ、それはゴミだ。
しばらく遊んで横須賀に戻る。ファミリーレストランに入り、ここんとこ野菜を食べてないので、昼食に大きなサラダと冷製スープを注文すると、叔母さんに「まあ、おしゃれ」と面白がられ、それが妙にツボにはまって可笑しかった。
ファミリーレストランで、おしゃれなメニューを頼んでいる(尾崎放哉)
精一杯な注文が、人生の妙味を感じさせて深い。
帰りに、かつての上司Mさんの家を戸塚に訪ねる。
Mさんは再発したガンの治療中で、お見舞いに行ったのである。本人は日焼けしていて、まるで健康そうであった。闘病記とかをお見舞いにもらうんだけど、違う病気じゃ参考にならないんだよ、と言っていたのが印象的だった。私がガンになったら、きっと気持ちの支えが欲しくて、どんな闘病記でもむさぼり読んでしまうだろう。それだけに、合理的な思考ができている点で、Mさんは精神的にタフなんじゃないかと思ったのである。
生きている以上はいずれ誰でも、病気や怪我で死と隣り合わせになりながら、それでも生きていく時間というのが訪れるはずで、そのときに、できるだけ平常心で穏やかに生きていたいと思うのだけれど、果たして自分はそんなタフさを持っているかといえば、まったく自信がない。
そんなとき人は、どうやって自分の心をまっすぐ立たせるのか。治ると信じて歯を食いしばって根性で心を奮い立たせるのか、それとも逆に敢えてあきらめることによって平常心を回復させるのか、趣味に没頭してそんなことも全て忘れ去ったほうがかえっていいのか。私の性格では、きっとこの趣味療法で乗り切ろうとするだろうけど、心の底には不安が常にどっしりと根を下ろしているはずだから、忘れるなんてことは一瞬たりともできない自分でありそうな気がする。
たとえば医者に、わずかな可能性を信じて副作用の厳しい治療を続けるか、あるいは、緩和治療を施して寿命を待つか、と問われたときに、緩和治療でお願いします、と即答できるような覚悟が欲しい。その覚悟ができれば、人生はなんて輝くことだろう。Mさんはそんな覚悟ぐらいとっくにできているようなことを言っていた。
私は、励まそうとすると何か白々しいことを言ってしまいそうで、かえって無口になり、これじゃちっともお見舞いになってないなと思い、申し訳ない気持ちであった。
連休とあって連絡船は超満員。東京湾にこんな島があったとは、まったく知らなかったし、それがこんなに人気だということにも驚く。人が大挙して押しかけるほどの魅力は感じなかったが、島に残る要塞跡の秘密基地的な味わいが面白かった。
ビーチはバーベキュー客でいっぱい。子供たちが海の中から、明らかにバーベキューの食いかすと思われる貝殻を拾ってきては、こんな貝見つけたぁ、とうれしそうな声をあげるので、力が抜ける。息子よ、それはゴミだ。
しばらく遊んで横須賀に戻る。ファミリーレストランに入り、ここんとこ野菜を食べてないので、昼食に大きなサラダと冷製スープを注文すると、叔母さんに「まあ、おしゃれ」と面白がられ、それが妙にツボにはまって可笑しかった。
ファミリーレストランで、おしゃれなメニューを頼んでいる(尾崎放哉)
精一杯な注文が、人生の妙味を感じさせて深い。
帰りに、かつての上司Mさんの家を戸塚に訪ねる。
Mさんは再発したガンの治療中で、お見舞いに行ったのである。本人は日焼けしていて、まるで健康そうであった。闘病記とかをお見舞いにもらうんだけど、違う病気じゃ参考にならないんだよ、と言っていたのが印象的だった。私がガンになったら、きっと気持ちの支えが欲しくて、どんな闘病記でもむさぼり読んでしまうだろう。それだけに、合理的な思考ができている点で、Mさんは精神的にタフなんじゃないかと思ったのである。
生きている以上はいずれ誰でも、病気や怪我で死と隣り合わせになりながら、それでも生きていく時間というのが訪れるはずで、そのときに、できるだけ平常心で穏やかに生きていたいと思うのだけれど、果たして自分はそんなタフさを持っているかといえば、まったく自信がない。
そんなとき人は、どうやって自分の心をまっすぐ立たせるのか。治ると信じて歯を食いしばって根性で心を奮い立たせるのか、それとも逆に敢えてあきらめることによって平常心を回復させるのか、趣味に没頭してそんなことも全て忘れ去ったほうがかえっていいのか。私の性格では、きっとこの趣味療法で乗り切ろうとするだろうけど、心の底には不安が常にどっしりと根を下ろしているはずだから、忘れるなんてことは一瞬たりともできない自分でありそうな気がする。
たとえば医者に、わずかな可能性を信じて副作用の厳しい治療を続けるか、あるいは、緩和治療を施して寿命を待つか、と問われたときに、緩和治療でお願いします、と即答できるような覚悟が欲しい。その覚悟ができれば、人生はなんて輝くことだろう。Mさんはそんな覚悟ぐらいとっくにできているようなことを言っていた。
私は、励まそうとすると何か白々しいことを言ってしまいそうで、かえって無口になり、これじゃちっともお見舞いになってないなと思い、申し訳ない気持ちであった。

